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手術当日(子宮頚部円錐切除術)

8月23日(金) 休職51日目

ほとんど眠れないまま朝を迎える。
病院は21時に消灯されるが、日中は開放されている入口のドアも閉められ完全に孤立した感じがした。
この日この大部屋には私一人しかおらず、真っ暗で何の光もない中、たまに聴こえる別の部屋のナースコールと、夜勤の看護師が早歩きで廊下を歩く音が聞こえていた。

消灯1時間前に睡眠薬を服用しても入眠してから30分〜1時間で中途覚醒し、自宅以上に寝付きが悪かった。

今までの人生で夜眠れなくてここまで手こずることがなかったので不眠の辛さというものがようやく理解できた気がする。多分自覚がないだけで手術に対する不安が漠然とあるんだろう。音を遮断するため持ってきていたイヤホンで両耳を塞いでいた。

外が白んできてもう少しで夜が明ける頃、もう眠るのは無理だと観念して起きていることにした。眠たいのに眠れないってなかなかの拷問に近い。
今日は朝から検温、点滴も開始だ。
イヤホンをしたままベッド周りの仕切りのカーテンを少し開け、窓から見えるまだ仄暗い外の様子を眺めていた。

今日の手術は夕方からの予定。

朝は7時前に血圧と酸素濃度、寝ている姿勢で体圧の測定をされた。
昨日の夜から絶食のため、術後も明日の朝まで食事はとれない。先月までほとんど食べられず胃が小さくなっていたのか空腹はそれほど辛くなかった。

午前中は担当看護師が足首周りとふくらはぎ周りを測定し、サイズに合う弾性ストッキングを履くよう促された。術後血流を良くし、浮腫や血栓を予防するためらしい。
その後は主治医(執刀医)が「眠れましたか?」と様子を見に訪ねて下さった。眠れなかったと答えると「今日は麻酔で意識が落ちるので嫌でも眠れると思います。手術頑張りましょう。」と笑顔で声をかけて下さった。
私は今日二番目の手術予定。
予定時間は16時から。まだあと6時間もある。

昼前くらいから点滴を開始された。
点滴をされながらスマホで音楽を聴いたりしてのんびり過ごす。退屈だ。眠れないけど頭も回らないので手術の詳細を調べたり、同じ手術を受けた方のブログを読んでいるうちにあっという間に15時になった。担当看護師の方が来られ、どうやら先程緊急で帝王切開の手術が入り、次に控えている私の手術が遅れるかも知れないと伝えられた。手術に立ち会う家族に連絡して来てもらわなければならない為、大体でも良いので私の手術の開始時間が分かれば教えて欲しいと伝えた。

そして約1時間後、連絡がないまま「手術着に着替えますね、点滴があるので手伝います」と言われた。
長い髪の毛は結び目が邪魔にならないよう横で一つに束ねた。「ご家族の方来られました?」と聞かれ「え、前の方の手術もう終わったんですか?」と返す。どうやらすんなり終わっていたらしい。家族に連絡しないといけないから開始時間が分かれば教えてと伝えていたのだが…

なんというか忙しいからなのかも知れないが些細な伝達が内部で行き届いておらずちょっとモヤっとした。
実はこういうことが前回もあったのだ。
「近いので今すぐ連絡します。」と言い、家族の共有LINEにメッセージを送った。
10分以内に両親到着。病棟受付のスタッフと共に病室に入ってくる。
では行きましょう、と付き添いの看護師さんを先頭にエレベーターで三階の手術室に案内された。

着替えた手術着が背中開きのタイプで、動く度に肩がずり落ち背中がはだけそうになる。母が気にして歩きながら何度も後ろを直してくれ、手術室に着いた。

「では、ご家族はここまでになります。後ろにかけてお待ちくださいね」と促され、両親は待機。私は「じゃ、行ってくる」と軽く手を挙げた。
不安そうな表情の母に対し、父は「まあ、大丈夫だろ」って顔をしている。私も今回は子宮頚部の一部を取るだけだし、他の方の体験談でも痛みはないと聞いていたので未知の領域に多少の不安はあれど、そこまで緊張はしていなかった。

手術室に入ると主治医と第一助手、麻酔科の医師と手術室看護師2名の計5名が手術にあたって下さっていたと思う。お一人お一人に「宜しくお願いします」と頭を下げ、手術用の帽子を被せられ、早速手術台にあがり仰向けに横たわった。

ここでまず「それでは心電図を取り付けますのでちょっと後ろから脱がせますね」と言われ、背中側から手術着をはだけられた。なるほど、もし急遽追加で硬膜外麻酔などになれば背中側が開くほうが楽だなとその時気付いた。今回は全身麻酔なので点滴から麻酔薬が入る。心電図の管をつけられ、口には酸素吸入器を装着され「楽にして自然な呼吸をして下さいね」と言われた。ゆっくり呼吸をしていたらものの10秒もしないうちに意識がなくなった。

そこからどのくらいの時間が経ったんだろう。
麻酔で眠っている間に全てが終わっていた。
痛みも全く感じなかった。

名前を呼ばれ「◯◯さん、見えますか?これが採れた組織です」と、子宮頚部のくり抜いた組織を見せられた。
まだ麻酔薬でひどく眠たいのと、眼鏡を外しているのでよく見えず、私には直径3センチくらいの赤く染まった三角形の肉片?のように見えた。声がうまく出ず「確認しました」の返事の代わりに頷く。「手術終わりましたんでね、お部屋に移動しますね〜」と言われベッドごとガラガラと運ばれる。意識朦朧とする中、母の「お疲れ様」という声が聴こえた。

部屋に戻ったあと「もし、寒かったり暑かったり気分が悪かったらすぐ知らせてくださいね」と声をかけられまた頷いた。足元は太腿あたりから電気毛布をかけられていた。温かい。前回の手術ほど喉の渇きはないが、声が出にくい。意識が遠く眠たい。術後の感覚としてはこのくらい。麻酔が切れても痛みは全くなかった。この辺りで両親はあとは大丈夫ですと帰されたようだ。

施術自体は15分程度で終わったらしいが、後日手術室の外で待っていてくれた母曰く「入室してから出てくるまで50分くらいだった」と聞かされた。きっと尿道カテーテルを入れたり病衣に着替えさせてベッドに移したり後の処置が色々あったんだろう。

長い事微睡んでいたが、輸液の点滴でだいぶ麻酔は抜けてきた。担当看護師の方が点滴を取り替えるタイミングで大丈夫ですか?と声をかけて下さる。

目は覚めてきたが何だろう?
トイレにすごく行きたいような変な感覚。看護師さんに伝えると、尿道カテーテルが入っているので違和感があると思うが、自然にしていれば大丈夫ですと言われた。
眠気もだいぶとれた。深夜には完全に目が冴え、イヤホンをして目を閉じていたが、右手の指にパルスオキシメーター、右腕は血圧計が巻かれ30分おきに自動測定。左は点滴を繋がれ胸は心電図の管が繋がっており、左右どちらにも寝返りがうてない。また、点滴や排尿バッグの交換に来られる気配や物音でほぼ眠れなかった。
ベッドのリクライニングを調節して少し頭を起こして過ごしていた。
きっと入院てこんなものだろうな。

夜間目が覚めた時、点滴の様子を見に来た看護師さんから、主治医による水分摂取可の指示が出ていると聞かされた。飲食飲水禁止で1日経っていたので水分を取りたかったのだが、色んな管が繋がっていて床頭台に手が届かず、一度ベッドを手術室に移動させた為床頭台との距離が離れてしまいペットボトルが取れない…

泣く泣くナースコールを鳴らし、床頭台をベッドに近づけてもらい、足元の電気毛布で汗をかくので毛布の電気を切ってもらえないか頼んだ。

次回はベッドサイドに必要なものをすぐ取れる工夫が必要そうだ。

21時前に寝る前の眠剤を飲んだがほぼ効かず。
1時間おきに目が覚めたりウトウトしたりを繰り返していた。(翌日に続く)

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