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PARCO劇場「大地」オンライン観劇してみた。

先日初体験したオンライン・ライブが思いのほか楽しかったので、新生PARCO劇場柿落としの「大地」(三谷幸喜・演出)のオンライン・チケットをとってみた。

正直、チケットとった段階では、都内の感染数も落ち着いてきていたし、ソーシャル・ディスタンス・バージョンということで客の数も抑えめという話だったので劇場に行く気満々だったのです。ただ仕事のほうが忙しすぎて、チケットとってもふいになるんじゃないかとか思うほどだったので、じゃあオンラインにしといて当日見られなくても配信で見られるようにしとくかー、と思った次第。

そのあと東京が「今こそ都庁をあの禍禍しい色に染めるべき時では…」って感じで感染者数が増えてきたので、結果的には連日の在宅ワーク徹夜作業でお疲れ気味の私には、おうちで観劇スタイルにしといてよかったかな、という感じだったのですが。

https://youtu.be/F1_4v56-Dxg

開始時刻直前にはログインが集中するということだったので、20分前ぐらいにはログインしておいて、少し早いお昼ごはんを食べる。ちなみに今日のランチは冷や汁にしてみました。

カボチャの煮物を初めて電子レンジで作ってみたんだけど上手くできた。10分で済むので感激。

オンライン観劇のラクなとこは、12時開演のお芝居でも11時にご飯食べて劇場入る前にトイレ並んで…とかを考えなくていいとこですね。

ただ、待機中は客入れの音楽とかわさわさ感とかもなく、ただ静止画面が流れるだけなので「ほんとにこれで時間になったら始まるのかな?」という不安があった。自宅で見てる人にとってはまったく意味ないけど、客入れから「携帯電話はオフにしてください」とかの前説も含めて配信してほしい。

芝居としては、三谷幸喜お得意のワンシチュエーション・コメディで役者も巧者が集まっているので、意外性はないけど安心して観られる佳作。正直、これが今の時代の作品でなければ佳作どまりだったかも知れないと思う。

どこかの国であったかのような物語として描かれているこの作品、役者が演じることを禁じられた役者を演じるという入れ子構造が、コロナ禍の日本、東京という「エンタメを禁じられた」都市の劇場において演じられるというメタコンテクストによって、作品が深みを増している。

これを劇場で見た人たちは、自分たちがこんなふうにマスクをして人数制限されて劇場という空間にいること、その劇場という場を成立させるひとりになったことを誇らしく、また重たく受け止めたことだろうなと思う。私たち戦争を知らない世代は、そういう場が「国家の危機」があれば簡単に失われるのだということを、今回のコロナ禍ではじめて実際に体験したから。

戦時中には不謹慎と言われて落語のこんな演目は上演禁止になったんだ、とか、文革期の中国では演劇人はみんな逮捕されて強制労働させられたんだぞ、とか、歴史の本や映画で得た知識としては知っていたけど、実際につい1ヶ月前まで普通に楽しんできた舞台や映画、ライブに行くことが禁じられ、それがいつまで続くかわからないということだとか、推しが失業する心配だけじゃなく、推しの生死を長期にわたって心配しなきゃならない状況とか、それはやっぱり生々しい経験で。

いくつかこれに似た状況はあったけど、それは遠い土地の出来事だったり、短期間で解決策が出てきたりして、一時的に自分の中の位置づけが大きくなっていても、やがて終息するものだった。その感覚の是非はともかくとして、私にとっては多くがそんなふうに感じられてきたわけだ。

今のコロナ禍が、これまで自分が見たり経験したりしてきたこれら多くの自然災害や大事故、惨劇とどこか違うのは「終わりが見えない」という部分がわかりやすい点かなぁと思う。変な言い方だが。

そういう状況下で改めて考えると、「終わりなんかない」ことの多さに圧倒される。なんでもない現状を維持することさえも、とてつもなく困難であることに、いちいち気づかされる。

普段は意識してないけど、家庭や社会の「当たり前」を維持するのは、めちゃくちゃ困難で頭と体力を使うことなのだ。そしてそれがいったん奪われてしまうと、その中で人間性を保ち、未来に希望を持ち、今あるよいものを維持しつつ、よりよい方向をみんなで模索して生き延びるということが、いかに険しい道なのかが、今ならかなりわかる。

私たちは、役者がいて台本があって舞台があって観客がいる、それだけの演劇成立要件がどれほど脆いものかを知ってしまったし、それがウイルスによって脅かされるのと同じように、国家や人間によっても脅かされるのだ、ということを、各国のロックダウンや自粛警察の暴力を目の当たりにして実感したわけです。

そんな今、この作品に観客としとして参加することの意味は、単なる観劇という意味を超えて現実に迫ってくる。劇中の入れ子構造をさらに現実世界が包みこむことによって、役者を演じる役者と観客の関係性は「この空間を成立させる者」としていわば対等になるし、時代性とか役者の個別具体性を抜きにして演劇は成立しないということが、このことによってあらためてはっきりするだろうと思う。

でもって、それこそが「演劇の力」というものだろう、と私は思うわけです。生身の人間が役を演じることの意味とは、そこにこそあるのだろう、と。

三谷幸喜という名の知れた演出家の作品ということで、劇場未経験でオンライン配信を視聴したというお客さんも結構多いんじゃないかと思う。とにかくこういう風にアクセスできる形がひとつあると、新規のお客さんへにとっても敷居が低くなって新しい客層が開拓できると思うし、それでなくても病気で入院してたり遠方に住んでたり、いろんな理由で劇場に来ることができない人たちにとっては、今の非常事態の時だけでなく続けて欲しいスタイルだと思うので、演劇業界は積極的にこうした配信やってほしいなと思う。

例えば、音楽のMVをフルでYouTubeで流しても、大半のファンは生のライブに行きたいと考えるし、CDやDVDも板にしかない特典目当てで買うものだ。ひと昔前の人たちの倫理観とは違って、デジタルネイティブの若者はこうしたサービスの収益構造を知ってるし、金さえあれば推しに課金したいと思ってる。

例えば本を電子書籍なんかにしたら紙の本が売れなくなる、という人もいるけど、私はそんなことはないと思う。従来とは違う客層が増えるのだ。その新しい客層が課金したくなるコンテンツの提供にこそ全力をあげるべきで、「やったら終わり」とばかりに従来のやり方を変えることに抵抗ばかりしてたら、それこそその世界じたいが終わることに加担するようなものだと思う。

話がデカくなりましたが、個人的には子役時代の山本耕史がこんな暑苦しい役をできるおじさんになるなんて想像できなかったし、深夜番組でジャージ着たまま拉致されてヘリに乗せられゲロ吐いてた大泉洋くんがこんないい俳優になるなんて思いもしなかったので、そのへんも感無量だった。

「大地」の配信ライブのチケットは、まだ受付中。幕間に三谷幸喜と俳優陣の対談なんかも入るので、お得感がすごい。少しでもご興味ある方は是非。

そして配信の形ではじめて演劇に触れた人は、いつか是非、劇場にも行ってみてください。ライブにはライブにしかないめんどくささと、それも含めた体験の豊かさがあるから。どっちがいいとは敢えて言わないです。私は生も配信も、どちらにも別の豊かさがある、と思ってるので。

こういうのは何度かみると、役者が上手くなってたり細かい演出変えてたりするのも見られて面白いのだが、普段はそこまでお金もかけられず、一回しか観ないことが多い。でも配信はお値段的にもお安いので、個人的にはもう一度ぐらい観てもいいかなぁ、なんて思ってる。

#大地 #ライブ配信 #三谷幸喜 #PARCO劇場 #演劇 #202007

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