日本のアートは集団的無自覚な「狂気」へ(?)

彦坂氏の美術に対する分析力は高く、しかも内容が更新していくので現在進行形で美術家にとって有益なものだが、それを遠ざける発言は私のギャラリーからも出ていて、この政治性はおよそ90年代初頭に作られたものであり、それに集団として(無意識裏に)乗っている。セクト主義だけが生き残っている。「関係性」の名の下に美術を自己がコントロールしたいと。その主体は、彦坂氏の生産される言説を遮断したい、なぜなら自己の営み全てを「それは芸術ではない」(一番悪い場合は)「狂気である」と判断されることを(直感的に)知っているからだ。確かに全能感の元にセクト主義で、強力な影響力を持つアートだけが現在的に欲しいというアート主体は、ギャラリストであれ、アーティストであれ否応がなく彦坂氏が言うままの(集団的)「狂気」に近づく。

例えば「すぐバレる嘘を平気でつく」という主体の段階なら、美術における本格的狂気のその「一歩手前」と言うこともできる。それは無垢な子供のようなもので。引き返すならそこからだが。真摯に美術を考える姿勢として、私が思うには。


参照。

加藤 豪@_5925263769112·8月13日
高橋コレクション展の要点。
「現実由来の「写生」が無い。フィクション・空想しか無い。」
【高橋龍太郎・幻覚のコレクション】東京都現代美術館『高橋龍太郎コレクション展』2024年8月3日〜11月10日・彦坂なおよし×糸崎公朗
https://www.youtube.com/watch?v=Vx97eUVhvyo

加藤 豪@_5925263769112·8月13日
「美術をフィクションであると思っている。美術がフィクションということになると、アルタミラの洞窟画もなくなるし、セザンヌもピカソもジェフ・クーンズもシンディ・シャーマンもなくなる。」
つまり、正規の美術史が無いところでやっている美術を集めたコレクションと。

加藤 豪@_5925263769112·8月13日
それを彦坂氏と糸崎氏は(文脈依存の)「密教的」と呼んでいる。
「狂気をメインに据えた(密教化した)フィクション展。」
「時代の狂気を描いている。見てかなり暗い気持ちになる。」
https://x.com/_5925263769112/status/1823036709723873786

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