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「世界の危機」に立ちあっている自覚はあるだろうか

 日本やEUはアメリカが短期間で勝利すると信じていたのかもしれないが、ウクライナではロシアに圧倒され、テロでインフラやロシア市民を虐殺しようとし、パレスチナではイスラエルによるアラブ人の大量殺戮を支援している。東アジアでは日本列島から台湾にかけてミサイル発射基地を建設、中国やロシアを攻撃する準備を進めている。

 このまま進めば世界は破滅する可能性が高いのだが、日本ではそうしたことを懸念する声をあまり聞かない。日本は明治維新以降、イギリスやアメリカの巨大金融機関の影響下にある。これは第2次世界大戦の前も後も同じだ。その支配システムが米英金融資本の下に築かれた天皇制官僚構造にほかならない。

《櫻井ジャーナル》 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)


そうそう「世界の危機」を想像することは難しいのでは。
こんなことを書き出す私自身、想像はしていない。
ロシアーウクライナ戦争は、日本から遠い国の話に感じるし、
イスラエルによる虐殺行為も然り。
琉球弧のミサイルが発射され、ロシアもしくは中国から、
日本がお返し攻撃されたら、「日本の危機」を目の当たりにするだろう。
その事態は、もはや「想像」ではなく、「現実」になるのだが。

第二次世界大戦前の日本の人らは、
「日本の危機」「アジアの危機」に敏感だっただろう。
彼らは日本人だった。でも、日本人の一握りだったのだろうか。
第二次世界大戦後の日本の人らは、
だんだん日本人ではなくなっていった。
日本人の「質」が変わっていった、という事になるか。

私らは、自分らのことを「日本人」だと思っているが、
昭和一桁生まれ世代は、
私ら(戦後の日本教育を受けた者)を「日本人」だと思っていないだろう。
「日本人もどき」「日本に住んでいる人」「たまたま日本に生まれた人」
失われたものは、なんだろうか。
教育という名の「脱教育」よって。

人としての「気概」が失われたか。
どうすれば、取り戻せるのだろう。