「三多(さんた)」とは文章上達の三条件
あるとき、取引先の編集者の方から、名刺をいただき、一目見るなり、その名前に、結構びっくりしました。
「小○ 三太」
※個人情報のため、一部、伏せ字にしています。
クリスマスの頃、生まれたのでしょうか、小さい頃から、それまでにずいぶん、周りからネタにされてきただろうなと感じました。
どうして、親はそんなネタになるような、ただし、絶対に覚えてもらえるような、名前にしたんでしょうか(!?)。
あんまり周りから、からかわれるような名前を付けるというのは、私は親の立場からしても、賛成はしませんけどね。
※ただし、名前を一発で覚えてもらえるという点では、成功していますが…。
しかしながら、今日のお題は、その「サンタ」ではありません。
中国で、昔から言われている文章上達に必要な三つの条件のことである「三多」です。
「三多」とは、次の三つです。
①多く読むこと
②多く作る(書く)こと
③多く推敲すること
つまり、ただ単に、書いて作って、の繰り返しだけしても、知識等のインプットである読書と、修正行為である推敲とを、たくさんやらない限りは、文章は決してうまくならない、という非常に真っ当な見解です。
先の「三太」さんは、編集者でしたから、当然、文章上達の三条件の「三多」という行為を、日頃より心がけていたでしょう。
私は、社会人になって2~3年後から、年に100冊以上の読書習慣を心がけて、もう30年以上になりました。
この感染症蔓延後は、家にいることも多くなり、それもあってか、読書の冊数も増え、特にこの2~3年は、200冊以上は読んでいるのではないかと思います。
※年に2回、100冊以上のきれいな本を、古本屋に売却しているので、そんな勘定になります。今、また、書棚に本が100冊以上たまり、今年2度目の売却を考えています。
今日、月の23日ですが、今月1日からの新刊の購入額は、17,292円(税込)です。
今月も、十何冊か読んでいるはずですが、読書家の人ならわかっていただけると思うのですが、一定数を超えてくると、ちょっと前に読んだ本のことはあらかた忘れてしまい、もう何冊読んだのかもよく覚えていません。
※名誉のために言っておきますが、だからと言って、役に立っていないということではありません。脳内に潜在的に染み込み、文字どおり、血肉ならぬ「“知”肉」になっているはずです。
他のクリエーターの方も、ご認識いただいていると思うのですが、何か書きたいと思う「ネタ」や「題材」というのは、一定量以上の読書などのインプットがなければ、絶対的に湧き上がって来ないはずなんですね。
ですので、先の「①多く読むこと」という指摘は、全く当を得たものです。
ちなみに、うちの奥さんは、美術系の大学を出ていますが、かなりの読書家です。
自宅には、書棚が何本もありますが、『栽培植物と農耕の起源』(中尾佐助著・岩波新書)という絶対的名著とされる本(1966年刊)を奥さんの書棚に見つけたときには、私が農学部出身ということもあり、知的水準が同レベルだなと思ったものです(私も、大学時代とこの数年で、2度読みました。)。
雑文であれ、何であれ、ものを書こうと思う人は、一定量以上の読書家でないと、継続的な「ネタ」や「題材」の発掘は無理です。
クリエーターを自認される方は、認識していると思いますが、改めて重要なことですね。