『山田顯義傳』(日本大学)
「創立者の人格や識見」
本書は、2015・7・27読了の一冊。
この言葉は『山田顯義傳』(日本大学)が完成した当時に、大学の総長であった永田菊四郎氏の『序文』にあった言葉。
本書は非売品で市販はされておらず、各図書館に大学側から寄贈されています。
発行は昭和38年7月。
昭和34年10月、日本大学は創立70周年の式典を行うに際し、本書など、日本大学にゆかりのある首脳陣の伝記編纂を決議。
本書は、その流れの中で編まれたもの。
総頁1009頁。
巻頭には、明治21年10月の枢密院の憲法会議の図が収録されています。
ちなみに、これは日本大学が所蔵しているもの。
様々な、山田顯義伯の評伝や研究論文を拝読させていただきましたが、その当時の大学関係者の総力を結集したもの。
これほどの評伝を探すのはなかなか難しいのではないか、と思料します。
高杉晋作も絶賛した能力の持ち主。
明治4年、弱冠28歳にして、陸軍少将と兵部大丞を兼務。
また、同年、岩倉派遣団のメンバーにもその名を連ねます。
「小ナポレオン」というと、お分かりいただける方もあるかもしれません。明治18年12月には、司法大臣を拝命。
憲法・民法・商法などの編纂にも尽力。
その功績は、決して低くみられてはならないと、個人的には考えます。
また、吉田松陰の後継として、『日本精神を基調とする教育の必要性』という理想と信念をもって、現在の日本大学や國學院大學の設立にも尽力。
教育史のなかでも、高く評価されてしかるべき思いです。
まさに、当時としては、文武両道を地でいく人物といってもいいかもしれません。
その証左として、第6編『山田顯義と私事録』の第3章には『空齋文藻』として、詠まれた詩編が収録されています。
巻末には、年譜も収録されています。
山田顯義伯について、知りたいという向きには、外してはならない評伝だと思います。
その史料が限られていた、昭和38年に編まれたことは、画期的だと感じます。
あらためて、母校・日本大学の総合力のすごさを感じます。
P590〜605には、高松宮家本、伊藤家本そして岩倉家本と対比させる形で、「憲法按」が掲載されていますので、ご参考までに。
山田顯義伯により、設立された『日本法律学校』を前身とする日本大学に学べたことを誇りに感じます。
所蔵していただいている、富山県立図書館にも感謝の氣持ちをあらわしたく存じます。