軍隊をクビ?になった祖父
私の祖父は2014年99歳で亡くなり、今年2024年で10年が経ちました。自営業で、亡くなる半年前まで仕事をしていました。そんな祖父ですが、若いころは結核を患っていたそうです。
幼いときに母から聞かされたこと。
「おじいちゃんは、戦争に連れて行かれたけど1か月で戻ってきたの。馬の世話係をしていたらしいけど」
この手の話は苦労話になるところですが、私の頭の中は?でいっぱいでした。1か月で戻って来たって、何したん?
月日は流れ、大学で日本近現代史を専攻した私は、祖父母が生きている間にと、生い立ちを語ってもらうことにしました。そのとき、長年気になった徴兵についてもたずねました。
祖父は1915(大正4)年生まれ。『鬼滅の刃』の時代です。17歳で不治の病と呼ばれた結核に罹りましたが、無事完治。サナトリウム(療養所)に入ったわけでもないのに。
当時の男性は20歳になると徴兵検査を受けます。祖父も受けたものの「不適」とみなされたようです。判定基準は上から「甲種・乙種・丙種・丁種」で、「甲種・乙種」がいわゆる合格でした。一番下の「丁種」だと思いましたが、詳しく調べるとこれら4段階の下には「戊種」という「病中や病後で、判定不可」というのがありました。ということで「病後」の祖父は、徴兵と無縁の生活を送ることになりました。
「徴兵に受からないなんて、男として恥」と思う人が多いようですが、祖父の口調からはそんな雰囲気は感じ取れませんでした。これが1935(昭和10)年ころ、まだ穏やかな時代でした。
1944(昭和19)年、戦局が厳しくなり、兵士が不足。「不適」な祖父の元にも「臨時召集令状(赤紙)」がついに届き、金沢にある部隊に連れて行かれたそうです。
私「おじいちゃん、1か月で軍隊から帰って来たのは本当?」
祖父「うん。馬の世話させられたんだけど、馬の目が怖くってねー。それで、仕事にならなくて帰れって言われた。それから、1年ほどで戦争終わって召集されることはなかったよ」
……本当だった。結核経験者で30歳(当時では高齢)。全く期待されていてなかったんだろうな。受け入れた方も大変だったのかもしれない。マイペースな祖父だから。
今回この記事を書くにあたり、徴兵されたもののお役御免になったケースはあるのかと調べてみましたが、見当たりませんでした。レアケースだったんだろうな。もう少し調べてみたいところですが。
この祖父のおかげで、母も私もこの世に生を受けたことには感謝しています。
祖父の話は私は子どもたちにも伝えているので、「大じいちゃんは、不思議な人」認定されています。
当時と今の感覚は違うけれど、「生きてこその人生」ということを、子ども達に感じてほしいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?