見出し画像

日々に余白を生み出す為の "イシューからはじめよ2/4"

「イシュー思考」がもたらす具体的な変化

 前回は「イシューからはじめよ―知的生産の『シンプルな本質』」の核心となる考え方や、その歴史的背景についてお話ししました。今回の「第2部」では、さらに一歩踏み込み、私たちの日常や仕事において「イシューからはじめる」ことがどのような具体的変化をもたらすのかを考えてみたいと思います。もし前回をまだ読んでいなくても、ここだけでも理解できるように工夫してありますのでご安心ください。

yohakuとしては最初で最後のビジネス書と呼ばれる書籍の解説をしていくことになると思います。時間的、経済的「余白」を生み出す為に必要だと考えて取り上げてみることにしました。(書籍の内容解説は散々されているのと本自体が非常に分かりやすいので、あくまでyohakuの観点から紹介するに留めます)。

前回の内容を簡単に振り返ると、「イシュー」とは解決すべき課題の核心、あるいは答えを出すに値する本質的な問いのことでした。単に情報を詰め込むのではなく、まずは「何が問題なのか」を明確にし、そのうえで答えを導いていくというスタンスが重要だというお話をしました。この「イシュー思考」を実際に取り入れると、どんなメリットがあるのでしょうか。

日常の中でも、たとえばあなたがどこかのチームやプロジェクトに参加しているとします。そこで新しい提案をする場面を想定してみてください。提案を通すためにいきなり大量のプレゼン資料を作り始めてしまうと、全体像を捉えづらくなり、相手の疑問がどこにあるのか見落としてしまうかもしれません。それよりも「相手が最も知りたいことは何か」「自分はどの問いに答えようとしているのか」をはっきりさせるだけで、プレゼン準備の道筋もはっきりと見えてきます。

また、もう一つ想像していただきたいのは、個人的な学習や習慣改善の場面です。何か新しいスキルを身につけたいときに、ただ闇雲に教材を読み漁ったり動画を観たりしても、なかなか成果を実感しにくいことがあるかもしれません。ところが「自分は何をできるようになりたいのか」「そのためにどんな疑問をクリアにしなければならないのか」を最初に具体化すれば、選ぶべき学習素材や練習方法も絞り込まれてきます。これが「イシュー思考」がもたらす大きな変化です。

前回にも少し触れましたが、「イシューを絞り込みすぎると、視野が狭くなるのでは」という懸念もあります。たしかに、問いを定めることで偶発的な発見のチャンスを逃す可能性はゼロではありません。ただ、そのリスクを過剰に恐れてしまうと、結局は「どれも大事」「どこから手をつければいいのかわからない」という混沌に陥る恐れもあります。私たちが求められているのは、イシューの明確化と柔軟性とのバランスをとることです。何が本質的な問題かを示したうえで、必要に応じて寄り道や探索も楽しむ。そうした使い方が、著者の安宅和人さんが本書を通じて提案している姿勢なのだと感じます。

具体的な実践例とレンズの当て方

 次に、より具体的な実践例やアプローチを見ていきましょう。「イシューからはじめよ」の考え方は、ビジネスの現場だけでなく、研究や教育、さらには個人的な趣味の領域にも活かすことができます。

たとえば、研究活動において大きな論文を書く人をイメージしてみてください。文献を読み込むのは大切ですが、目的が定まらないまま手あたり次第に文献収集を行うと、論点がブレて苦労することが多いです。そこではまず「どの分野の、どんな課題を明らかにしたいのか」を明確化する必要があります。あらゆる情報をリストアップするのではなく、何を優先すべきかを決めるためにイシュー設定を行う。そうすると引用したり調査したりする対象がスパッと絞られ、効率よく深堀りできるのです。

一方、教育現場でも、学習者が「何を理解し、どのような力を身につけたいのか」を意識することが大切だと指摘されています。これは、アメリカの教育哲学者ジョン・デューイが強調した「問題解決型学習」にも通じる考え方です。デューイの言葉を借りれば、学びとは受け身で与えられるものではなく、学習者が能動的に問いを見つけ、その答えを探す過程でこそ深まっていくとされています。たとえば理科の授業でも、「なぜ空は青いのか」という問いを自分たちなりに設定し、それを調べるプロセスを経ると、単純に教科書を暗記するよりもはるかに印象に残る学びになるわけです。

実はこのように「問いを立てて答えを導く」という思考プロセスは、古代ギリシャの哲学者ソクラテス以来の伝統的な対話法とも親和性があります。ソクラテスは相手に問いを投げかけ、それを受け取った相手が自ら考えを深めるよう促しました。まさに「疑問を通じて思考を進める」という方法論です。ビジネスの世界であれ、学問の世界であれ、核心となる問題意識を育てていくことで、思考の質と生産性は格段に上がるのだといえます。

この点は、経営学のピーター・ドラッカーが「成果を上げるには、重要なことを先に考えなさい」と強調した言葉とも重なります。すなわち「そもそも何を意図しているのか」「成果とは何を指すのか」を先に定めずに行動しても、いずれ方向性がブレてしまうということです。こうした数々の思想家や経営者の言葉が「イシューからはじめよ」という本書の考えを裏付けているようにも感じます。

逆張りの視点と創造性

 一方で、「イシュー」を明確にするという発想を逆手に取り、あえて「曖昧な問い」に向き合うことの重要性を説く人々もいます。たとえば日本の作家であり評論家でもある森博嗣さんは、小説を書くプロセスで「最初にゴールを決めてしまわない」ことの利点を強調することがあります。物語がどう展開していくかを事前に厳密に決めないからこそ、キャラクターやストーリーが想定外の方向に伸びていき、新しいアイデアが生まれるといった指摘です。

これはビジネスや研究の文脈でいえば「探索型アプローチ」と重なります。明確なゴール設定をしないまま新しい分野を自由に探検するからこそ、画期的な発見につながるのではないかという考え方です。たとえば、イノベーション研究で有名なクレイトン・クリステンセン教授も、企業が破壊的イノベーションを起こすときには、はじめから的を絞らない取り組み方が必要な場合があると論じています。ここでのポイントは「イシューからはじめる」か「曖昧な状態を活用する」かは、場面や目的に応じて使い分けることが肝要だということです。

ただ、仮に曖昧さを尊重したとしても、最後には何らかの形で「核心となる問い」に帰着しなければアウトプットにはなりにくいともいえます。初期段階で明確な課題を設定しなかったとしても、ある程度探索していく中で「これこそが究極的に解きたい問題なのではないか」というイシューの姿が浮かび上がってくるはずです。そのタイミングであらためて「イシューからはじめる」発想を持ち込むことによって、成果や発見を形あるものにまとめられるでしょう。

安宅和人さんの本書を読むと、こうした「創造性とイシュー思考のバランス」にも触れられている部分が散見されます。あくまで「イシュー」ありきでガチガチに縛ってしまうのではなく、どこかに遊びや自由度の余白を残しておく。そして、最終的には「最大限に効果的なインパクトを生む問い」に照準を当て、徹底的に答えを導き出すという流れが理想的だと示唆されています。

イシューへの問い

 では、私たちはこの「イシューからはじめよ」という発想をどのように今後取り入れていけばいいのでしょうか。ここでちょっと具体的な問いを投げかけてみたいと思います。

たとえば、あなたが今直面している悩みや課題は何でしょうか。もし「転職を考えている」「新しい企画を立ち上げたい」「人生の進路を選択したい」など、さまざまなテーマが浮かんでいるならば、まずは「自分はなぜそれを解決したいのか」「解決によって何が得られるのか」という問いを言葉にしてみるのがいいかもしれません。すると、そこで浮かんだ目的や欲求があなたの「イシュー」そのものになる可能性があります。

あるいは、もっと単純なところで「休日をどう過ごすか」という悩みでも構いません。やりたいことがたくさんあって全部中途半端になりそうならば、「本当にやりたいことは何か」「自分をリフレッシュさせる要素は何か」を問い直すだけでも方向性がはっきりするはずです。問題が明確になることで、活動の優先度づけが自然と決まるでしょう。

次回は、本書の内容を手がかりにしながら、もう少し踏み込んでイシューを特定するためのプロセスや、それを組織やチームで共有するときの工夫などについて掘り下げてみたいと思います。

読者の皆さんの中には、一人で思考して結論を出す場合もあれば、複数のメンバーで相談しながら課題を解決していく場面もあることでしょう。その際に、どのように「イシューからはじめる」姿勢を活かしていけばいいのか、一緒に考えていければうれしいです。

もし今回の内容をご覧になって、「そうか、イシューからはじめるって実はこんなに多方面で使える考え方なのか」と感じていただけたのであれば、ぜひまた次回も読んでみてください。この連載を通じて、あなたの思考や行動がより具体的に変わるきっかけになれれば幸いです。前回を読んでいない方にもわかるように工夫していますので、今後の回もお気軽にのぞきにきてください。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。引き続き興味をもっていただける方は、次回の更新も楽しみにしていただければうれしいです。前回より少し踏み込んだ内容を扱いましたが、また別の角度から読み返していただくと、新たな発見があるかもしれません。


いいなと思ったら応援しよう!