ファット イズ ビューティフル
森田靖也(旧表記:オマル マン)氏との対談、第62回目。
K「森田さん、こんにちは。何か、テーマないですか? いつも打ち返してもらっているので、逆もいいかなと。」
M「加藤さん、こんばんは! 私は最近、アーティストのファッションを見ているのですが(https://www.youtube.com/watch?v=Ob7vObnFUJc&list=RDOb7vObnFUJc&start_radio=1)、このビヨンセのファッションを、ずーっと。1時間くらい繰り返し見てて。YOUTUBEの「おすすめ」に出てきて、なにげなくクリックしただけなんですけど。圧倒されてしまったんですね。5年くらい前の曲のはずなんですけど。以前も話しましたが、日本のアートに蔓延しているのは、常に「ナナメ」という仕草。寝間着で寝ているアイコンとか。なんで、こんなにも差が開いてしまったのか?と。」
K「これ、ビヨンセなんですね。」
M「ビヨンセですね。たまたま目に入ってきて。いろいろヒントがあると思った。」
K「私は、ナチュラルな印象。結構太い? 身体のラインを強調している服を着ている割には。しかし、よくは動きますね。」
M「ブリンブリン系なボディですね。」
K「そうですね、ブリンブリン系だと、私はマライア・キャリーの爆裂的なレベルに行ったのが、結構何かずしんと。リアルだなー、食ってんだなと。服の話が全然できない・・。」
M「アシュリーグラハムってモデルが大人気なくらいなんで。ぶよぶよボディ。オーウ!セクシー!って。あっちの人は。」
M「ボン!キュッ!ボン!のレベルですらない。リアルルーベンス。」
K「何か、すごく感じる、ファッションも、決まっている。」
M「進んでるな~って。」
K「すごいものだな、アシュリー・グラハム、これ。森田さんに、聞いてよかった!」
M「すごいですよね。ファッションもすごいヒントがあるんですよね。こういうの見て、服を考えてるところがある。私は。」
K「私も、ファッションは敏感なんですよね。先回の、西和彦氏も決まっていた。全体的なバランスが。」
M「西和彦氏もオシャレですね。」
K「すごいなあと。」
M「世界で闘ってた西氏。吸っていた空気が違うのかなと。」
K「レオナルド・ダ・ヴィンチも、出かける時はいつもおしゃれだったと、確かWikipediaかどこかで読んだ気が。」
M「たしかに。目立ち過ぎて、嫌われてたとか。聞いたことがある。」
K「そうなんだ。例外的な。現在でも、アーティスト、おしゃれなのと、むさ苦しいのと、別れますよね傾向が。はっきりと。」
M「常にOFF。」
K「そうですね。普段着と出かける時の差を、消すのが良いという傾向の方が、多いか。」
M「クーンズは”常にON感”、バリバリあります。考えてみると、境目が難しいところですね。休日も常にスーツって人、けっこういます。リーマン時代に、わりと見ました。「アホか」って思ってましたけど。」
K「私の海外での展示経験で言うと、日本人は国際展のオープニングパーティでも、事前のセッティング時でも、同じ格好というのが多かった。意図的にそうしよう、と。」
M「所ジョージとか木梨憲武とか、カメラの前での「ON」感が、超サイヤ人級です。いかにも「ラフ」に見せてても。」
K「常にONっていうのも、何かね。クーンズの。マイク・ケリーだと、出かける時は特にフォーマルではないが、革ジャケット。それでも、帽子とか、差をつけてる(https://www.artforum.com/diary/andrew-berardini-at-dan-graham-s-opening-at-moca-22065)。これが「正統的」では。」
M「私も、マイク・ケリーとは付き合いたい。クーンズは遠慮すると思う。喩えだけど。」
K「そうですね。クーンズ、何か硬いので。」
M「営業時代もそうだった。オシャレ過ぎる人、毒があって、キツイって経験が。硬いんですね。」
K「うーん。ギャラリストも、いつも黒とか。でもあれは、業界人の制服なのか?」
M「ブラックスーツ。なんですかね。あれ。私も疑問に思っていました。常にONの表現として、ブラックに統一するという、その視座は、なんとなくビジネス界のものですね。アート界ではなく。コンサルタントとかで、いますよ。」
K「ちょっと硬いんでしょうね。ギャラリストが前に出てはいけない、っていう法は、私はないと思うが。」
M「勤勉にクーンズ路線ってことですかね。」
K「クーンズはグレーなので、これもまた違う選択では。アーティストだが、企業家として見せようと。」
M「まさに、そうですね。」
K「そういう意味で、クーンズは(当時の)前衛的。マイク・ケリーの選択は、伝統的。」
M「そう整理すると、いろんな距離感が分かってきますね。」
K「どちらがおしゃれかと言ったら、もちろんマイク・ケリーですね。日本人は、どちらからもあぶれている。」
M「日本人のファッションのもどかしさ。」
K「本音は、「何着ても似合わん」と(笑)。」
M「落合正勝って服装評論家がいて、私はずいぶん読んだ口なのですが、日本人は髪が黒くて、目玉が黒か茶色。白人は金髪やグレー、瞳はブルー。なのに、日本人は頑張って、イギリス人やイタリア人の真似をすると。一言で言って、キツイと。シャツとスーツの2つでも、日本人だと、いろんな制約があって。ブラックスーツ一択(泣き)っていうのも、分かる気はしないでもないのですね。だからさっき「勤勉」って言葉を使ったのですけど。」
K「「制服」の楽さ。一々考えなくても良いから。」
M「制服、楽ですよね。」
K「「おしゃれ」って、他者感覚ですよね。西氏は、元々あるのでは。その感覚。」
M「そうですね。でも行き過ぎると、毎日、木梨憲武みたいな生き方に。西氏はいい感じ。木梨憲武は剣豪みたいに見える。私には。西和彦さんみたいに、歳をとれたらいいなあ、と。(木梨憲武)抜け感と、ON感の、フュージョンみたいな。でも、ここまでやる人はいない。」
K「何か挑んでいるのか、限界に。」
M「求道者だと思います。」
K「剣豪って、どんな感じかな?」
M「ストイックですね。しかも、毎回ですから。出演ごとに。意匠を凝らして出てくる。」
K「私は、水道橋博士と、同じカテゴリーに見てしまっているかも。」
M「同じ世代なんですね。」
K「そうですよね。」
M「水道橋博士、とんねるず、ダウンタウンもか。木梨は、ちゃりんこで、世田谷ベースに行っちゃうような感じなんで、水道橋博士よりリもっと、特権階級な。”世田谷”界隈。水道橋博士の方が、個人的には好きですね。私は。」
K「お金持ちなんでしょうけど、私はまとめて見てしまう。日本人のコンプレックスの、それぞれの表現。」
M「そこはもう、明確に打ち出してますね。仰る通りで、ファッションとコンプレックスは、非常に何かつながっている。」
K「西氏は、むしろ向こう(ゲイツ)を舐めている。村上隆のファッション。語らざるをえないが、誰も語らない。語られざるファッション。」
M「あれは...ファッション...というか...。」
K「「着ぐるみ」?」
M「そうそう。「着ぐるみ」。でもある意味、一番、頑張っていると思います。」
K「「着ぐるみ」で「生身」を退かせるという、形式。形式化。日本人の。」
M「やだなあ(笑)。」
K「アシュリー・グラハムにしても、いつも生身を意識していると思うのですよ。その上に、ファッションが乗っている。それが、正統ではないか。太っていても、スタイルが良くても。」
M「アシュリーはそうですね。日本人の感覚じゃないですよ。脇毛を剃る動画をインスタにアップしてたり。異常に感じる。ああいう地平に行けるか?という。生まれたての子供に、おっぱいをあげてるのを、動画にして投稿とか。生身度、高い。」
K「レディ・ガガとか、マドンナとか、自分の生身におそらく自信がない。生身を意識している。ビリー・アイリッシュも。」
M「自己の肉体への信頼。」
K「日本人は、着ぐるみで全てを覆ってしまう。」
M「わかります。」
K「マライア・キャリーも、どんなに太っても、バンバンそのまま出してくるし。」
M「加藤さんの鋭い視点。いつも参考になる。」
K「太腿。あの笑顔。」
M「ボディビルが、タンクトップ一枚で街をウロウロしてますが、いいですよね。ああいうのが一番、いい。分かってる。」
K「「ふてぶてしい」=「世間」とは、違う。(他者の視線の下に)ちゃんと自分を意識している。」
M「じつは昔、マッチョに憧れてジムに行ってて。筋肉教って感じで、楽しかった(笑)。ストイックにならないと、ぜんぜん無理ですけどね。あたりまえですけど。ベンチプレス120キロが「入門」。自分の肉体と深く対話しないと無理なんですよね。マッチョになるって。」
K「120キロ、で入門?! 80キロでは?」
M「いやマッチョな人は。ちなみに私は60キロ(笑)。」
K「それは、そうだ。ああ、良かった、60キロ。」
M「私は120は無理無理!(笑)。」
K「アシュリー・グラハム、堂々としているなあ(そればっか)。」
M「ゴールはそこですね。」