人を好きになるということ
人を好きになることが、歳を重ねるにつれて複雑になったような気がする。
自分が複雑に考えてしまってるだけなのかもしれないけれど、社会人になって、なおさら強くそう思うようになった。
小学生や中学生、高校生は、かっこいいから、優しいから、運動神経がいいから、だから好き。
という、シンプルな“好き”という気持ちで恋愛をしていた。
大学生になったら、なんの後ろ盾もない状態で、この人と結婚する!と思い込めるほど心の底から人を愛した。
だけど、そうした恋愛にも終わりがあって。
社会人になって、ふと思う。
男の人を紹介してもらい、ご飯へ行く。
この人の性格はどうだろうか、金銭面、精神面で自立しているだろうか、親を大切にするひとだろうか、家事はできるのだろうか、、、など、無意識のうちに現実的な条件を探してしまう自分がいる。
もしこのまま付き合って結婚するようになっても、大丈夫なのだろうか。
そう思ってしまい、純粋な“好き”という気持ちがわからなくなった。
これは、社会人2年目の私の、“今は仕事に打ち込みたい”
大学生活を半同棲で過ごした私の、“今は1人の時間を大切にしたい”“自分を見つけたい”
という心の声が現れた結果の思考なのだろうか。
それとも、人を好きになる覚悟ができなくなった弱い自分を認めたくないがゆえの、後付けの理由なのだろうか。
分からない。
ほんっとうに分からない。
だけど過去の恋愛で、私は心の底から人を愛せるということを知った。そして許すことの深さも学んだ。
だから私はきっとまた人を愛せる。
愛したいと思う。
きっと今は男の人を、彼氏として、恋愛対象として愛せないだけであって。
周りの職場の同期や先輩、友達を愛すること、大切にすることは日々心掛けている。
毎日隣にいる人を笑わせることを目標にしている。
私は大丈夫だよ、今はそんな気分じゃないだけで、
大丈夫だよ、
と、誰でもない私に私自身が語りかける。
ただ、そう思った今日。