友達の作り方は相手に関心を寄せること
私は、高校2年の夏に初めて出会い、擦り切れるほど熟読し、今も折に触れて読み返す本があります。
『道は開ける』D・カーネギー著、創元社刊(以後の記載は、現在の文庫版から)です。
誰でも、そして、特に青春期は、悩み多き時代だと思うのですが、私は、この本によって、人生そのものが変わったと言っていい、まさに“恩書”なのです。
この本は、人の心の機微に触れる箇所ばかりで構成されており(本当に体験談ばかりです!!)、今、読み返しても、つい涙します。
ある友人と、回転寿司のテーブルを囲みながら、話していると、その友人が、「私は、他人に感心が全くないんだよね。」と言うので、確かに、その人はそういう性格だとは理解しつつも、「だから、周りから助力を得られないんだよね。」と指摘してしまいました(残念ながら、私の指摘は完全にスルーされるのはよくわかっています…。)。
前掲書には、心の機微に触れる箇所が多く、例えば、以下のような記載があります。
「『…私は人助けで忙しいし、それが楽しみでもあるので、悩むことはあまりない。そして、このところ十三年ほどは『親なし子』と呼ばれたことがない』 バートン氏万歳! 彼は友達をつくる方法を知っている! また、悩みを克服して人生を楽しむ達人でもある。」(前掲書・文庫版 P.227~230.)
人生には、物理学で言うところの「作用・反作用の法則」が働いています。
※作用・反作用の法則…作用の力と反作用の力とは大きさが等しく、方向が逆向きであるという、ニュートン力学の法則。
つまり、相手に関心を寄せない人は、同じく関心を寄せてもらえないし、周りを助けてあげない人は、同じく周りから助けてもらえない…、先の友人は、おそらくこの人生の法則に気付いていないし、今世の人生では、よほどのことがない限り、気付かぬまま、終えてしまうのだろうと感じています(宿題として、来世に持ち越しです(T_T)。)。
人生に困ったことが起きているときは、神様が「あなたの人生には間違いがあるよ。」と教えてくれているのですね。
神様は、辛抱強く、繰り返し教えてくれますから、根本原因が改善されるまで、何回でも困ったことが起きます。
そして、「万事休す」という事態になって、人は初めて改善に着手するのです。
ですので、私は、先の友人が、ことの改善に着手しないのは、「万事休す」という事態ではない、つまり、「本当には困っていない」状況にあるのを理解しています。
ですので、来世・来々世くらいまでの長~い目で見て、ただ見守っています。
先のバートン氏の話にもあるとおり、人助けは、人のためだけにあるのではないのですよ。まさに「情けは人のためならず」です。
「情けは人のためならず」とは、「人に親切にしておけば、その相手のためになるばかりでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくるということ」ですが、反対に、「人に親切にして甘やかすのは、その人のためにならない」の意で使われることがありますが、完全な誤用です。
・職場で、若手職員が新年度の進発にあたり、素晴らしい決意表明をしたので、それを「空前絶後」と絶賛し、昼食をごちそうしたり、
・パソコンのデータが壊れたのを救出してくれた人がいたので、ありがとね、と言って、自動販売機でジュースを振る舞ったり、
・大学病院に家族を連れて行くため、休むという人を、「お互い様だから、気にしないでね。でも、大学病院ってやなところだねぇ~。研究材料にされて、『いいクスリがありますよ。』と治験の材料にされたりね。」などと、敢えて明るく返したり、…
私の日常は、こんなさりげない「ギブ・アンド・テイク」に支えられています。
こういうのを友達の作り方って言うんだと思いますが、どんなもんでしょうかね(^^)。