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お金がかかっても祖父のフィルムカメラで撮りたい理由


OLYMPUS TRIP 35との出会い

2年前に祖父が亡くなったあと、押し入れにしまってあったらしいフィルムカメラをもらった。OLYMPUS TRIP 35 というモデルで、昭和43年(1968年)発売だそう。私の親が小学生のころには祖父が持っていたと言うから、ざっと40年ほど前に買ったものだろう。

祖父はカメラが好きで、押し入れからたくさんのカメラやレンズが出てきたが、保存はあまり得意ではなかったようだ(笑)。OLYMPUS TRIP 35 に関しても、レンズ部分の淵が凹んでいたりレンズのキャップがなかったり、細かいところにもう取れないホコリが入っていたり。中古カメラとして売られるなら、間違いなくジャンク品になると思う。

いくつか写真を撮ってみた

フィルムカメラの使い方なんて分からないまま、とりあえずフィルムのセット方法だけを調べ、あとは適当に撮っていた。フィルムを3本交換したころにようやく、フィルムに合わせてカメラのISOを設定するとか、撮るものの距離によって設定を変えるとかを知った。

夏の錦糸町で。
隅田川側から見たスカイツリー
まともに設定をしていなかったからか、こんな風にボケボケにもなった

フィルム代・現像代、まあまあお金かかるけれどこのカメラで撮りたい理由

一瞬一瞬、丁寧に向き合えるから

1つのフィルムで撮ることができる画像は、フィルムによるけれどだいたい24〜36枚。使ってみると意外ともつと気付いたが、何も考えずに例えば1つのシチュエーションで5枚6枚とパシャパシャ撮ってしまうとあっという間に終わってしまうし、ほとんど同じような画像しか残らない。

どのような仕上がりになるか現像するまで分からない中、この切り口が良いかなとか、オブジェクトが入っていた方が良いかそれとも景色だけを撮るかなど、いろいろと想像を巡らせる。その瞬間が好き。一瞬一瞬を大切に思い、丁寧に向き合っている実感があるから。

そういう向き合い方ができるようになると、日常のちょっとした風景に幸せを見いだせられるようになったし、自然の美しさにそれまでよりももっとたくさんの想いを馳せることもできるようになった。

片田舎の押し入れで眠っていたカメラに、活躍の場を与えられる気がするから

これは完全に私のエゴ。話は逸れるが、大学生の途中に始めて海外へ行ったときに感じた、これまで自分が生きてきた環境の狭さと、そこを飛び出して肌で感じた世界の広さ。その広さを知ることで、自分にも無限の可能性があるだと感じられた。

カメラは生きものじゃないから、カメラ自身が成長するなんてことはないのだけれど、自分がうまく使うことによって、その無生物が存在している意義を与えられることはできると思う。せっかく美しい写真を生み出せるのに、押し入れの中にいるだけではそこらへんのゴミと変わらない。けれどさまざまな場所や人やモノがある東京で色々な景色を撮ることで、このカメラが製造され、祖父が買って使ってきた意義を見出せると思う。

初夏に浅草で行われる三社祭での様子
鎌倉の材木座海岸
遠くに見えるヨット?が良いアクセント

本物が好きで、フィルムカメラで撮ったノスタルジー感が好きだから

昨今さまざまな写真加工アプリがあって、フィルムカメラで撮った感じを表現できるフィルタがあるけれど、それはあまり好きではない。なんでわざわざ、ざらつきのない綺麗な写真を撮れるのに、その特徴を消してしまうようなざらつきを与えるのか。

というのは半分本心であり嘘。自分のめんどうくさいこだわりだなと思うけれど、個人的に大事にしたいと思うものは、本物であってほしい。フィルムカメラで撮った写真のフィルム感は本物で、スマホで撮った写真を加工してフィルム感を出した写真は偽物。その偽物を受け入れたいと思わない。

今後どういう写真を撮りたいか

人を写したい。多分私が写真を撮るのって、大切にしたい一瞬を切り取ることが目的なんだと思う。普段から意識しているわけではないし、無意識的に撮っているのだけれど、きっとそう。

その中で自分が大切にしたい瞬間というのは、大事な人たちとの時間。おしゃべりをして笑い合っている何気ない時間とか、日々の忙しさから逃れてリラックスしているとき。

なんでも良い。他人を写した写真でも良い。例えば以下に載せる写真のように。どんな瞬間でも良いから、翌日でも数年後でも数十年後でもその写真を見たときに、この風景を見れて良かった、幸せな瞬間だったなと感傷に浸りたい。

Unsplash / Jacob Bentzinger
Unsplash / Shane Rounce
Unsplash / Ronny Sison


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