見出し画像

2018来日公演「エビータ」をみて

シアターオーブ来日公演『エビータ』7月19日 昼の回
学生チケットで2階バルコニー席に入ったけど、めちゃ良席!
表情も結構見えるくらい近く感じた。
ただ高所恐怖症なので多少びくびくしながらの観劇...。「席からものを落とさないでください」ってアナウンスがあるたび、なおさらこわくなって慌てて荷物をしまっていた。
パフォーマンス自体はすごい良くて、特に初めて生でラミン・カリムルーの歌を聞けたのは感動だった!(レミゼ25周年のアンジョラス、オペラ座25周年のファントムのDVDでみたことがあった)

歌がいいだけに、見終わったあとはなんとなく「いいものを見た!」とほくほくサントラを聞きながら帰ったのだが、よくよく考えてみると全く泣いてなかったことに気づいた。
どのキャラクターにも感情移入できてなかった。
周りの観客だと泣いてる人もいたけど、泣くポイントどこだったんだろう?普段は結構涙もろくて、泣き所じゃないのに感情移入してるくせに。

受け取る自分が作品にそぐわなかったのか、もしくはそれこそが作品の意図なのか?気になっていろいろ調べて一応腑に落ちたのでまとめたい。

見てない人は公式サイトのあらすじ読んでください。

以下ネタバレあり。

この物語の主題は一体なんなのだろうか。

第一幕を見ているときは、エヴァ・ペロンの聖女神話を批判したい作品なのかなと思った。
冒頭、チェがエヴァの葬式の場面で歌う"Oh, What a Circus"では、彼女の俗的な面を暴いていくのが物語の主題であるように感じさせられた。チェは彼女の野望であったヨーロッパ周遊旅行、通称Rainbow Tourの最終的な失敗を歌ったり、「私は民衆の代表である」と語ったエビータの演説のあと、「農民の生活はなにも変わっちゃいない」と歌うなど、彼女の活動に対する批判を行っている。
また、エヴァ自身の描写はかなり俗的だった。いくつもの男の愛人としての立場を利用しのし上がり、権威を手にしていった姿として描かれていた。(エヴァを愛人にした男が順番に並べられてシュンとしてる姿は結構面白かった。)
また、野心を持った強い女性という描かれ方も、聖女・聖母としての印象とは大きく異なる。

しかし後半からは、どうも批判以外のメッセージがある気がした。特にエヴァの野心が挫折に終わる姿を、美しく描いていると感じた。
ファーストレディになったエヴァは権力、美貌、資産全てを手にしたように見えた。でも、本人はたった100年の命(実際は33年)では、何もできないことを悟ったんだろう。それでも民衆の代表として、彼らの人生に責任があることもわかっている。

見ていて印象的だった歌詞。

[Che:] There are no mysteries now
Nothing can thrill you, no one fulfill you ("High Flying, Adored")
[Eva:] From war to pollution, no hope of solution
Even if I lived for one hundred years ("Waltz for Eva and Che")

チェには、"But do you now represent anyone's cause but your own?"なんて聞かれているけど、実際エヴァは最後には民衆のために何かできないか、本気で考えていたんじゃないかと感じさせられた。確かに彼女はギリギリまで強かに副大統領の座を狙っていたけど、それを辞退した死の間際のスピーチには、それでも民衆のそばにあろうとする覚悟があらわれていたと思う。
ただ、彼女にはもう時間がなかったし、彼女の持てるものではこれ以上なにもできなかった。
これを聖女たる姿と見るか、無責任な女の姿と見るかはもう個人の受け取り方の違いになるんじゃないかな。思想的な立場によってどちらをとるか変わるような気もする。

結論、この作品は、エヴァの聖女でも悪女でもない一人の人間としての生き様をしっかりと描こうとしたのではないかと思う。パンフレットの記事で、現代の『マクベス』と称されていたのが、すごくわかりやすい。一人の女性の野心と挫折の物語。
ここで重要なのが、実際のアルゼンチンでエヴァが半ば無批判に、聖女として崇拝されている存在であるということ。また、エヴァを嫌っているその他の国々の人たちも存在するということ。この作品は、そんな熱狂的なエヴァの神話の再現でもなく、痛烈な批判の物語でもなく、単に客観的に冷めた視点を投げかけている舞台だった。
だから、強く感情を揺さぶられる必要はなかったんだと思う。

エビータと同じく、アンドリュー・ロイド=ウェバーとティム・ライスのタッグで作られたJesus Christ SuperstarのJesusの描き方も同じ意図があるような気がした(うろおぼえ)。確かに、Jesus Christ Superstarみたときも、どれかのキャラクターに感情移入させられることはなかった。

ミュージカルって、歌のパワーでガンガン感情移入して、号泣するか歓喜するかしてエンディングっていう流れがある方が単純に楽しみやすいので、『エビータ』のちょっと引いた視点に若干の違和感を感じたんだと思う。エンディングも、喜劇のミュージカルだったら\ジャーン/って盛り上がるし、悲劇系だったら劇的なことが起こって終わる(誰かが死ぬとか)けど、そのどれでもなかった。
でも、リアルで政治的な内容をここまで客観的に描こうとしてもエンターテイメントとして成立しているのはやっぱりミュージカルである所以だと思う。演劇、ミュージカル論的にはどういう風にこの作品が見えてるのか気になる。

もっかい見たくなってきた!次は劇団四季でみたい!



いいなと思ったら応援しよう!

Na
最後まで読んでいただきありがとうございます!励みになります...