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諦めとバランス感覚

「大人になる」

思考が熟してきた大人は、諦めに似たバランス感覚をもっていると思う。

例えば、恋愛。
昔は狙った子がいつか振り向いてくれる。そう信じて突き進んでいけたけど、今はアプローチをかけすぎることは意味がないことだと気付いている。

例えば、仕事。
昔は自分がこの会社を変えてやるとか、自分の意志がはっきりしていたけど、日々の業務に飲まれて自分の思いが薄れていく。その感覚をもちながらでも仕事は続けていく。

例えば、推し。
自分の推しがもっと活躍できるようにと精一杯の応援をするけど、運営も商売だから人気のない子にはチャンスが少ない。上がるきっかけすらもらえない。ファンも怒りや嫉妬の想いに駆られてしまう。その光景を見てバカバカしくなってしまい、オタクをやめる。

どんなに何かを頑張っても、1番にはなれない。近づくことすら難しい。
それを「しょうがない」と切り捨てられるのは果たして”諦め”なのか”バランス感覚”なのか??「成熟した精神(大人になる)」とは一体何なのだろうか。


ここで僕は答えを探るヒントとして、若林さんの言葉を思い出した。

「最近はね、考えても意味がないというラインが分かってきて、それ以上考えても意味がないってときは考えないようになったのよ」

確か、こんな感じだった気がする。
これに関しては、”バランス感覚”であると思う。成熟した精神力のおかげで自分の思考が内へ内へと行くのを制御している。これはすごい。

ではこれはどうか。

「この競技で1番を目指して30年間やってきたけど、やっぱ無理だわ。」

うーーーーん?
これは諦めに入るのかな?
30年という長い月日やってきて、今更諦めるなよ!と言いたくなるな。
バランス感覚がないままやってきたのに、遅れてバランス感覚を手に入れた感じとでも言うのかな。これは難しい。期間も判断の軸にあるらしい。


では、これは?

「好きな子が全然振り向いてくれないんだけど、まだいけると思うんだよね。LINEは無視されてるけど。」

いや、諦めろよ!!!!!!
これに関しては、早く諦めたほうがよい。諦めてくれ。むしろバランス感覚がないなこいつ。


ちょっと考えてみたけど、
諦めるという言葉がネガティブで
バランス感覚があるという言葉がポジティブであって、
その感覚によって使い分けられている気がする。

もっと言えば、”実現可能性”みたいなものに含まれているうちは”諦めた”となって、その範囲を超えてしまえば”バランス感覚がある”となるのだろうか。


じゃあ、「大人になる」ということは、その”実現可能性”を見極める能力があるということなのだろうか。

可能性という言葉を使っているけど、きっと何%からが実現的なのかは人によって違うだろうからなんとも言えないなぁ。


そもそも、バランス感覚という言葉も、「諦めずに続けることで成功した」という言葉の前ではなんだか悪く聞こえてしまうし、言葉の使いどころ・発した人の印象で全然違うものとなる。

もしかしたら、僕たちは(発する人の悪意も含め)言葉の魔法にかけられているのかもしれませんね。


今回、諦めとバランス感覚という言葉の違いはあんまり考えられなかったけど、人によって違う価値観、違う言葉を使う中で、言葉のイメージに囚われないことがきっと自分を救うことになるんじゃないか

このことを感じれただけど考えた意味はあった気がします。


ではでは。

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