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「トマトと戦争」を読んで

(2020.06.06に書いたブログ記事を転記したものです)

※ 以下,すべて敬称略であることをお許しください。 

先日,岸政彦のTwitterを読んで知った。「トマトと戦争」というエッセイ(論考)が文芸誌『しししし3 特集:J.D.サリンジャー』で発表される。

岸政彦と千葉雅也と東浩紀と上間陽子の書いたものは基本的に追うようにしているので,とりあえず購入ボタンを押す。「トマトと戦争」。今回はどのような話だろうか。

昨今の全世界的な事情により配達が遅れ,ボタンを押してから家に届くまで1ヶ月近くかかったと思う。届いたのは夕方。晩御飯の仕度中。とりあえず荷物は放置。開封したのは22時頃だった。

「意外とページ数少ないな」。翌日も早起きだった。読まないと眠れる気がしない。さっそく読む。

語りを聞くこと,戦争の話を聞くこと。戦時中。戦後。語りとは,事実とは。

何かに悩んで,答えを出せず,それでも悩む。そこには見慣れた光景があった。

岸政彦を読むといつもアンビバレントな気持ちを抱く。感謝。尊敬。畏敬。沖縄を理想化せず,多層な沖縄がそこにある。沖縄に生まれ,沖縄に育ち,沖縄出身をアイデンティティーの一部にしている私にとって,岸政彦が書く話は沖縄を再確認させてくれる。しかし,いや,だからこそ,私は「無力感」をいつも感じる。私は何をしているのだろうか。岸政彦を読んで何もしないまま,ただ溜飲を下げているだけなのではないだろうか。

数年前になくなったおばあちゃん。100歳を超えていた。おばあちゃんが入院して,そろそろ寿命かもしれないと知らせがきたとき,私は帰省しないという選択をした。「行かなかったら後悔するかどうか」という判断さえ働いていたと記憶している。

おばあちゃんが90歳を少し過ぎたころ。当時大阪にいた私のところに,おばあちゃんと母親が遊びに来た。元気なおばあちゃん。大阪城まで連れて行き,天守閣まで一緒に行こうとした。おばあちゃんは行く途中で疲れたようで,途中から進めなかった。結局,天守閣には行かず,来た道を引き返すようにタクシーに乗って帰った。いま思えば当たり前だと思う。「むしろ,よく大阪まで来て,元気だったよね」と少し前にお母さんと思い出話をした。なぜおばあちゃんの話になったかは覚えていない。

おばあちゃんは戦争経験者だ。10名近くいた子どもたち。何名かは戦争でなくしている。おばあちゃんはいつも笑顔だったし,最後までボケることもなかった。会った時はいつもお菓子とお小遣いをくれた。お菓子はタンスにしまっているせいか,いつも少し湿気っていたり,溶けていたりした。お金はいつも小さく折り畳まれていた。

いま,岸政彦は,沖縄で戦争経験者の語りを聞いて,その語りを一生懸命に残している。多少は調査がしやすくなったみたいだけれど,昔はアポを取るのがかなり困難だったとどこかで書いていた。

私は,沖縄で育ち,その間おばあちゃんが隣にいて,いつでも話を聞ける状況にいた。実家からおばあちゃん家は徒歩30秒。これまで何の話を聞いてきたのだろう。

大阪城からの帰り,疲れたと言っていたおばあちゃんにマクドのハンバーガーを買って一緒に食べた。おばあちゃんは笑顔で言った。

「これ,美味しいさ。お土産に持って帰れるかね。」

当時は笑いながら聞いたこの言葉を,その背景を,いまは何度も繰り返し考えている。

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