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魂の成熟プロセス④:エリクソンのライフサイクル論と、魂の成熟プロセスの関係性
ご興味あるマニアの方、お待たせしました(笑)
魂の成熟プロセスについての解説シリーズ第4弾です♪
今回もかな~りマニアックな話になっていますので、ご興味ある方だけお付き合い下さい(笑)
魂の成熟プロセスについての解説シリーズ第1~3弾の記事はこちらから👇
マガジンにもまとめています♪ 👇
エリクソンのライフサイクル論と、魂の成熟プロセスの関係性
前回までの記事では、
マズローの欲求5段階が、魂の【統合フェーズ】の段階とリンクしているということについて言及したのだが、
もう一つ、魂の成熟プロセスと関係性が深い理論がある。
それは、心理学者のエリクソンが提唱したライフサイクル論(発達段階理論)。
ライフサイクル論についてご存じない方に簡単に説明すると、
これは、人間の人生の一生を以下の8つの段階👇
・乳児期(0〜1歳半)
・幼児前期(1歳半~4歳)
・幼児後期(4歳~6歳)
・学童期(6歳~12歳)
・青年期(12歳~20歳)
・成人期(20〜40歳)
・壮年期(40〜65歳)
・老年期(65歳〜)
に分けて、それぞれの段階において、人間が成長するために乗り越えるべき社会的な『課題』と、それを乗り越えられなかったときに直面する『危機』を体系化したものである。
それぞれの期においてテーマとなる『課題』を簡単にまとめると、以下の通りである。
・乳児期(0〜1歳半):基本的信頼の獲得をすること
・幼児前期(1歳半~4歳):自立性の獲得をすること
・幼児後期(4歳~6歳):自発性の獲得をすること
・学童期(6歳~12歳):勤勉性の獲得をすること
・青年期(12歳~20歳):アイデンティティの確立をすること
・成人期(20〜40歳):親密性の獲得をすること
・壮年期(40〜65歳):生殖性(社会貢献)を発揮すること
・老年期(65歳〜):自我の統合をすること
ライフサイクル論における、各年代の『課題』とは、「一般的にその年代にある人が、課題として直面しやすいもの」でもあり、
かつ「その年代を過ぎたらそれは課題ではなくなる」、という単純な話ではなく、
むしろ、人生の中において取りこぼした『課題』というのは、それを乗り越えない限り、生涯を通じて何度も向き合わされる『課題』として現れ続けてくると解釈されている。
そうして人生で都度直面する人生の『課題』と向き合っていきながら、ライフサイクル論にいて最後の発達課題として待ち受けているのは、
老年期における『自我の統合』である。
つまり、人生において向き合うべき『課題』と都度向き合ったり、取りこぼした『課題』を取り返したりしながら、それを乗り越えていく過程で、少しずつ『自我の統合』へと向かって行くということになる。
エリクソンのライフサイクル論と、マズローの欲求段階説の共通点
エリクソンのライフサイクル論では、最終段階が
老年期(65歳〜):自我の統合をすること
となっており、
マズローの欲求段階説においては、最終段階が
自己実現欲求:自分の能力や可能性を最大限に発揮し、充実した人生を送りたいという欲求
ーーーーーーーーーーーー
自己超越欲求:個人の枠を超えて他者や社会、人類全体に貢献しようとする欲求
となっている。
この最終段階の解釈が、共通していると感じていて。
エリクソンのライフサイクル論も、マズローの欲求段階説も、どちらも、最終段階が『自我の ”統合” と ”超越” 』にあたると言える。
つまり、エリクソンのライフサイクル論も、マズローの欲求段階説も、下層から段階が上がっていくにつれて、次第に【自我の統合】や【超越】に向かうようになっている、と捉えることができるのだ。
(振り返り)インナーチャイルドの癒やしのプロセスについて
以前、こちらのブログで👇
インナーチャイルドを癒すプロセスというのは、
幼少期に両親から期待したように受けられなかった(と自分が思い込んでいる)"愛"を、大人の自分が再度取り戻していくプロセスである
と書いたのだが、
インナーチャイルドを癒やすプロセスというのも、
各年代で受け取るべき親からの【愛】というものを、大人になってから再度獲得し直していく
=過去に取りこぼした【愛】に対しての『課題』を取り返していく
というプロセスであると言える。
これを、さらに抽象度を上げて表現すると、
過去に取りこぼした『課題』を、大人になってから取り返していく
=自分の中で統合されていない何か、分離されたままになっている何かを、自分の中で統合していく(分離を中和して1つにしていく)
とも言える。
こう言った観点からも、
インナーチャイルドの癒やしのプロセスも『自我の統合』のプロセスの一つであると言え、つまり魂の成熟プロセスそのものであると言うことが出来る。
『インナーチャイルドの傷』への誤解
そのため、インナーチャイルドの癒しにおいては、あたかも
もしも、各年代で、親から適切に『愛』を受け取る経験をしていたら(完璧な子育てを受けることができていたら)、インナーチャイルドの傷付きは生じずに、大人になってから葛藤を抱かないはずだ
みたいな幻想を抱いてしまい易いが、私はそうではないと思っている。
【人生】というものが、私たち魂にとって、【魂の成熟プロセス】の過程を体験するためのものであるとしたならば(つまり、魂が【魂の成熟プロセス】を "体験" しに地球に来たのならば)
その成熟プロセス(『分離』→『統合』に至るプロセス)を体験できないような人生は設計しないはずなのだ。
つまり、最初から魂の成熟プロセスを歩む必要がないくらい完璧な人生ならば、そんな人生をわざわざそれを肉体に入ってまで体験しにはこないはずなのだ。
つまり、地球に人間として生きている以上、
魂の成熟プロセスにおいて必要となる【愛の不足】や【分離】の体験や、
それが故の葛藤(=インナーチャイルドの傷つき)は、
全員が大なり小なり経験しているはずである、
と言うことが出来るのだ。
魂の成熟(統合)プロセスの流れと、心理学理論との関係性
そもそも、私たちは肉体を持つ以前は【魂】の存在だったと言われるが、
魂の存在というのは、
愛に溢れる存在
既に完璧・完全である状態
全てが足りている・満ちている状態
である。全てが完璧で、欠けているところは何も無い状態というのが、魂本来の状態なのである。
そしてその『完璧・完全』な状態から、肉体に入る際に、あえて
愛が欠けている・愛が足りない・愛に飢えている
自分は何かが欠けていて、不完全である
何かが足りない、不足している
という勘違いを抱き、『分離』を体験するようになっている。
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その【分離】というのが、
インナーチャイルドの理論で言えば、インナーチャイルドの傷つき(愛情の取りこぼし)であり、
マズローの欲求段階説において、低次の欲求が満たされていない状態であり、
エリクソンのライフサイクル論において、『発達課題』が未達な状態である。
そして、その『分離』における課題を一つ一つ取り返していき、
最終的には、全てが『統合』された状態=『自我の統合』を目指していくというプロセスによって、
魂本来の意識を思いだし、魂本来の自分へ戻っていく―
そのプロセス全てを、魂は体験しに来ているということ。
そして、人生において、人間としての『課題』と向き合い克服していきながら、『自我の統合』がなされたとき、
それがイコール【統合フェーズ】の完了であり、【拡大フェーズ】へのスタートでもあるということ。
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そして、この『分離』していたものを『統合』していくプロセスにおいては、
私たちは自分自身の中にある『陰』と向き合う必要が出てくる。
【陰陽の統合】などと言われるように、
『統合』とは、相反する性質のものを、「別々のものだ」として分離させておくのではなく、「それらは本来一つのものである」と捉え、どちらも自分の中に存在している同一のものであると認識していくことである。
つまり、自分の中にある、ポジティブもネガティブも、同じ程度受け入れていく必要があるのだ。
そのため、『統合』を目指そうとしたとき、肉体を持つ人間は必然的に、今まで目を背けていた自分の中に生じる負の感情やネガティブな思考や記憶などと向き合わなければいけなくなる。
その過程の中で、しっかりと自身の負の感情やネガティブな思考や記憶と対峙し、それらを自分の一部として受容し、それらが全て完全で完璧なものだとして昇華させていかなければならない。
このように考えて行くと、
心理学や、心理療法(カウンセリングやセラピーのようなマイナスからゼロ地点へ持っていくアプローチ)というのは、
本来、魂の成熟プロセスを促進させるための一助であると捉えることができる。
そうだとすれば、
それによって、何かしらの人生における『課題』の解決が促されたときにこそ、私たちの『悩み』が本当の意味で解決する
とも言うことができるのではないだろうか。
こういった精神の分野というのは、それだけ私たち人間の成熟プロセスにおいて重要な役割を担っているものであると私は考える。
風の時代の今、【拡大フェーズ】へ突入する年代が早まっている
余談だが、エリクソンがライフサイクル論を説き始めたのは1950年代で、その後数十年(1960年代~1980年代)でさらに洗練されていったとのこと。
つまり、このライフサイクル論は、今から約40年ほど前に確立された理論であると言える。
このライフサイクル論では、老年期(65歳〜)の発達課題が『自我の統合』であるとされている。
ということは、逆を言えば、当時は『自我の統合』を生涯掛けて行うものと考えられていたと解釈することが出来る。
そう考えると、年々この『自我の統合』がかなり加速していることがわかる。
特に風の時代と言われる今、どんどんこの『自我の統合』に至る年代が若くなってきていて、かつ、【拡大フェーズ】へ移行する人が増えてきていると考えられる。
つまり、いわゆる【目醒め】のスピードが加速していると言える。
ここで【拡大フェーズ】について簡単に振り返りをすると、
■拡大フェーズ:魂が設定してきた目的を果たすフェーズ
=魂とか愛を思い出した先で、どんどん魂本来の意識を【拡大】させていきながら、社会全体、世界全体へと、還元していく段階
=『自分』という”個”の範囲を越えた目標(お役目、使命)に向かって行くフェーズ
要は、【拡大フェーズ】とは、自分の魂が設定してきた使命や目的を発揮するフェーズであると言えるため、
今のこの風の時代においては、人生の早い段階において【拡大フェーズ】に突入して、自分の魂が設定してきた目的や使命を発揮する人が増えてきたと言えるのだ。
つまり、これからの時代というのは、
自分が今世何を体験したくて、何を成し遂げたくて生まれてきたのか、
自分はこの人生を通して、周りに、そしてこの社会に、どのような影響を与えたいと思って生まれてきたのか、
それを個々人がより真剣に考えていくことを強く求められていく風潮が、今よりもさらに強まっていくと考えられる。
社会全体において、魂の目覚めが一気に加速している今、
なんとなく生きて、なんとなく日々をこなして、なんとなく人生を終えるのではなくて、
より前のめりになって、より真剣に、より能動的に、人生を捉えていくことを、私たちの集合意識下(ワンネス意識内)で魂は望んでいるのかもしれない。