逆さまな君を見る


「ねえ、起きてよ。」

そう呼ばれて、混沌とした記憶の中から這い出れば、目に入ってきたのは先程までの暗闇とは正反対な日差しだった。瞬きを数回してから周りを見る。ここは学校の屋上だ…。そうか、サボってここに来たんだ。ゆっくりと上体を起こし伸びをする。そして欠伸を一つすると、昼間の気怠さを打ち消すような声が聞こえた。

「やっと起きた。」
「…は?」

僕が振り返ると彼女は笑っていた。セーラー服の首元に巻かれているスカーフは赤。どうやら僕より一個下のようだ。

「…君、二年だろ?先輩には敬語を使え。」
「えー、ここを一緒に使う同志じゃん!」
「同志の使い方を間違っている気がするが…。」
「分かったよー!先輩!ここで何してるんですか?」

彼女は僕の隣に座って表情を伺う。

「…授業が退屈でな。サボりというところだ。」
「へー!そうなんですね。真面目そうなのに。」
「見た目で真面目と判断していたら、君はそのうち詐欺にあうかもしれんぞ。」
「あはは、意味分からない。」

彼女は目を細めて楽しそうに笑う。何が楽しいのやら。

「お前こそ何をしているんだ。」
「私?私は…絵を描きに来たんだー。」

すると、彼女は傍らに置いてあったスケッチブックを掲げた。相当年季が入っているようで、紙の端は少しボロボロだった。

「私ね、こうやって屋上からの景色を描くのが好きなんだ。」
「…へー。」
「空も山も好きだけど、屋上からこうやって一つ一つの教室で、何の授業をしてるんだろうとか考えるの好きなんです。」

彼女はそっとページをめくり、それぞれに照らし合わせるように教室を見る。

「これは先週の今日に描いたの。あそこの三年二組。」
「ふーん。」
「これ、先輩だよ。窓際の後ろから二番目。」

指さされた場所を見ると、確かにそれは僕だった。

「…お前、視力いいのか。」
「人並みだよー。でも、先輩は特別よく見えましたよ。」
「は?」
「一人だけ窓の外見てつまんなそうにしてたから。」

彼女はニヒヒと独特な笑い方をした。

「先輩を馬鹿にするな。」
「馬鹿になんかしてないですよー。ちょっと面白がっただけ。」
「それを馬鹿にしてるって言うんだ。」

こんなやり取りを続けていたら、さっきまでの退屈な時間が嘘のように色づいていった。そして、彼女はふとした時に奇妙なことを言った。

「私も皆みたいに授業受けられてたらなあ。」

ん?いやいや。

「お前もここの生徒だろう。」
「いやあ、そうなんですけど。私、馬鹿だからついていけなくて。」
「だったら、サボってる暇ないんじゃないか?」
「…高校入れただけで奇跡なのに、これ以上の事望んじゃダメでしょ。」

彼女は笑う。

「それに、私には絵描きになるって夢もある。だから、今は絵が描ければいいんです。」

…なんだろう。僕とは正反対だ。夢なんて無いし、ここまで明るくもない。人に話しかけることなんかもっての外で…こんなに真っ直ぐに何かに取り組めるのは羨ましい。

「…いいんじゃないのか。それならそれで、お前が選んだことなんだろう。」
「うん。」
「なら、胸張って夢を追いかければ問題ないだろう。」
「…うん、ありがとう。先輩。」
「タメ口は直した方がいいけどな。」
「えー!」

僕と彼女は笑いあった。その次の瞬間には終業のチャイムが鳴る。

「あ、私そろそろ行かなきゃ!先輩、また今度ね!」
「…もう会わないだろうけどな。」
「そんな寂しい事言わないでよー!じゃ!」

彼女は一目散に駆けて行き、屋上の扉の向こうに消えた。残された僕は…特にやる事もないから、また瞼を閉じたのだ。

何分か経って、目を開けるとさっきまでの君との記憶が消えてゆく。これはなんだろう。屋上で受けた明るい日差しは無く、あるのは暗い天井。硬かった地面は柔らかい布団に…。そして、傍らの棚を見ると、君の写真。…そうか、君がこの世から旅立ったのは十年前の今日か…。

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