「世界の危機」に立ちあっている自覚はあるだろうか
そうそう「世界の危機」を想像することは難しいのでは。
こんなことを書き出す私自身、想像はしていない。
ロシアーウクライナ戦争は、日本から遠い国の話に感じるし、
イスラエルによる虐殺行為も然り。
琉球弧のミサイルが発射され、ロシアもしくは中国から、
日本がお返し攻撃されたら、「日本の危機」を目の当たりにするだろう。
その事態は、もはや「想像」ではなく、「現実」になるのだが。
第二次世界大戦前の日本の人らは、
「日本の危機」「アジアの危機」に敏感だっただろう。
彼らは日本人だった。でも、日本人の一握りだったのだろうか。
第二次世界大戦後の日本の人らは、
だんだん日本人ではなくなっていった。
日本人の「質」が変わっていった、という事になるか。
私らは、自分らのことを「日本人」だと思っているが、
昭和一桁生まれ世代は、
私ら(戦後の日本教育を受けた者)を「日本人」だと思っていないだろう。
「日本人もどき」「日本に住んでいる人」「たまたま日本に生まれた人」
失われたものは、なんだろうか。
教育という名の「脱教育」よって。
人としての「気概」が失われたか。
どうすれば、取り戻せるのだろう。