現代アートのトラウマの核

妻が「フォルムがピシッとしているのが苦手なんでしょうね」、日本の原始美術(=岡本太郎以来の縄文イデオロギー)に依拠する多くの現代アート関係者について。これは裏側に、二十世紀後半以後のアメリカのアートの覇権による「抑圧」の精神の機構がある。ランドアートに向かったロバート・スミッソンのミニマル彫刻もやはりピシッとしていた。女性のアグネス・マーティンもそうである。日本の現代アート関係者はこれを直視できない(=トラウマの核)。二十世紀後半以後のアメリカのアートの覇権のもう一つの裏側、つまりヨーロッパではアートは全てが田舎のアートになった。日本人は同類をそこに見て癒しを得るが、これは根本的解決では決してない。むしろ(永遠の)「ヒステリー」の自己再生産(=地獄)となる。

アメリカのアートの展開が現在はひと段落した、あるいは終了したかに私からは見えるが、この事実と主体の「トラウマ」の解決とは直接には繋がらない。これを見て喜んでいると。作品は残るということ。アメリカのアーティストは、主要な人々はこのことに非常に自覚的であった。

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