アイドルを応援することは必ずしも楽しいことじゃないといけないのか

僕は長くて暗いトンネルの中にいるのかもしれません。


そのトンネルの中で、時折光る強烈なライトを求めている。

この先の距離もわからない出口を求めている。


今日は、このトンネルを苦しみながらも

気づけば3年ちょっと歩き続けている中で見つけた、

"歩き続けることの楽しさ”について残しておこうと思います。



僕は、乃木坂46の中村麗乃さんを応援しています。

彼女の紹介からすると、

乃木坂46の3期生で乃木坂に入ってからはすでに4年たってはいるが、スポットライトを一身に浴びるような機会を得たことは比較的少ない状況です。

つまり、不人気メンバーですね。

これは、応援している身としては自覚しているし、しなくちゃいけないとも思っています。


今の乃木坂46というのは、大企業。

出世コースが決まっています。


つまり、真剣に推せば推すほど、
期間が長ければ長いほど

ファンは苦しくなっていく。


なぜなら、僕のおすすめする商品は周りの理解を得られないから。

”遠回し”に自分を否定されている気分になるからです。


だんだんと”楽しさ”は薄れ、”悩み”は増えていく。

そうして”飽き”がやってくる。

セールスをするのもやめる。


楽しさ100%!!じゃいられないんですね。


さて、このように様々な感情をもつオタクですが、

オタク生活を通して、2つの違和感を感じています。

①「楽しくなくなったから、オタ卒。推し変。」

②「ファンはTwitter等の発信する場では、楽しい様を見せなきゃいけない」


分かるけど分からない。


①楽しくなくなったから、オタ卒。推し変。について、

アイドルというのはコンテンツ・サービスだからそのもの自体に価値が見いだせなくなったら、お金を払うわけがないし、そのサービスなんて使わない。わかる。

だけど、苦しい時こそ応援したくなる。
僕はサービスでは応援していないみたいです。(アイドルというもの自体が嫌いなのはここだけの話)


②楽しい様を見せなくてはいけないについて、

Twitterで発信するときに、

タイムラインを荒らさないように、、。
これはわかる。

愚痴っぽくなってはいけない。


だけど、ファンが真剣に応援しているからこそ出る”悩み”・”意見”について僕は知りたいし相当の価値があると思っている。

本人に直接言うことはナンセンスだと思うけど、ファンがどう思うかは自由だし、どう発信するかも自由だと思う。

苦しむ様を見たいし、知りたい。


何にも考えず楽しむことも”充実”していると思うけど、

苦しんでいることも、”充実”していると思う。


苦しむことを楽しむ


うん、多分これだ。

この苦しさは”充実”を生み出していると思う。

そして僕はこの”充実”の中身をこれからも見せていきたいと思っている。

もがき苦しむ様を見てほしい。

きっと共感する何かがあるはずだから。

僕もこれからも本音で向き合いたいと思います。


これを「子供だなぁ」と思うのならば、どうぞご勝手に。

「20歳以降になって大人になった感覚なんてないよねぇ」

なんて話をそのまま一生しないでほしい。


ただ、愚痴をこぼすだけにはしないようにしますね。

本音をぶちまけることと愚痴をこぼすことは違うので。



先の見えないトンネルを歩いているときは

”距離”を気にするが、

トンネルを抜けた後は”距離”を忘れてしまっている。

むしろより長い距離だったと都合よく記憶を改ざんするかもしれない。


僕はこの”改ざん”だけは絶対したくない。

結果を出して、後から振り返った時に、

ありのままの道程を皆さんと共有したいなと思います。


それが皆さんの”充実”につながったらいいなと思います。


最後に、中村麗乃さんはいいですよ。

どのような”アイドル”になるのか。

陰と陽をはっきりと兼ね備えた

彼女の揺れ動く様を応援できるのは今だけだなと思います。


ではでは。

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