「司法の日本大学」と言われる由縁。
『日本大学百年史』等に載っている史実の整理を兼ねてご紹介します。
Facebookでもありました。
また5chあたりでは、日常茶飯事のようです。
そんな方々に問いたい。
この数字を見て、何と思われますか?
そしてどうこの数字を説明されますか?
最近の日本大学の状況しかご存じないかと思います。
戦後の日本大学の数字からは想像できないと思いますが、読んでみていただけたら、と思います。
言いたいことがあるなら、言ってみろい!って。
母校でも教鞭をとられたこともある、秦郁彦氏の『官僚の研究』にこんな数字が上がっています。
私が拝読した新書をはじめ、多くの著作で引用されております。
あまり長くなってもあれなので、帝国大学そして私立学校、その他の学校を5位まであげておきましょう。
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「高文(高等文官)行政科合格者学歴内訳(1894~1947年)」
※今の国家公務員のキャリアと言われるための試験です。
※合格者9665名の内訳(人数)。
1位・東大 5,969
2位・京大 795
3位・中大 444
4位・日大 306
5位・東京商大(高商) 211
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あれ?という方がほとんどと思います。
中央大学さんが多いのには、赤門VS白門といった構図もありますが、この事実、想像できましたか。
日本大学の歴史「に」学んだ人間にとっては何ら不思議なことではありません。
早慶が5位までに入ってこないわけもありますし、通信官吏練習所が早稲田の次にランクされている(8位)のにもちゃんと訳があります。
今でいう、GMARCHで10位までに入っているのって、早稲田(7位)と明治(9位)だけ、そのほかの学校は入ってないんですよ。
また、『日本大学百年史』(第2巻)には、本文の記述部分とともに以下の註書等がほどこされています。リスト形式で、参考に供したいと思います。--------------
《大正9年各種試験合格者実績》
〇高等試験行政科合格者 6名
〇判検事試験合格者 16名
〇弁護士試験合格者 50名
(数字は「日本法制新誌」によります。)
《大正10年各種試験合格者実績》
〇高等試験行政科合格者 4名
〇判検事試験合格者 17名
〇弁護士試験合格者 136名
(数字は「日本法制新誌」(第19巻6号)によります。)
《大正11年各種試験合格者実績》
〇高等試験行政科合格者 4名
〇判検事試験合格者 24名
〇弁護士試験合格者 163名
(数字は「日本法制新誌」(第20巻4・6号)によります。)
判検事と弁護士で244名という、当時の山岡氏の学事報告もあります。
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これだけの合格者を出した秘密は、刑法を主専攻とする山岡萬之助らによる「日本大学研究室」(通称山岡研究室)という私塾的組織によるところが大きい。
これらは、主に夜間に行われていました。
日中に行われていた中央大学さんとはその性質を異にします。
言えることは、
1・当時から東大は国家公務員(キャリア組)育成の学校であった、
2・早慶は建学の精神から、こうしたところに必ずしも注力していない、3・これは私見ですが、日本大学の前身・日本法律学校を設立された経緯もありますが、日本各地から、貧しいながらも、志を持った学生が集まったことそしてそれを支援するシステムが日本大学にはあったということです。
そうしたことも史実として、「日本大学百年史」などには記されています。先の大戦前から、苦学生が多く、それを支援するシステムが確立されていたこと、そして他校が法学部2部(夜間)を廃止するなか、日本大学には法学部2部が存在しています。
その意味が少しはご理解いただけるのではないか、と思います。
記述不足などありましたり、誤認識がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。
《参考文献》
〇「官僚の研究」(秦 郁彦)
〇「学歴フィルター」(福島直樹)
〇「日本大学百年史」(日本大学)