「日本大学」の校名について
日本法律学校を「日本大学」と改称するにあたって、文部当局が難色を示したことをご存知でしょうか?
もしかしたら、「日本大学」と呼称することがなかったかもしれないということです。
そのことを、当時の講師中村進午が語っているところを抜き書きしておきたいと思います。
(参考文献:「日本大学百年史」第一巻、P497・498)
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中村進午 回顧談(法学博士・東京高等商業学校・日本大学常務理事)
日本法律学校を日本大学と改称するについては、文部省において相当に難色を示した。
文部省が幹事の戸水寛人君を呼んで、「日本法律学校ならば日本の法律を教授する学校であるから議論の余地はないが、日本大学ならば日本を代表する国立の大学と思われるおそれがある。なんとか別名にして欲しい」というわけである。
しかし戸水は本学の幹事ではあるが、東京帝国大学の教授としても知名の士である。
日本大学の校名が悪いならば、杉浦重剛の日本中学の校名はどうなのか、それを承りたいといって引きさがらなかったという。
(第一章「専門学校令の制定と日本大学」<二・「日本大学」の校名について>)
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本書には、松波仁一郎の回顧談も載っていますが、これは本書に直にあたっていただければと思います。
こうした先人の労苦があって、「日本」と冠することになった経緯を知っておくべきだと感じます。
先人の粘り強い労苦に、感謝する次第です。