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トカゲの世界を覗くことは可能か? "暇と退屈の倫理学4/5"

トカゲの世界を想像したことがありますか?

 これまでの章では、暇と退屈の定義や歴史的背景、哲学的視点、現代社会における再評価、消費社会の疎外論について探求してきました。第4部では、「トカゲの世界を覗くことは可能か?」という問いを通じて、暇と退屈の人間学について深く掘り下げます。この章では、動物の視点を通じて人間の暇と退屈の本質を理解するために、環世界(ウムヴェルト)という概念を探ります。

環世界(ウムヴェルト)とは?

 環世界(ウムヴェルト)という概念は、ドイツの生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルによって提唱されました。この概念は、動物がどのようにして自分の周囲の環境を認識し、反応するかを説明するものです。各動物は、その感覚器官と行動パターンに基づいて独自の環世界を持ちます。例えば、トカゲ、犬、ダニ、そして人間の環世界はそれぞれ異なり、同じ環境でも異なる現実を体験しています。

トカゲの環世界

 トカゲは、その生態において特定の視覚、嗅覚、触覚を使って環境を認識します。トカゲの視覚は紫外線を感知する能力があり、これにより捕食や繁殖の際に重要な情報を得ています。一方で、人間の視覚とは大きく異なるため、私たちが見ている世界とは異なる世界をトカゲは見ています。このように、トカゲの環世界を理解することは、人間の暇と退屈の特性を理解するための対照的な視点を提供します。

盲導犬と人間の協働

 今度は盲導犬の例を通じて、異なる環世界の相互作用について考えてみることもできます。盲導犬は、視覚に障害を持つ人々をサポートするために訓練されています。犬は視覚や嗅覚、聴覚を使って周囲の環境を認識し、主人を安全に導きます。盲導犬とその主人の関係は、異なる環世界が協働して機能する優れた例です。犬の感覚能力が主人の欠如を補い、共に生活する中で新たな現実を創り出しています。環世界同士の協力により、新たな環世界を垣間見ることができると言えるかもしれません。

ダニの環世界

 さらに興味深いのは、ユクスキュルが例に挙げたダニの環世界です。ダニは非常に限られた感覚情報に基づいて生活しています。具体的には、皮膚の温度を感知して哺乳動物に寄生し、その血液を吸うことで生きています。ダニの環世界は極めて単純であり、その感覚器官に制限された狭い世界です。これと対照的に、人間の環世界は非常に複雑で多様です。

人間の暇と退屈の独自性

 人間が動物と異なる点は、暇や退屈を感じる能力にあります。これは、高度な認知能力と自己意識の産物です。私たちは未来を予測し、過去を振り返り、現在を超越した抽象的な思考を行うことができます。これにより、物事の意味や価値を考え、暇や退屈を感じるのです。暇や退屈は、自己意識の副産物として現れ、私たちが自分自身の存在や行動について深く考える機会を提供します。

環世界と人間の存在論的意義

 暇と退屈は、存在論的に見ても重要な意味を持ちます。哲学者マルティン・ハイデッガーは、暇と退屈が人間の存在について考える機会を提供すると述べました。退屈を感じることで、私たちは自己の存在や生き方について内省し、新たな価値観や目標を見出すことができます。ハイデッガーは、退屈を三つの形式に分類しました。「何かによって退屈させられる退屈」、「何かに際して退屈する退屈」、そして「なんとなく退屈だという退屈」です。

退屈と創造性

 退屈が創造性を刺激する力を持っていることは、多くの哲学者や心理学者によっても指摘されています。退屈な時間を過ごすことで、私たちの心は新しいアイデアや発想を生み出すための余地が生まれます。例えば、アルベルト・アインシュタインやアイザック・ニュートンは、退屈な時間を過ごす中で偉大な発見をしました。これらの例は、退屈が創造的な発見や発明の源となることを示しています。

例えば、あなたはどのような仕事を普段し、どのような趣味を持っているでしょうか。職業病、という言葉があるようにその仕事ならではの物の捉え方や出来事に対しての反応をしてしまうことがあると思います。それらもこれまで挙げてきた環世界に該当するものです。昨今では、コロナ禍において様々な趣味を試した人も多いのではないでしょうか。その中には暇ではなく退屈による創造性を感じた人もいるはずです。そうした創造性から発露されるものは普段の退屈な仕事の中では生まれないものを生み出してきたのかもしれません。

あなたならどんな環世界を覗きたいですか?

 ここまで、「トカゲの世界を覗くことは可能か?」という問いを通じて、暇と退屈に関わる環世界について探求しました。動物の環世界の概念を通じて、人間の暇と退屈の独自性を明らかにし、存在論的および心理学的な観点からその意義を考察しました。盲導犬やダニの環世界を例に、人間の環世界の複雑さとその中で感じる暇と退屈の意味を再確認しました。

 環世界、疎外、暇と退屈、そして贅沢。様々な言葉とその背景について掘り下げてきたこの本を読む中で、暇と退屈や疎外、そうした言葉一つをとっても感じるものが変わってきたのではないでしょうか。次回はそんな「暇と退屈の倫理学」の解説を締めくくっていきます。


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