「水の覇者」(日本大学水泳部)

<水泳部の沿革>
大正14年に学生集会の準公認団体として発足。
当初の練習場所は、雑司が谷の本学専属プール。
大正15年に公認団体となり、柴又に25mプールと合宿所を確保。
因みに、水泳部の創部は昭和2年となります。

〇昭和2年9月、芝プールで開催の慈恵医大・拓大との三大学対抗競泳大会で優勝。
〇昭和3年7月、法大・拓大・東京商大・明治薬専等12校連合水上競技大会において圧勝。

昭和6年には、碑文谷に50mプールを開設。

昭和7年のロスアンゼルス・オリンピックには、遊佐正憲と豊田久吉が出場し、800m自由形リレーで優勝、400m自由形では杉本盛が5位入賞。
(補記:この大会には陸上競技部の鈴木房重がマラソンに、奈良岡良二が競歩で出場しています。山の神たらなんたらかんたらマスコミはいいますが、鈴木房重氏こそ、今で言うなら、「山の神」。これは駅伝ファンにも知っていただきたい。)
ついで、ベルリン・オリンピックには、競泳の遊佐正憲、葉室鉄夫、飛び込みの柴原恒雄が選手に選ばれました。

遊佐正憲はロスアンゼルスにつづき800m自由形リレーで優勝、100m自由形で2位。
葉室鉄夫は200m平泳ぎで優勝。
柴原恒雄は飛板で4位、高飛び込みで6位。

日本大学水泳部は、先の大戦のため、第12・13回を欠場、戦後すぐの第14回をのぞき、第10回オリンピックから第19回メキシコ大会までの7大会すべてに選手を送り込み、入賞を果たしたりしたことから、「水の覇者」としての地位を確保した。

(補記:2009年に優勝した時には、葉室鉄夫氏が祝勝会に駆けつけておられました。蛇足ですが。
この水泳部の先の大戦前の活躍と前後して、陸上競技部の昭和10年からの箱根駅伝4連覇が続きます。ちなみに初出場は大正12年。)
(補記:応援歌「水の覇者・日大」の歌詞には、葉室氏と遊佐氏の名前が織り込まれています。このような応援歌は他校にはないかと存じます。)

(動画の6:40あたりから応援歌「水の覇者・日大」が始まります。その歌詞にご注目ください。)

<写真の引用文献:「日本大学の九十年」(P63)>

(引用文献:「日本大学百年史」第二巻・P461~464)

日本大学水泳部独自の動画を貼付しておきます。

以前、2009年に、森田智巳選手や現コーチ(前の池江選手のコーチ)を擁してインカレを制覇した時の水泳部の祝勝会での葉室鉄夫氏のスピーチがYouTubeにありましたが、今回、検索しましたが、見つかりませんでした。
こんな葉室氏の映像を見つけましたので貼っておきます。



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