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メノウと苗場山麓の柱状節理②
苗場山麓ジオパークの特徴は、
地球規模の気候変動と中津川のはたらきによって、およそ40万年かけてつくられた日本有数の階段状の地形(河岸段丘)です。
さらに、苗場山や鳥甲山の溶岩からなる、見る者を圧倒する柱状節理の岩壁や風穴、かつて海だった信濃川左岸の地層や地滑り地形など、大地の躍動を感じるジオサイトが多数あります。
苗場山麓ジオパーク
苗場山麓を四季折々、ドローンで撮影しました。
naeba.geoさんの動画より
苗場山は主として安山岩質の溶岩・火砕岩からなる成層火山。
大きく4つの噴出時期があり、現在の山体はおよそ30万年前の第4期に形成された。北方稜線の神楽ヶ峰・霧ノ塔・日蔭山は外輪山になっており、その西側は硫黄川による侵食カルデラである。
山頂(最高点)から南西方向に向かって頂上部全体が緩やかに傾斜した平坦面(溶岩台地)になっており、中津川・清津川の浸食作用によって絶壁上になった外周部分と併せて一種のテーブルマウンテンのような山容をしている。(中津川の東岸側にある。)
この苗場山の第2期の火山活動(約180万年)によって形成された岩屏風として、苗場山麓の柱状節理 「石落し」がある。
古鳥甲山は90 ~ 70万年前に活動した第四紀成層火山で、地質は安山岩である。
(中津川の西岸側にある。)
南北に尾根を伸ばしており東側は切れ落ちた絶壁になっている。
この古鳥甲山の火山活動によって形成された景観として、
布岩山の柱状節理がある。
マグマが冷えて固まる過程で、五角形や六角形の柱状に(規則正しい割れ目が)形成された。
この割れ目は、表面に近い冷却面から生じる。その後、冷却が進むにつれて深さ方向に伝わっていく。
鉱物としてのメノウ
オパール(蛋白石)、石英、玉髄が、火成岩あるいは堆積岩の空洞中に沈殿してできた縞模様の鉱物。縞模様になっていない場合はメノウではない。
しかし、宝飾業界ではあまり区別されず、ブレスレットやペンダントなどのアクセサリーとして使われる。
(急激に熱水が冷えて固まった石英は、黒曜石とよばれる。透き通った無色のものが一般的。)
上野林J遺跡のメノウ製の石器
新潟県阿賀野市の旧北蒲原郡安田町には、石器時代から明治時代までの遺跡が30以上あります。
(上野林J遺跡からは、)
メノウ製の一側縁加工のナイフ形石器、二側縁加工のナイフ形石器
(茂呂系ナイフ形石器の模倣品?)、切出形石器、台形様石器、基部加工剥片、
ペン先形石器など8点が出土しています。
![](https://assets.st-note.com/img/1723986326202-39X4FBgsUn.png)
本遺跡は、阿賀野川右岸の上野林丘陵上の標高32m付近に立地していました。1970年代の大規模な『ほ場整備』により丘陵の大部分が失われ、その丘陵上に多数存在した遺跡は失われてしまい、本遺跡も壊滅しました。
本遺跡は、工業団地造成工事の為破壊される事になり、
平成4年に当時の安田町教育委員会が主体となり調査が行われました。
調査の結果ナイフ形石器8点、スクレイパー1点、
微細な剥離痕の有する折断剥片1点、微細な剥離痕を有する剥片17点、
折断剥片37点、剥片148点、石核21点、敲石2点、礫4点、計239点からなります。
この中で微細な剥離痕の有する折断剥片、微細な剥離痕を有する剥片、
折断剥片は従来から台形様石器、米ヶ森型台形石器などと呼称されてきた石器に類似するもので小形剥片素材の石器群です。
これらは、後期旧石器時代前半期の可能性のある石器でナイフ形石器の
初期段階として捉えられているものです。
本遺跡の剥片剥離技術について
石核が多数出土し、剥片剥離技術は4類に分類できます。
1類
横長な打面に比して作業面は広い。
1類の中でも他に数種類報告されています。
3類
平坦打面を持ち、横長の剥片剥離作業面に対し、
打点を左右に移動させながら剥片剥離作業を行うもの。
剥離された剥片は横長長方形の平面形態を有します。
4類
石核は角錘状、サイコロ状を呈し、縦長や横長の剥片剥離作業面に対し
打点を左右に移動させながら剥片剥離を行う。
90°打面転位を頻繁に行い、剥片は長いものもあるが小形で
寸詰まりのものが主体的である。
『上野林J遺跡』の発掘調査では、堆積状況が良好な火山灰土が
認められました。
しかし、『AT降灰層』については検出された火山ガラスの量が少なく、
さほど明瞭なものではありません。
(また、古赤城火山が噴出した軽石も検出されていません。)
まとめ
『上野林J遺跡』は、『新潟県樽口遺跡A-KATD文化層』と共に
『AT降灰以前の石器群』、『台形様石器群』として評価されました。
(『上野林J遺跡』は、約3万年前の遺跡です。)
( 姶良Tn火山灰は、約2万9千年前~2万6千年前に姶良カルデラの巨大噴火で噴出した大量の火山灰。)
(以前は約2万5000年前~2万年前と考えられていた。)
旧三川鉱山の石英脈
![](https://assets.st-note.com/img/1724506269084-Bi76HyLFlv.png)
新潟県旧三川鉱山
古赤城火山
赤城火山は、東北本州弧南端の火山フロント上に位置しています。
古赤城火山は、約4万5千年前と約3万2千年前に軽石を山頂付近より噴出しました。
最後に噴出した小沼溶岩 は、南九州から飛来し日本全土に広がる
約3 万年前の AT(姶良 Tn)火山灰に覆われてい るので、古赤城火山の
マグマ噴火は3万年前には終わっていたことになります。その後も小規 模な、マグマの噴出を伴わない噴火(水蒸気噴火)が何度もおこっていたのでしょうが、 その痕跡は見つかっていません。
旧石器人由来のミトコンドリア・ハプログループN9
ミトコンドリア・ハプログループA,N9,Yについては、Rを経由せず、Nから直接分岐していることから、R系統とは別の、おそらく北回りルートで
東アジアにやってきた人たちではないか?
という説があります。
(しかし、極東の分子人類学者は否定しています。)
ミトコンドリア・ハプログループN9は、日本人の約7%が該当します。
ミトコンドリア・ハプログループAは日本人の約7%が属しています。
誕生は約4万年前のバイカル湖周辺だったのではないかと推測されています。その後、3万年前~1万6千年前の長い期間は消滅の危機に瀕していたようです。
ミトコンドリア・ハプログループYはアイヌ民族とオホーツク人にみられます。
旧石器人由来のミトコンドリア・ハプログループG
ミトコンドリア・ハプログループGに分類される人は、北国と深いかかわりがあります。
日本人の約7~10%が属しており、長距離アスリートに多いという特徴がみられます。
約3万年前、氷河期末期にシベリアで誕生したとされ、樺太を南下して日本に入ってきたと考えられています。
黒曜石製の槍先形尖頭器
![](https://assets.st-note.com/img/1724410514975-WDYuuPAhJY.png)
約3万年前の磨製石器
ねずブロ、2012/01/13
ネアンデルタール人崇拝(=米国のリベラルな作家の欺瞞)
『ネアンデルタール人』(=ジョージ・コンスタブル氏)
「ネアンデルタール人を人類進化の枝葉に格下げした人々はすべて、
ネアンデルタール人の時代にも現生人類が地上のどこかで暮らしていたと
考えた。・・・」
「しかし、現生人類がそれほど大昔にも存在するとすれば、
彼らはどこに隠れていたのだろうか?」
「何十年間も、(伝統的保守派の)科学者たちは、現代的な概観を備えた
祖先を探求することに自らの学者人生を捧げてきた。・・・」
「だが、その度ごとに、・・・化石は・・・その約束を果たさなかったのである。」