見出し画像

「これが自分の遺作になるかも」と思いながら映画を撮っていた |Fáni vol.3 映画監督・工藤梨穂さんインタビュー

自らの目標に向かって精力的に活動する同年代の方に話を聞くインタビュー企画、「Fáni」。

第3回目は、映画監督の工藤梨穂さんにお話を伺いました。

高校時代に映画の魅力に目覚めた工藤さんは、高校卒業後、京都芸術大学映画学科(旧:京都造形芸術大学映画学科)に進学。2017年に大学の卒業制作でつくった長編映画『オーファンズ・ブルース』が、すぐれた自主制作映画を発見する大規模な映画祭「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)2018」でグランプリを受賞。その他、国内外の映画祭でも出品、受賞が続き大きな注目を集めました。

大学を卒業してから3年近く経ち、昨年の秋に新たな作品を制作した工藤さん。

映画にあこがれたきっかけ、『オーファンズ・ブルース』の制作、これからの目標についてお話を伺いました。

画像1

映画を通じてなら人と感動を共有できる

様々な表現方法があるなかで映画を志した理由を教えてください。

西加奈子さんの『さくら』という小説を読んだことがきっかけで映画を志しました。
高校2年生の時に読んだのですが、どうしようもないほどの感動を経験したんです。結構辛い物語ではあるんですけど、読後にとてつもない希望を感じて。
大げさかもしれないけど、生きていくための原動力を作品から与えられたような感覚でした。
当時は、その感動を自分の中に留めておくことがとてももどかしく、「こんな風に心揺さぶられるような感情を、同じ空間で様々な人と共有出来たらいいのに」と強く思って。それを自分が実現できるのは何だろうか、と考えたときに浮かんだのが映画という表現でした。
それを機に放課後や休日は映画を観ることに没頭し、映画の勉強ができる大学に進路を決めました。

高校卒業後、京都造形大学映画学科に進学されます。その頃には「こういう映画が撮りたい」というものはありましたか?

当時は、園子温監督やグザヴィエ・ドラン監督の作品に憧れがありましたね。
大学に入ってからは、一年生の時にレオス・カラックス監督の『汚れた血』を観て衝撃を受けました。一回目は難しくてわからなかったけど、二回目に観たときにいろいろ理解して。「自分のやりたいことの根幹、原点がこの作品にすべて詰まっているのではないか」とさえ思いました。未だにカラックス監督への憧れはかなり強く、作品を見返しては「こんなショットを撮りたいな」と思ったりします。
その後、ウォン・カーウァイ監督やエドワード・ヤン監督の作品からも影響を受け、『オーファンズ・ブルース』を作る上でも参考にしています。

いま名前が挙がった監督たちの作品にどこに魅力を感じますか?
絶対にこの人の作品以外では観られないなという世界を見せてくれるところでしょうか。
特にウォン・カーウァイ監督の作品(『恋する惑星』や『天使の涙』、『ブエノスアイレス』)は、ストーリーやカメラワーク、編集などがかなり個性的で本当に唯一無二だなと思います。
あと、深夜に一人でカーウァイ作品を観るとすごく落ち着きます。人の孤独に同じ温度で寄り添ってくれるような映画なんですよね。

また、色の使い方やショットの連なり、音などの要素それぞれが意図を持ってドラマの根幹を支え、その映画において「だから、衣装の色はこうあるべきだったのか」とか「ここで同じ音楽が繰り返されるのか」というような発見を残しておいてくれる作品にも魅力を感じます。

『オーファンズ・ブルース』は、2019年夏にアップリンク吉祥寺(注6)で今泉力哉監督(注7)と対談された際に、「まずは旅物語を撮りたかった」とおっしゃっていましたね。着想はどこから来たのでしょうか。

画像2

【オーファンズ・ブルースあらすじ】夏が永遠のように続く世界で、日々失われていく記憶と対峙しながら生きるエマ(村上由規乃)。ある日、彼女の元に行方不明になってしまった孤児院時代の幼馴染ヤン(吉井優)から象の絵が届き、エマはその消印を手掛かりに彼を探す旅に出る。道中で彼女は、ヤンと同様に幼馴染であったバン(上川拓郎)と再会し、その恋人であるユリ(辻凪子)とも知り合う。彼らもとあるアクシデントからずるずるとエマの旅についていくことに。しかし、旅が進むにつれてエマの記憶の喪失は加速していって...

単語や言葉から着想を得ることがすごく多いですね。
『オーファンズ・ブルース』の場合は、寺山修司さんの著書の中で書かれている、「夏は、終ったのではなくて、死んでしまったのではないだろうか?」という一節が物語を考える上での大事な基盤になりました。
私は、ストーリーを構想する時にマインドマップのようなものを作るのですが、この作品では“旅”というワードを中心にし、その周りに“光”や“記憶”といった作品の軸になる単語を繋げて連想を繰り返していきました。そうして出てきた言葉から大事な要素を取り込み、何を目的に旅をするのか、旅をするうえで何が起こるのかということを考えていった感じです。

画像3

フランス語の固有名詞には必ず性別(男性名詞、女性名詞)があることを寺山修司の著書で知った工藤さんは、フランス語のエレメントをモチーフにし、“海”(女性名詞)からエマを、“風”(男性名詞)からバン、“夏”(男性名詞)からヤンなどそれぞれの人物像を造形していった。

作品では一貫して「忘却する、喪失する」ということが描かれます。これをテーマにしたのはどうしてですか?

この作品自体を、エモーショナルなものにしたかったというのが第一にありました。
胸が苦しくなるような辛い結末を迎えるけど、希望を感じさせるような作品にしたかったので、当初から“喪失”の要素は大事にしていました。
でもラストがあまりしっくりこなくて、どうしたらいいかということを脚本改稿する中でずっと考えていたんですが、ある日「これだ」というラストシーンが思い浮かび、それで重要だったのが「忘れてしまう」ということだったんです。そこから新たなテーマに“忘却”を据えて物語を書き直していきました。当初、エマにアルツハイマー的な設定は無かったのですが、ラストシーンから逆算する形で彼女の人物造形に取り入れています。

画像4

忘れそうなことを腕に書きつけるエマ。作中では、忘却に抗う様子を、メモやつぶやきなどさまざまな形で描いた。

辛いことにもいろんな形がある中であえて「忘却」を選んだのはなぜですか?

私の祖母が実際にアルツハイマーだったということがあって、私の名前とかも忘れてしまったし、本当に些細なことがどんどんわからなくなっていくんですよ。

そのことを当時は冷静に受け入れていたつもりだったんですけど、自分が作品を制作する立場になってから「あの時の自分は結構辛かったのかもしれないな。というか悲しかったんだな」というのに気づいて。

忘れてしまうって、その人をその人たらしめるものがどんどん失われていくということ。自分にとっては最上級レベルで、辛くて恐いことなんです。だからこの物語を描く上で自分が一番感情的になれる要素だと思って、”忘却”を選択しました。

作中で描いた忘却の具体的な行為は、祖母を見ていた経験を参考にしているものもあります。

画像5

歯磨きのやり方を忘れたエマの歯をバンが磨くシーン。工藤監督の祖母も実際に歯磨きのやり方を忘れたという。

映画を撮り始めてから気づいたんですね。

大学二年生の時に初監督した作品でも、「忘れたくないから相手を噛んでしまう」という物語の映画を撮ったんですけど、その頃からよく祖母のことを思い返すようになって。同時に、当時の自分の気持ちに思いを馳せるようにもなりました。

注1...日本の映画監督。代表作は『ヒミズ』、『冷たい熱帯魚』、『地獄でなぜ悪い』など。
注2...カナダの映画監督、俳優。代表作は『わたしはロランス』、『Mommy』、『たかが世界の終わり』など。
注3...フランスの映画監督。代表作は『汚れた血』、『ボンヌフの恋人』、『ボーイ・ミーツ・ガール』など。
注4...香港の映画監督。代表作は『恋する惑星』、『花様年華』など。
注5...台湾の映画監督。代表作は『牯嶺街少年殺人事件』、『恐怖分子』、『ヤンヤン 夏の思い出』など。
注6...東京都武蔵野市にあるミニシアター。国内外のアートシネマを多く上映しているのが特徴。
注7...日本の映画監督。代表作は『パンとバスと2度目のハツコイ』、『愛がなんだ』、『アイネクライネナハトムジーク』など。

登場人物たちを照らす「光」で描きたかったもの

映画はチームで撮るものだと思います。そのうえで大切にしていることや監督の役割だと思われているものを教えてください。

この作品を作る際のスタッフワークで大切にしていたのは、それぞれがいかに「自分がチームにとって欠かせない存在であるか」、「自身の力がどれほど作品を支えているか」を実感できているかということでした。
監督の私が「こうしてほしい」という要望を伝えるだけだと、みんなは作品に対してあんまり愛着を持てないんじゃないかと思ったんです。卒業制作だし、それぞれが作品に全力投球してやりきったと思えるやり方を取りたかった。

そのために、とにかく各部署に意見を求めて良いアイデアは取り入れていくというのは意識して、スタッフを信じて頼るという姿勢は貫こうと考えていましたね。頼りつつも、いかに自分のやりたいことを表現するかというバランスをとりながらやっていました。
余裕が無いと一方的に要望を伝えるだけになってしまうこともあるけど、この作品で意識していたことは今後も大事にしたいです。

『オーファンズ・ブルース』は役者さんがみんなピタッと役にはまってる印象を受けました。

役はほぼ当て書きで書きました。この映画の主要キャストは、ほとんど大学の同期の俳優コースの人たちです。普段から彼らの作品に対する姿勢を近くで見ていたこともあり、深い信頼があったのでオファーしました。
役柄に関しては、「この人のこういう一面が見てみたい」という思いも含まれています。
例えば、ユリ役の辻凪子さんはコメディエンヌとして活躍されていて、面白い役柄が多い印象なのですが、思い切ってこの作品でしか見られないような役にしようと思って設定を考えていきました。

唯一、バン役の上川拓郎さんだけは当て書きではなかったですね。脚本を書いている時に「バンは風のような人」というイメージがあって。上川さん本人が普段から天真爛漫な方でバンのイメージにぴったりだったので、オファーをしました。

画像6

エマの幼馴染・バンを演じた上川拓郎さん。ラストの「希望」を感じる演技は圧巻。

なかでも、やはり主人公エマを演じた村上由規乃さんが印象的です。
村上さんはとにかく存在感や芝居を評価してもらうことが多く、魅力的だったという感想もたくさん頂きました。エマは飾り気のない女性だけど、観客が見続けたいと思うような魅力を引き出せたらと思って撮っていたので、嬉しかったですね。
でも何より、村上さんが演じたからこそ立ち上がったエマという人物だったと思います。彼女の存在無しに、この作品の誕生はありえませんでした。

作品を通して一番印象が変わりますよね。最初は一人で生きている孤独な感じがあるけど、だんだんと人間臭さ、子どもっぽさが出てきます。こう描きたい、こんな魅力を出したい、というのはどう考えていましたか?

エマは当初の設定だと全然雰囲気が違って、ワンピースを着ているような女性のイメージだったんです。それが脚本を改稿するたびに野性的な人になっていきました。
彼女は自分の足で歩いて人を探すので、生命力を感じさせるような強さが必要だなと考えが変わっていったんです。それと同時に、記憶を失いゆくことへの恐怖や彼女の脆さ、そしてどんどん幼くなっていく退行の変化も描きたいと思っていました。

村上さんに関しても、今までの芝居では見たことのない彼女が見たかった。
エマの野性を感じさせる所作や佇まいの中で、どれだけ色気を引き出せるかということは常に意識していました。

画像11

エマを演じた村上由規乃さん。作中では、大人と子供の間を揺れ動くように実にさまざまな表情を見せる。

ロケ地には関西以外の場所も選ばれています。どうやって決めていきましたか?
最初はネットで探しました。この映画を考えるにあたって、一番最初に思いついたのが、たくさんの人が行き交うアジアの市場のような場所で、男女がすれ違うというシーン。それを探していたら、高知の日曜市がイメージにすごく近かったんです。その流れで四国を調べたら香川にもイメージに合う場所がたくさんあったので制作部のスタッフと一緒に見に行きました。
物語の舞台が日本というのをぼかしたくて、匿名性を持ち合わせたなるべく異国的な雰囲気のある土地を探しました。

日本ということをぼかしたかったのはなぜですか?
『オーファンズ・ブルース』の世界観を、私たちの住む環境下で描くのはしっくりこなくて。
設定としては近未来のとある国なんですが、観客を日常から違う世界に連れて行きたいという思いがあったので、異質な世界で描こうと、日本じゃないようなアジア感のある場所を選びました。

画像7

ロケ地の一つである、香川。夏をギュッと閉じ込めたような熱を感じる風景も本作品の見どころ。

制作するうえで悩んだり、苦しかったことはありますか?
クライマックスに、草原でエマとバンが話す長回しのシーンがあるのですが、そこが一番悩みましたね。脚本を改稿する毎に会話の内容も変えてみるものの、全然定まらなくて。すごく大事なシーンなのに撮影当日まで「これだ」というものを見つけ出せなかったんです。
前日に、村上さんと上川さんと三人でこのシーンの話し合いをしたんですけど、それでもうまく固められませんでした。
当日は、話し合ったことを含めて一度エチュード方式で二人に任せてやってみることにしました。そしたら、本当に素晴らしい芝居とやり取りをしてくれて。今も忘れられないですね。
あれは、一人では絶対に生み出せないものでした。そこにたどり着くまで本当に大変だったけど、思いもよらない感動に出会えることが映画を撮ることの最大の喜びのように感じます。

画像8

クライマックス、草原でエマとバンが話すシーン。

物語の中で決定的なことが起こるシーンですよね。全編を通して、言葉に頼りすぎてない印象があります。

最初の方の脚本だと説明台詞はもちろんのこと、人物たちが自分の気持ちをなんでもかんでも喋りすぎていたんです。

卒業制作についてくれた教授から「あんまりわかりやすくしない方が面白いんじゃないか」いうアドバイスをいただいたこともあり、説明的なセリフをどんどん削っていきました。

映像で見せるといった視点もあったんですけど、観客の方にいかに考えながら観てもらえるか、想像の余地を与えるか、というのを重視して省略をしていきました。

「これで本当に伝わるんだろうか」とか迷うことや難しさを感じることはありましたか?

それがむしろ逆で、撮影している時は、これだと伏線がバレてしまうんじゃないかとあえて映さないということを選択していました。作品が多くの人に見られるようになって、「よくわからなかった」という感想を頂くことも多いです。情報を隠し過ぎたことは反省点ですね。
この作品を経て自覚したのですが、私は伝えたいことはしっかり伝わってほしいタイプだと気づきました。今後はもう少し丁寧にストーリーを語ることを意識したいと思っています。

「ドラマだけを描くのではなく、映像だからできることをやっている映画が好き」とおっしゃっていましたが、オーファンズも色々な演出がありました。まず、ヤンと関わる人はみんなやけどを負っている描写はどうやって思いついたのでしょうか。

ヤンは暴力的な一面があるにも関わらず、周りが求めてしまうような魅力を持った人間として描きたかったんです。そして、彼の暴力性をいかにして間接的に描くかというところを考えていました。また、エマをはじめとするヤンと関わりのある人たちに、何か共通点のようなものも持たせたかった。
ヤンが夏をモチーフとしている人物ということもあるんですけど、暑さから“火傷”を連想したんです。ヤンの周りの人物たちに火傷痕が共通していたら、彼の暴力性を想起させると同時に彼が存在した証として表現できるのではないかと思いました。また、消せない火傷痕(=忘れられない記憶)は彼らがヤンを忘れられないということを視覚的に表しています。

肌の撮り方が肉感的ですよね。女性の肌は透明感やはかなさをイメージして撮る人が多いのかなと思うのですが、生きてる人間らしさ、生命感みたいなものを感じました。

この映画は私たちの日常からは少し逸脱している世界観なので、だからこそ人物がちゃんとその中で生きているように見えないといけないなという強い意識はありました。
色んな映画やドラマを見ていても、人物がすごく薄っぺらく見える時があったりして、そうなってしまうのはちょっと嫌だなって。この作品では、人物に質量をもたらすための演出として肌を滴る汗や体のクロースアップを用いています。
また、女性の撮り方でいうと、私は女性らしさみたいな透明感や儚さで彼女たちを表現するのがあまり好きじゃない。特に、主人公のエマは野性的な部分を持ち合わせた人物であることが魅力的だと思ったし、そこから滲み出る彼女の“生”を捉えることがとても重要だと思っていました。

それから、暴力やぶつかり合いを描くのをいとわないのかなと。人が人を殴り飛ばしたり、暴れたりするシーンもありますよね。生々しさを意識して描いているところはありますか?

衝動や、理性ではコントロールできないような身体の動きを捉えたいという思いが常にあります。あと、やはり感情を伴った肉体のぶつかり合いには大きな魅力を感じる。
この映画でもそういうものを映したくて、激しいシーンなどを描きました。
生々しさを感じてもらえたなら嬉しいですが、私の意識というよりも俳優がシーンの意図を理解して演じてくれたからこそ捉えられたものだと思います。

なるほど。一方で作中、エマとバンが懐中電灯やCDで光を当て合う静かなシーンもありました。あの光はどういう意味ですか?

この映画において、光というものはちょっと特別に扱いたかったというか。
エマとバンは、常にヤンの話をしたり、「こういうことしたよね」と三人での思い出を話すけど、懐中電灯やCDでの光の当て合いは二人だけのコミュニケーションであり、唯一二人がお互いだけを見つめる時間なんです。
ちなみに、懐中電灯のアイデアはエドワード・ヤン監督の『牯嶺街少年殺人事件』を参考にしました。

画像10

また、太陽の光で彼らがどんな状況に陥ってもみんな照らされる存在であること、そして希望があることを表せられたらと思い、朝日や夕日の時間を狙って撮影した箇所もありました。

今泉監督との対談でも、『オーファンズ・ブルース』そのものも「光」をテーマにしたかったとおっしゃっていました。別の言葉で言い表すとしたらどういうものになりますか?

この作品で言い換えるならば“希望”です。
前述したように、悲しい物語だけど同時に希望を感じさせるような映画にしたいという思いがありました。それをドラマだけで語るのではなく、視覚的な要素でも感じられるように光を重要視していました。

観客がフィクションであることに絶望するぐらいの映画を作りたい

『オーファンズ・ブルース』は、自分自身にとって、これから映画を作っていく人生の中でどういう意味を持っていますか?

この映画を制作している時は、次の作品を撮れる保証は全く無くて、だから「これがもしかしたら最後かもしれない。自分の遺作になるかもしれない」という気持ちで、絶対に悔いが残らないように懸命に撮影をしていました。『オーファンズ・ブルース』の制作期間は、それまでの人生で一番全力を注いだ時間だったと思います。だから特別な思い入れがあるし、これから先のことはわからないですが、この映画を作ったことによって今があるので、自身にとっては大きな転機を与えてくれたものだと考えています。

制作は終わり、PPFグランプリを受賞するなど高い評価も得ました。現在、ご自身の中ではどういう位置づけでしょうか。

もしこれからの人生で何本か映画を作れるとしても、この作品を作った経験とか、見てもらったことが、全部自分の基準になっていくんだろうなという気はしています。

画像11

PFFアワード2018の授賞式。工藤さん(写真中央)と村上さん(写真左)


今後、作りたい作品や興味のあるテーマについて教えてください。

『オーファンズ・ブルース』の中で描いた懐中電灯を使ったモールス信号のようなやり取りや、暗号的なことに興味があります。言葉ではないことで思いを伝えるというようなことは今後も考えていきたいテーマです。

それから、私自身とても好きだと感じる映画に出会った時に“その作品が、その登場人物が、フ ィクションである”ということに対して、辛く感じてしまうというか、「本当は存在しない、虚構なんだ」と絶望することがあります。かなり稀ではありますが。でも、それほどまでに作品の世界にのめり込んでしまうような映画との出会いは大親友に巡り合うような本当に素晴らしいことだと思います。 

だから私も映画を作るからには、観客がフィクションであることに絶望してしまうほど心に残るような作品を作りたいです。

制作する上での目標や願望はありますか?

学生時代に共に映画を作った仲間で、現在も映画に携わっている人たちがいるので、またいつか一緒に制作するという目標は持ち続けています。
それから、『オーファンズ・ブルース』の制作時、とにかくスタッフやキャストと沢山話した記憶があるのですが、雑談を含めそういう対話が作品にかなり良い影響を与えている感覚がありました。だから、そのようにある意味リラックスした中で、チームの人たちと密に対話をしながら映画を作ることが理想とする制作ではありますね。


願望として大きいのは、村上由規乃さんの主演作をもう一度撮りたいということかもしれません。彼女は本当に素晴らしい俳優なので、また組んで作品を作れたらと思っています。

今後について教えてください。

昨年の秋に、PFFスカラシップ作品として『裸足で鳴らしてみせろ』という映画を制作しました。第43回ぴあフィルムフェスティバルにて披露上映される予定です。

私自身あまり器用ではないので、短いスパンで何本も作品を生み出す自信はないですが、今後また映画を撮れるチャンスがあるならば、「これが最後になるかもしれない」という初心を忘れずに全力で制作していけたらと思います。

プロフィール 工藤 梨穂(くどう りほ)
1995年、福岡県生まれ。高校卒業後、京都芸術大学映画学科(旧:京都造形芸術大学映画学科)に進学。在学中に『サイケデリック・ノリコ』、『サマー・オブ・ラブを踊って』、『オーファンズ・ブルース』を制作。最新作『裸足で鳴らしてみせろ』は2021年の第43回ぴあフィルムフェスティバルでにて披露上映予定。

映画『オーファンズ・ブルース』公式サイト
http://orphansblues.com/

YouTubeでのレンタルはこちら

TSUTAYAでのレンタルはこちら
AmazonPrimeでのレンタルはこちら


いいなと思ったら応援しよう!