ざらつく人材育成
30代後半に足を突っ込んだという絶妙な年齢がかもしだす風格?のせいか、たまに言われるわたしのおかん感?のせいか、それともただ単に流行っているのか、ちかごろ、「当人の内発的動機を引き出す人材育成」について語るひとに出くわすことが多い。
「作業だけできてもだめなんだ、内発的動機を見つけてほしい」
「自分がほんとうにやりたいことに、主体的に取り組んでほしい」
「すでにあるものの模倣ではない、自分らしいことに取り組んでほしい」
とっても素敵なことだけど、実はちょっと食傷気味。
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なぜ食傷気味かというと、内発的動機や主体性や自分らしさを大切にしたほうがいいというのは、そりゃあその通りで、抑圧するなんてもってのほかだけれど、ひとによって、またはタイミングによって、程度というものがあるのではないか、と思うから。
それなのに、まるで「ただしい」発揮の仕方があるような、発揮しないことが間違っていることであるような論調で語られると、わたしのひ弱な胃腸はすぐにもたれてしまう。
それ、きっとあなたが否定したい、
「画一的な指標で人材の評価をすること、押し付けること」
「みんなと同じジェネラリストを育てること」
に、なっちゃってません・・・?たぶんなっちゃってますよ・・・?と不安でたまらなくなる。
それに、内発的動機を「引き出す」っていう言い回しもこわい。
え、わ、わたしからなにを引き出すの・・・!?(怯え)とぞっとするし、そもそもそんなの、すごい能力者で、まるで神さまな新通力でももっていないと、常人には「引き出す」は無理ではないか・・・?
それってつまり、他者を「変える」ってことでしょ!?他者を「変える」なんて、人生37年、結婚して8年、子育て歴5年、そんなの無理だということは痛いほどわかっている。
そんなことをしらっと言えちゃうのは無神経だし、そもそも、誰かから「こいつを変えてやろう、こいつ本人のために!」と思われているのって、恐怖以外のなにものでもない。
しかし、こういった発言をしているひとや組織は、はた目には「自由なチャレンジを奨励してくれる」「成長できる」というポジティブな環境なので、そこにいる当人たちも周囲も、疑問をもちにくい。
なんとなく違和感があるなあ・・・しんどいなあ・・・でも、この考えかたが間違っているはずはないしなあ・・・ともやもやしているひとは、意外と多いのではないかしら。
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そんなあなたもわたしも、成長主義者が苦手なのだと思う。
「前進すること、進化すること」が正義で、よろこびで、
「できないひとができるようになるために、助けてあげよう、それが彼の / 彼女のためだから」と純粋に信じているひとたちは、やさしくて、ピュアで、ちょっとこわい。
作業だけできてもだめ。内発的動機を持て。という言葉の、人間を一面的にのっぺりとらえている感じ。
自分がほんとうにやりたいことに、主体的に取り組んでほしい。という言葉の、余計なお世話です感。
すでにあるものの模倣ではない、自分らしいことに取り組んでほしい。という言葉の、ゼロから生み出されたものでなければクリエイティブとかイノベーションとは認めませんという傲慢さ。
ものごとは、ひとは、もっと複雑で、多層的で、多面的だから。
そういうことを、自分自身もわすれてしまっていないか気をつけながら、自分が否定したかったものに自分自身がなってしまっていないか省みながら、生きていこう。
あなたもわたしも、まあるいテーブルを囲んで、あったかい炬燵にすぽっとささって、すこしずつ移りかわっていくいまをたのしむような、そんな場所で生きていきたい。
という、宣言。