失うことへの恐れと、自己の消失
もう5~6年も前、私が一番人生のどん底にいたときのことを、ここ最近はあえて思い返してみていた。
あのときはどんな感覚だっただろう、
あのときは何を思っていただろう、
今ではもうすっかり忘れ去ってしまっていて、遠い昔のような記憶になっていたからこそ、
もう一度振り返ってみたくなった。
振り返ると、そのときの自分の周りにいた人たちは、今の私の周りには一人もいない。
今築いている人間関係は全て、ゼロから築き上げた人たちだった。
当時は、ただただ孤独で、人生で一番孤独を味わった時期。
見知らぬ土地で、家族も側にいない。心を通わせられる友人もいない。地元の友達とまで言えるかどうかわからない存在とも当然疎遠。唯一の支えだった恋人とも別れた。
誰とも何も言葉を交わさない日なんかザラだった。
誰のことも信用できず、周りの人をみんな警戒し、自分から遠ざけた。誰にも心を開かず、とにかく自分の殻にばかり閉じこもる毎日。
「寂しい、助けて」とSOSを出したかったけど、出し方もわからない。弱いボロボロの自分を見せたくなかった。たった一人で生きていける、強い自分のフリをしたかった。
孤独を極めたからこそ、誰でも良いから人と繋がりたくて、表面的に色んな人と関わろうとしていた時期もあった。
無理して社交的なフリをしたこともあった。無理して人との繋がりを作ろうとしていた時期もあった。
でも、心の底では、そうして繋ぎ止めた人たちは、私にとって本当に大切な人たちではないとわかっていた。
そうして見栄ばかりで築いてきた人間関係では、自分の心は満たされないことも知っていた。
だから、たった一人にだけ、自分の全てをさらけ出してみた。本気でぶつかってみた。本気で心を通わせられる存在が欲しかったから、試してみた。
本気でぶつかれば、ちゃんと本気の人間関係を作ることができることを、そのときに知った。
だから、もういっそ全部手放そうと思った。
これまで必死に自分で作り上げてきたと思っていた人間関係も、全部本物じゃないとわかってしまったから。
これまで繋いでいた関わりが無くなってしまったら、私はほぼ全ての繋がりを失うことになる。
でも、もういいやと思えた。つながり続けていたいという思いや、手放したくない気持ち、自分には繋がりがあるという実感への執着も、それら全てを手放せるかどうかが、今の自分に問われていると思った。
所詮、自分が表面的なところでしか繋がることができなかった人たち。偽りの自分で接してしまった人たち。たとえ失っても何も怖くないと思った。
でも、そうして手放したからこそ、今は心から尊敬する人、信頼できる人、真剣にぶつかれる人、表面ではない深い会話ができる人、そんな人と繋がれている。
お金が、冗談抜きでほぼゼロになったことも何度もあった。
もうどうしようもないくらいギリギリの状態だったこともあった。
先のことなんか見えないこともあった。
それでも、なんとかこうして切り抜けてきて今がある。
失うものは何もないと言えるような状況を色々抜けてきたから、
何があってもどうとでもなる、ということを、心から体感している。
今、私にとって、失って困ることなんか、何一つもないと思える。
ゼロを味わったことがあるから、失うことへ執着しない。
今の生活や、仕事、人間関係、家族、これまでの努力の証、それを全て失っても、そこにはただの自分が存在しているだけ。
もちろん、人として怖さはあるけれど、でも同時に「そこからいくらでも人生をクリエイトできる」とわかっているから、もう抵抗もしない。
ゼロ地点を知っているから、またゼロから積み上げていけば良いだけ。
孤独を知っているから、怖くない。また一から築いていけば良いだけ。
むしろ、「ゼロ」状態って、どこにでも進める無限の可能性しか秘めていない状態。
抱えてきて積み上げてきた荷物が多ければ多いほど、それが無くなるのが怖くなる。
積み上げてきたもの全てを、『それが自分である』と錯覚してしまうから、それを失うのが怖い。自分という存在がなくなるように感じるから。
でも、実は積み上げてきたものたちに、『自分』という面影は、何一つもない。
この人生を終えたら、あの世に持って帰るものなんか、何もない。
よく言われるように、今周りにあるものの中で、生まれてきた瞬間に身につけていたものなんて、この身一つだけ。
今がどうかは関係ない。会社がどうとか、役職がどうとか、家族がどうとか、友人がどうとか、世間体がどうとか、それも本当は幻想でしかない。
「そんな極論を・・・」なんて思うかもしれないけれど、それが真実。その事実を、心の奥底ではわかっているはずだけど、認めるのが怖いだけなんだよね。
『自分である』という幻想を、肥大化させないこと。
一生懸命に保ってきた『自分らしきもの』に固執しないこと。
幻想を取り除いて残るのは、空(からっぽ)。
本当は、自分は何物でも無い。何も残らない。それが自分の本質。
おしまい。