新たな共同性の模索 ”「利他」とは何か 2/4”
資本主義社会における利他の可能性
昨日から取り扱ってきた『「利他」とは何か』において、以前「暇と退屈の倫理学」で取り上げたこともある國分功一郎さんは現代の資本主義社会における利他の可能性について、興味深い考察を展開しています。
國分は、市場原理を利用しながら社会的課題の解決を目指すソーシャルビジネスなどの例を挙げ、資本主義システムと利他が必ずしも相反するものではないことを示唆しています。
この視点は、経済学者のアマルティア・セン(1933-)の「ケイパビリティ・アプローチ」とも深く関連しています。センは『不平等の再検討』(1992)において、経済的繁栄を単なるGDPの増加ではなく、人々の実質的な自由(ケイパビリティ)の拡大として捉えるべきだと主張しました。センは次のように述べています。(これまで何度も引用しましたね!)
センの思想を國分の議論と結びつけると、資本主義社会における利他とは、単なる富の再分配ではなく、社会全体のケイパビリティを高めていく過程として捉えることができるでしょう。
さらに、社会学者のジグムント・バウマン(1925-2017)は『リキッド・モダニティ』(2000)において、現代社会の流動性と不確実性を指摘しています。バウマンの視点を踏まえると、資本主義社会における利他の形も、固定的なものではなく、常に変化し続ける流動的なものとして捉える必要があるかもしれません。
國分さんは、このような流動的な社会における新たな利他の形として、次のような例を挙げています。
これらの新しい経済モデルは、従来の資本主義システムの枠組みを超えて、個人と社会、利己と利他の新たな関係性を構築する可能性を示唆しています。
テクノロジーと利他
『「利他」とは何か』においてテクノロジーの発展が利他に与える影響についても考察されています。
例えば、遠隔医療技術の発展により、地理的制約を超えた医療支援が可能になっています。これは、テクノロジーを介した新たな利他の形と言えるでしょう。
この視点は、哲学者のピーター・シンガー(1946-)の「拡大する円」の概念とも深く関連しています。シンガーは『実践の倫理』(1979)において、道徳的配慮の対象を徐々に拡大していく必要性を主張しました。シンガーは次のように述べています。
シンガーの思想を伊藤の議論と結びつけると、テクノロジーの発展は利他の対象や範囲を劇的に拡大する可能性を秘めていると考えることができます。
一方で、テクノロジーの発展が利他に与える影響については、慎重な考察も必要です。例えば、哲学者のニック・ボストロム(1973-)は『スーパーインテリジェンス』(2014)において、AIの発展が人類にもたらす潜在的なリスクについて警告しています。
ボストロムの視点を踏まえると、テクノロジーを通じた利他の実践においては、その長期的な影響や倫理的な側面を十分に考慮する必要があるでしょう。本書では、このようなテクノロジーの両義性を踏まえつつ、次のように述べています。
コミュニティと利他
本書の共同著者である中島岳志さんは、『「利他」とは何か』において、現代社会におけるコミュニティの変容と利他の関係について論じています。
中島さんは、オンラインコミュニティやNPO活動などの例を挙げ、現代社会における新たな共同性と利他の可能性を示唆しています。
この視点は、社会学者のロバート・パットナム(1941-)の「社会関係資本」の概念とも深く関連しています。パットナムは『孤独なボウリング』(2000)において、アメリカ社会における社会関係資本の衰退を指摘し、新たなコミュニティ形成の重要性を主張しました。パットナムは次のように述べています。
パットナムの思想を中島の議論と結びつけると、現代社会における新たな形の利他とは、このような社会関係資本を再構築し、強化していく過程として捉えることができるでしょう。
さらに、哲学者のマイケル・サンデル(1953-)は『これからの「正義」の話をしよう』(2009)において、共同体主義の立場から、個人の権利と共同体の価値のバランスの重要性を主張しています。
サンデルの視点を踏まえると、現代社会における利他の実践は、個人の自由と共同体の価値をいかに調和させるかという課題とも深く関わっているといえるでしょう。
本書では、このような新たなコミュニティにおける利他の形として、次のような例を挙げています。
これらの新しいコミュニティは、従来の地縁・血縁に基づくものとは異なる原理で形成され、そこでは新たな形の利他が実践されているのです。
グローバル化時代の利他
グローバル化が進展する現代社会において、利他の概念も国境を超えた広がりを見せています。『「利他」とは何か』において、著者たちはこの点についても深い洞察を提供しています。例えば、若松英輔さんは次のように述べています。
この視点は、哲学者のピーター・シンガー(1946-)の「グローバルな倫理」の概念とも深く関連しています。シンガーは『グローバリゼーションの倫理学』(2002)において、グローバル化時代における倫理的責任の拡大を主張しました。シンガーは次のように述べています。
シンガーの思想を若松の議論と結びつけると、グローバル化時代の利他とは、国家や文化の枠を超えて、人類全体の福祉を考慮に入れた行動をとることだと捉えることができるでしょう。
一方で、政治哲学者のマイケル・ウォルツァー(1935-)は『正義の領分』(1983)において、普遍的な正義の概念に疑問を呈し、各文化や共同体の特殊性を尊重する必要性を主張しています。
ウォルツァーの視点を踏まえると、グローバル化時代の利他の実践においては、普遍的な価値観と各文化の特殊性のバランスをいかに取るかという課題が浮かび上がってきます。この点について、本書では次のように述べられています。
具体的には、国際的なNGOの活動や、多国籍企業のCSR(企業の社会的責任)活動、さらにはSDGs(持続可能な開発目標)の推進などが、グローバル化時代の新たな利他の形として挙げられるでしょう。
新たな社会システムの構想
現代社会における利他の実践は、既存の社会システムの枠組みを超えた新たな構想を必要としていることが分かります。例えば、経済学者のケイト・ラワース(1970-)は『ドーナツ経済学』(2017)において、従来の経済成長至上主義を超えた新たな経済モデルを提唱しています。ラワースは、社会の基本的ニーズを満たしつつ、地球の環境的限界を超えない「ドーナツ」の形をした経済を目指すべきだと主張しています。
ラワースの思想は、『「利他」とは何か』で展開された議論とも深く共鳴していると言えるでしょう。
このような新たな社会システムの構想においては、テクノロジーの適切な活用、新たな形のコミュニティの形成、そしてグローバルな視点と地域の特殊性のバランスが重要な要素となるでしょう。
同時に、このような社会システムの変革は、個人の意識や行動の変容と密接に結びついています。
このように、『「利他」とは何か』で展開された議論は、個人の日常的な実践から社会システム全体の変革まで、多層的な視点から利他の可能性を探っているのです。
現代社会における利他と社会システムの関係は、資本主義の再考、テクノロジーの影響、新たなコミュニティの形成、グローバル化への対応など、多様な側面を持っていることが明確になったかと思います。これらの要素を統合的に捉え、新たな社会システムを構想していくことが、これからの利他の実践にとって重要な課題となるでしょう。
明日は宗教観と利他性といった視点で、また我々ならではの取り上げ方をしていきたいと思います。
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