『「バイアス社会」を生き延びる』読了☆
私は、いい年のおじさんですが、中高生向けの新書と称せられるような、①岩波ジュニア新書、②ちくまプリマー新書、そして、このところで、創刊されている③小学館 Youth Booksなどは、好んで買って読んでいます。
一級の学者などが、中高生向けにかみ砕いて、ただし、内容そのものは決して安易なものではない、というレベルの記事を書いています。
個人的には、中高生向けと謳っているけど、本当の狙いは大の大人に読ませたいんじゃないか、と感じるものが少なくないです。
それに、きっと世の中には、私のように、中高年のおじさん・おばさんが読んでいる例がかなりあるのではと思っています。
③小学館 Youth Booksは、茶色ベースの表紙に、大胆な色使いの人物画の帯の人目を引くデザインで、特に、中高生を念頭に、学生たちの人間関係論をモチーフにしていることが多いように感じます。
今回は、標題の『「バイアス社会」を生き延びる』中野信子著・小学館 Youth Books刊を読みました。
人間ならば、誰しも、その情報には思考の偏りや思い込み=バイアスがかけられていると指摘し、そのバイアスがかけられていることを認識の上、自ら行動しなさい、それがこの理不尽な社会を生き延びる術である、と説く本です。
文章表現そのものは難しくなくても、中で書かれている行動術は、人間関係論的に、極めて高等戦術であり、中高生一般における「人間というものは何か」ということに関する理解水準で、本当に腹落ちするのかな、というような内容でした。
※こんなことからも、本当のターゲットは、年齢を重ねた大の大人じゃないかと思ったりするんですね。
その中で、著者の中学生の頃の思い出が語られています。
宿題を自分だけがやっており、授業前に周りに聞くと、誰も覚えていない、授業が始まると、誰もやっていないことに先生が怒ってしまい、自分だけが宿題を済ませていることを先生に伝えられなかった、という話です。
これは、おそらく、先生の宿題の出し方に問題があったのだろうと思うのですね。つまり、明確にここが宿題だよ、と言えていないのだろうと思います。
宿題をやって来ていた著者はスゴいと思いますが、実は、同じ東大卒として、似たような、ただし、逆の経験があります。
中学時代、英語の先生が、宿題を出した(はずな)のに、誰もやって来ていなかったので、頭に来て、一人ずつ、やって来ていたかどうか確認したのですね。
一人ずつ、指名の上、聞いて、みんなやっていません、と答える中、私は、出来心で、「一応、やっています。」と、やっていないにもかかわらず、答えてしまったのです。
先生は、頭に来て、みんな反省しろ、と熟考タイムを与えました。
その熟考タイムの間、私は、その宿題をちゃちゃっとやっつけてしまい、その後の宿題の確認タイムで、ばれることなく、他の人が食らったゲンコツを免れました(当時は、体罰も当たり前でしたからね。)。
今、思うと、先生は、ちゃんと明確にここが宿題だよ、と明示していなかったんだろうと思います。宿題を忘れたことがない私がその宿題に気付いていないのですから、先生の方がきっと悪かったのです。
面白いのは、同じ宿題の明示の仕方が悪かった先生に対して、先の著者と私は、真逆の行動に出て、私の方は、実にしてやったりと思っている、という点です。
ただのバカじゃないのは共通でしょうが、世の中、真面目なばかりが能じゃないと思うのは、いささかずるい考え方でしょうかね。