この素晴らしき世界
きっかけはtwitterで、中三から不登校だったという高校生の「週一時間からはじめて、今週はじめて休まずに登校できた、ほめてください」というツイートが流れてきたこと。
息子も中学時代が不登校で、高校は通信制で通学がある学校を選んだという経緯があったので、私もなんだか我がことのようにうれしくなってイイねを押したんだけど、それだけじゃなく、このツイートに18万ものイイねがつく「やさしい世界」がまだtwitter界隈にも残ってたことに、私は少なからず感動したのでした。
コロナ禍ももう半年で、目に見えて社会は分断されていて、新しい暮らし、新しいテクノロジーがどんどん発達していく一方で、弱い立場の人たちから順に苦しい生活に陥っていく。そういう中で、インターネット上にただただ書きたいことを書き散らかすだけでいいのだろうか?と、時折思う。
といって人さまのお役に立てるほどの専門知識もなく文才もなく、という自分に何ができるのかねぇ、と思ったときに、息子が幼かった頃、彼に言ってきたことを思い出したのです。
5歳ぐらいの頃の息子は、ちょっとセンシティブなところがあって、夜寝るぐらいの時間になると、急に保育園での憂鬱な出来事を思い出したり、亡くなったひいばあちゃんのことを思い出したりしては、めそめそすることがありました。
そういう時、私は「とにかく一日一個、寝る前に今日よかったことを思い出してごらん、そうしたら一日がいい日だったなぁって思えるから」「おやつがおいしかったとか、お天気がよかったとか、そういうのでいいんだよ」って言ってました。(それでも「なんにもいいことなんかなかったぁ”あああ」と泣かれるのがオチでしたが。)
それは当時、シングルマザーで不安だらけで、職場でもおっさんのセクハラとか嫌なこともいっぱいあって、子供を寝かしつけて家事を片付けわずかなひとり時間に入ったとたんにどっと泣きたくなるようなとき、自分でやっていた習慣でもありました。(息子と一緒で「こんなちっぽけないいことしかない…」と余計ブルーになったりするオチもしばしばでしたが。)
今、明日の仕事や住む場所にも困るようになった人たちが急激に増えていて、その一方で「コロナで人生観と働き方、一気にかわりました♪」「今やトレンドはワーケーションでしょ」みたいな人たちもいる。そのどちらにも振り切れていない私のような市井の中間層の人たちは、世界が変わっていく不安とワクワク感を両方味わっているけど、どちらについて言及することにも、どこか躊躇ったりしてるんじゃないかなぁと思うのです。日本には不謹慎厨が多いから。
でも、そういう人たちも、人の幸せを自分の幸せのように喜ぶ「やさしい世界」には飢えてるんだよなぁ…ということを、上のツイートへの反応を見てて感じたんですよね。もちろん私もそう。
今日幸せだった、ということとか、あの人が幸せそうだった、ということを、だた「嬉しかったね」「よかったね」とシンプルに喜べることとか、それを表現できること、そういうシンプルさが、SNSの発展とともに失われていくさまを割とリアルタイムで見てきたけど、「結局SNSの機能として、もっと言えば人と人のコミュニケーション上、本当に重要なのはそれ【だけ】じゃないか」って一周回って思う。
私はnoteについては基本的に脳内垂れ流しを前提にしていて、「目に見えない読者」を意識して書こうと思ったことは正直あんまりありませんでした。ただ、このマガジンだけは、ちょっぴりだけ「誰かに届け」と思いながら書いていこうかなと思ってます。
たぶん、誰かから見たらつまらない個人的に嬉しかったこと、リアルな世界やネットのニュースで見かけてほっこりしたことやなんかを、淡々とクリップしていくマガジンにしようと思います。そういうささやかな「よかったこと」たちは、通り過ぎてしまうとたいてい忘れてしまうものだから、ピン止めするように書いていこうと思います。What a wonderful world!と心から言えるように。