ここまでは間違えていいという「余裕」
どんな試験でもそうだろうと思うのですが、合格ラインが、「満点」というのは、ないと思うんですよね。
東京大学の入試問題を、初見で、制限時間内に、解いて、満点で合格したという話は、寡聞にして聞いたことがありません。
※東京大学の二次試験の場合、私の入学当時、半分も正答していれば(部分点含む)、合格ラインを突破していました。もしかすると、現在の方が、問題が易化しており、合格ラインが上昇しているかもしれません。
単科目ならいざ知らず、全科目、オール・パーフェクトで、合格するということは、まず、あり得ないんじゃないかと思います。
逆に言うと、「その必要がない」から、みんなそのようにしてまでは、合格していないのです。
難度の高い試験は、ある意味、それは何かの競技コンテストみたいなものですから、制限時間内に、一定のルールにもとづき、このライン(いわゆる“合格最低点”)を、突破すればいいのです。
つまり、競技コンテストに臨む人で、合格する人はそれがわかっているのです。
合格最低点を突破するための戦略を立てて、合格しているとさえ言えるのですね。
逆に言うと、合格ラインを超える点数を取ることは、過剰な行為であり、その無駄を廃して、自分の中での不得意科目の克服などの時間に充てているかもしれません。
「ここまでなら、間違えても合格できる」という見通し、これは、何でもかんでも満点を狙って、結局挫折する生き方よりは、ずっと利口な生き方のように思えます。
自分は、自分で言うのも何ですが、「完璧主義者」じゃないんです。
というのも、先ほどから申しあげているとおり、人生を生き抜いていくにあたり、何でも「百点満点」で行くのは、非効率だと考えているからです。
私の言うことは、「仕事に手を抜いてもいい」というふうに聞こえるでしょうか。
そうではなく、どんな仕事でも、「ここまでは許容される“間違い”の範囲というのがあり、それを認識のうえ、その仕事の最低ラインを、確実に毎回突破していくのが、“プロ”としての仕事の仕方ではないか。」と、考えているからです。
いわゆる“プロ”は、その許容範囲を逸脱することはありませんが、その代わり、毎回、その合格ラインを突破してくる、それが、ときどき、合格ラインを突破するようなアマチュアとは違うのではないかと思うんですね。
いわゆる外科医といえば、『ドクターX』の主人公・大門未知子のセリフにあるとおり、「私、失敗しないので」が思い浮かびますが、失敗しないというのは、「間違えていい許容レベルの妥協点はあっても、勘所は確実に押さえて、毎回、合格ラインは超えてくる」ことなんだと思います。
しかしながら、医学博士でもあった天才漫画家・手塚治虫氏の描いた天才外科医『ブラックジャック』は、もっとリアルに、失敗しますが、トータルでは荒稼ぎする医者であり、このことの方が、何だか現実には近いような気もします。
私は、世の中に、この許容範囲を認識しつつ、現実世界に当たっていくという「ここまでなら間違えても構わないが、確実に急所は当ててくる」という、「満点主義」とは異なる「合格点主義」のような考え方が広まっていけばいいのにな、と感じています。
「間違っていい許容範囲と当てていかねばならない急所」とを見分けるには、“プロ”としての一定の修養は必要ですが、何でもかんでも、「百点満点」でないといけないと思い込んで生きるのよりは、人生の生きづらさがぐっと減少すると思います。
「百点満点」は厳しいです。一定の間違いは許容する「合格点主義」で行きましょうよ。
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