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追いかけるほど、手に入らない?魂視点での『お金』の仕組み

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今回は、恐らく誰もが気になるであろう『お金』がテーマの記事になっているのですが、

そもそもあなたは以下のような気持ちを今感じていますか?


  • もっと安定したお金を得て、早く安心したいな・・・

  • もっとお金があったら、将来安心なのにな・・・

  • ずっとお金が欲しいって思っているのに、ずっと満足するくらい得られない・・・

  • いつもいつもお金への不安が消えない・・・


そう感じている方ほど、この記事のタイトルにある、

「お金は追いかけても追いかけても手に入らない・・・」

ということを、強く痛感されているのではないでしょうか?


そんなあなたにこそ、この記事を最後まで読んで頂けたらなと思います。


なぜなら、この記事を読んで頂くことで、

『お金』というものに対しての捉え方自体が覆り、

かつ、

『お金』を望むだけ手に入れるためにはどうしたら良いのか?

のような、

『お金』への悩みを根本から払拭していくためのお金との向き合い方

について、より明確にハッキリと理解して頂けるようになるからです。


それでは、早速いきましょう!


『お金』の悩みは、『お金』への"無知さ"が故に生じるもの

そもそも、私たちが『お金』というものに対して悩みを抱くとき、

それは、『お金』という概念に対しての無知さが強く影響していることがほぼほぼです。

"『お金』への無知さ" とは、何も、お金の管理術とか、節約術とか、資産形成の知識とか、そういうことじゃないですよ。

それらの術というのは、物質的な『お金』の出入りを把握し、『お金』を現実的に守るための知識なので、既に今あるお金を上手にやりくりし、「確実に増やす、確実に守る」ことはできるかもしれません。


でも、上記を学んだとしても払拭されないものがあります。


それは、『お金が足りない』という "意識" や "感覚" です。


いくら、現実的な方法によって、お金の出入りを把握し、確実に守り増やす方法を学んだとしても、

『お金が足りない』という意識が払拭されずに残り続けている限り、
あなたにとって満足できるだけの『お金』を得られることは、まずありません。


ですので、その『お金』に対して不足の意識自体を払拭していくためにも、

私たちはまずは、

お金とは何なのか、
お金とはどのように増えるものなのか

という、『お金』という "概念" について、深く理解をしなければいけません。


というのも、多くの人は『お金』というものを、

  • 価値があるもの

  • それがあれば物が買える

  • 労働の対価でもらえるもの

みたいな、これくらいの認識しか抱いていないはずです。


でも違うんですよ、本質は。


それなのに、上記のようなレベルの認識でしか『お金』というものを捉えられていないが故に、

つまり、『お金』というものの本質を理解できていないが故に、

私たちはいつも、『お金』というものに振り回され、翻弄され続けてしまうのです。

私自身も、『お金』というものに翻弄され続けていた一人です(笑)


『お金』とは、私たちが普段頭で抱いている認識を遙かに超えるほど、奥深くて、実に宇宙の真理をよく捉えている『概念』なんですよ。

そう、お金って、『物』じゃなくて、『概念』なんですよ。

(と急に言われてもちんぷんかんぷんですよねw)


『お金』というものに対しての "概念" をそもそも理解していない上で、

表面上のお金の管理術とか資産形成の方法とかを学んだとしても、本質改善には繋がらないんですよね。

だからこそまずは、「この世の『お金』 についての大原則」と題して、『お金』という概念を理解する上で欠かせない原則についてお伝えしていきます。


この世の『お金』 についての大原則

大原則その1:私たちが欲する『お金』には2種類がある

まず1つめの前提は、

私たちが欲する『お金』には2種類がある

というものです。


私たちはよく、『お金』が欲しいといいますが、

そもそも、そのときに私たちが意図している『お金』には、2種類があります。


『攻めのお金』と『守りのお金』です。


『攻めのお金』というのは、

自分に対して、新たな経験や体験、変化をもたらしてくれるためのお金

です。

わかりやすい例でいうと、例えば

  • 新たな勉強するための学費が欲しい

  • 起業資金が欲しい

  • 新しいことに挑戦するためのお金が欲しい

  • 自分がやりたいことを実現できるためのお金が欲しい

そう感じているときのお金というのは、こちらに当たります。


この『攻めのお金』に共通しているのは、「今後価値が増幅する」という点です。

投資資金と似たようなものですね。投資というのは、その投資した額以上の利益が見込めるときに行う支出ですよね。


わかりやすい例として『投資』を挙げましたが、別に、数字として現実的にお金を増やすものじゃなくて良いんです。

「新たな経験や体験、変化をもたらしてくれる」ためのお金なので、

その『お金』によって、何らかの『価値』(=体験の価値、感情的価値など)が増えればOKです。

その、支払った『お金』以上の価値が見込めるような、そんな体験をもたらしてくれるために使われる『お金』というのが、『攻めのお金』です。


一方で『守りのお金』とは、

心理的安心や安定をもたらしてくれるためのお金。

を指します。

何か新たな体験や経験、変化を『得る』という動機ではなく、

つまり、価値を『増幅させる』という目的ではなく、


どちらかというと、

なるべく変化を避け、現状の価値を『保つ』、もしくは『失わない』という目的に使われるお金ですね。

『維持コスト』みたいなイメージですかね。


わかりやすい例でいうと、例えば

  • もっと安心できる貯金が欲しい

  • もう働かなくて済むくらいのお金が欲しい

  • 不安にならないために、十分なお金がほしい

  • 常に安定して存在し続けてくれるお金が欲しい

  • 自分の社会的ステータスを守る(保つ)ためにお金が欲しい

こんな時に用いられる『お金』という言葉は、『守りのお金』という意図で使われています。


そして、ここがややこしいところですが、

私たちが『お金が欲しい』と思うとき、

頭では『攻めのお金』を欲しているつもりでも、実は自分が本当に欲していたのは『守りのお金』だった・・・

ということも、よくあるものです。


そして、その自分が欲している『お金』というのが、

『攻めのお金』なのか、それとも
『守りのお金』なのか・・・

によって、その『お金』の手に入りやすさが全く異なります。


それはこの先でじっくり触れるとして。


まずは、『お金』には大きく2種類が存在しているのだ、ということを、ここでは押さえてみてください。


大原則その2:『お金』は、本当に欲しているものを得るための『道具』でしかない

私たちはよく、『お金』が欲しいといいますが、

厳密に言うと、私たちが本当に欲しているのは『お金』ではありません。


そもそも、お金とは、道具でしかありません。


これ、よく言われる話ですが。

お金って、ただの紙切れ、もしくは金塊ですよね?

それが『お金である』という認識があるからこそ、ただの紙切れや金塊に対して価値があるかのように錯覚してしまいますが、

もしそれに『お金』『貨幣』という名前がついてなかったら、そもそもそれは価値を生み出さないことになります。


それに、『お金』は、それ自体がただ存在していても、価値はありませんね。


例えば、外国の紙幣が道ばたに落ちていたとしましょう。その国では、その紙幣は価値がある物かもしれません。でも、それが日本に存在しているだけで、その紙幣の価値はゼロなのです。日本では、それ自体を使って、物と交換することはできないからですね。

(あ、「日本円に換金すればいいじゃん」というのは、違いますよ。それも、『外国紙幣のままだと価値がない』という裏返しですよね。それと同等の日本の紙幣に交換しなきゃ価値がない紙幣=そのままの紙幣では価値がないということですよね。)


『お金』に価値があるように感じるのは、『お金』があることによって別の何かを交換することができるからですね。


 つまり、交換先があって始めて、『お金』には価値が生じるということ。


仮に、誰もいない砂漠の真ん中で、『お金』だけが存在していたとしても、その『お金』は価値を持たないですよね。

いくら『お金』があったとしても、それを交換する先が存在していなければ、いくら手元に『お金』があったとしても、その『お金』には価値がないことになります。


つまり、私たちが「『お金』が欲しい」と思っているとき、

本当は、『お金』自体を欲しているわけではないということです。

『お金』という道具を通して、交換したい『何か』があるということ。


その交換したい『何か』こそ、私たちが本当に欲しているものであり、

仮にもしそれが十分に得られることができたら、私たちの中から「『お金』が欲しい」という思い自体が消えるということです。


なぜこんなややこしい哲学みたいな話をしているかというと、

私たちって、

「お金はあればあるだけいい」とか、
「お金がないと不安」とか、

そういうことを漠然と抱きがちだからなんですよね。


お金はただ単に、本当に欲しいものを手に入れるための手段の一つでしかないわけなのに、目的と手段を安易にはき違えてしまい易いというか、

自分が本来欲しているものをしっかりと自覚していないにもかかわらず、

ただなんとなく「お金が欲しい」「お金が足りない」って思ってしまう。

そして、本来欲しい『何か』ではなく、それを得るための手段の一つでしかない『お金』ばかりを求めようとしてしまう。


本当は、『お金』がなくなることが不安なのではなくて、

『お金』によって本当に手にしたい『何か』が得られないことが不安なだけなのに、

なぜか『お金』を手にすればその不安が解消されると勘違いを起こしてしまう。


だから、おかしなことになるんですよね。


なので、このあたりの認識がついつい誤解をされてしまいやすいところなので、あえてこの、お金が持つ概念的なところを強調させて頂きました。

是非今一度、上記の部分について押さえておいてみてくださいね。


補足:『お金』を通して欲しているもの

『お金』が、自分にとって本当に欲しい『何か』を手に入れるための手段の一つでしかないとお伝えしましたが、

その『何か』とは、人によって全く異なりますし、必ずしも『物質』ではなかったりします。


というか、頭では「お金を通して何か物(物質)が欲しい」と思っていたとしても、


本当の本当に欲しているのは、

その『物(物質)』を通して得られる、『非物質的な何か』
=感情だったり、体験だったり、他者の承認だったり、信用だったり、他者からの愛だったり・・・

であることがほとんどです。


例えば、

「もっと良いバッグが欲しい」

と思っていて、そのために『バッグ』が欲しいと思っていた場合。


一見、自分が欲しているのは、『バッグ』という物質のように見えますよね。


でも、もしその人にとって、その『バッグ』が欲しい理由が、

  • 周りから憧れられるものを身につけたい

  • 自分が好きな雰囲気や世界観をより忠実に表現コーディネートを組みたい

の場合、その人が『バッグ』という物を通して本当に欲していることは、

" 理想的な『世界観』を表現すること " や
" 周囲に対して自分が与えたい理想の『雰囲気』を手にすること"
それを手にできたときの、ウキウキやワクワクといった " 感情 "

だと言えます。


一方、同じ『バッグ』を欲していたとしても、その理由が

  • もっと使い心地が良くて機能性が高いバッグを使いたい

  • バッグの中がいつもごちゃごちゃするのが嫌

  • 持ち歩く荷物が多いからこそ、スムーズに物を取り出せるようにしたい

みたいな理由だった場合、その人が『バッグ』という物を通して本当に欲していることは、

日々のちょっとした " 効率性/快適性 " とか " 心地よさ "、
" (物を探す)時間を短縮できること "

等であると言えます。


上記のような例を通して、

私たちが『お金』を通して本質的に欲しているのは、『物質』ではなく『非物質』であることがよくわかって頂けるかと思います。


その『非物質』とは、

根っこは大体は人の『感情』に結びついている何かです。私たちはなんだかんだ、情緒的なものを最終的には求めているということです。


まあ、何はともあれ、私たちは、そのお金を通して得たい何かがある。

そこをここでは押さえておいてください。



大原則その3:お金を『安心』の対価にしている以上、お金は手に入らない

先ほど、お金には『攻めのお金』と『守りのお金』の2つが存在しているとお話ししました。


それに絡めて、大原則なのですが、

お金というのは、『それを手にして安心したい』のように、

『安心を得る』が目的になっている以上、それは決して得られないようになっています。

つまり、『守りのお金』を欲している以上、その目的を叶えさせてくれるようなお金は、絶対に手にれることができません。

どういうことか?詳しく説明していきます。


そもそもですが、
あなたはなぜ『安心』できるお金が欲しいと思うのでしょう?


それについて考える上で、


「その安心が手に入ったら、自分は果たしてどうなることができると思っているのか?」


ということに、思いを巡らせてみてください。


  • ずっと好きなことをして生きていける?

  • 不安に駆られることなく、平穏な毎日を過ごすことが出来ている?

  • 日々穏やかに安定して暮らせる?

  • 毎日楽しく家族と暮らせるようになる?

  • 欲しいものや好きなものを気兼ねなく手にすることができる?

色々、思いつくかもしれませんね。



じゃあ、それを得た先で、あなたはどうしたいんですか?

その『安心』が得られたら、その先であなたはどうなりますか?

そう考えてみたとき、どんな思いが出てくるでしょうか?ちょっと考えて見てください。







きっと、『安心』だけを欲していた場合、ここの返答に困るはずです。


なぜなら、『安心』だけを欲していた場合、その先にあなたの能動的な意思は存在していないからです。

受動的な考えしか出てこないはず。


例えば、

今の不安から解放されるのなら、それでいい

とか

今よりもラクに暮らせるなら、それでいい

とか、

今よりのんびり暮らせるようになるなら、それでいい

とかね。


結局、『安心』を求めている人は、

上記のような『今よりもマシ』な状況を求めてるだけなんですよね。

能動的に「これをしたい!」とか「もっとこれを実現したい!」とかじゃなくて。


そういう望みしか持っていない場合、そこにお金は巡ってきません。


つまり、こういうことを言えます。

お金は、能動的な意思が伴わない望みは好まないし、そういう望みを持つ人には近づかない。

ということ。


なぜか?


それは、次の『大原則4』でお話しします。


大原則その4:お金は、自分の○○を発揮させるための原動力としての役割を担っている

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