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鬱になってから解った「ロビンソン」の歌詞
病気になる前から
なんだか疲れてるときに脳内再生されるのは
スピッツのロビンソンが多かったけど
歌詞の意味もあまり分からず
好きな人と一緒に死んじゃったのかなー
とか
疲れてるんだろーなー
くらいにしか思ってなかった。
鬱病と統合失調症を患った今、
改めてロビンソンをきいてみると
もう、分かるー!!
その一択。
私が感じたロビンソンの歌詞に出てくる
君、とは
もう一人の自分。
そしてそれは何にでもなるから
例えば私のロビンソンでは
君=ガヴォット
この世界から消える時は
ガヴォットは絶対一緒。
村上春樹の「象の消滅」を読んだ人いますか?
あれも、ロビンソンだと思ってて
2人だけの国、が絶対ある。
私とガヴォットにもあるし
ガヴォットみたいに人形じゃなくても
自分ともう1人の自分にもある。
そういう見方でロビンソンの歌詞を
考察していくと
希死念慮がある方には
分かるー!!ってなるんじゃないかなあ。
大きな力で空に浮かべたら
ルララ宇宙の風にのれるんだったら
私はいつだって
その奇跡を望んでる。
宇宙の塵になってずっとずっと
ガヴォットと浮かんでいたい。
この考え方でいくと
「空も飛べるはず」「夢じゃない」も
同じ味方ができる。
ずっとそばで笑っていて欲しい=ガヴォットはピエロなのでずっと笑ってるし
もう一人の自分にも笑って欲しい
同じリズムで揺れてたブランコであくびしそうな君を見つめていた=変わり映えしない日々を共に過ごしてきた。
スピッツがどういう意味で歌詞を書いたかなんて知らないけど
私はだいたいがもう一人の自分との対話だと
感じてます。
誰にでももう一人の自分はいると思う。
一人だけじゃない場合もあると思う。
いろんな見方で歌詞や本を考察すると
なかなか面白い。