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忙しさが生む虚構の価値 "ブルシット・ジョブ -- クソどうでもいい仕事の理論 3/4"

労働倫理の変容と「仕事中毒社会」

 ブルシット・ジョブの存続を支える重要な要因として、西洋社会に深く根付いた労働倫理観があります。この労働倫理は歴史的に形成されてきましたが、現代社会において新たな形態を取るようになっています。

プロテスタンティズムの労働倫理とその変容

 マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905)で指摘したように、近代資本主義の発展には、勤勉な労働を神への奉仕とみなすプロテスタンティズムの倫理観が大きく寄与しました。しかし、現代社会においてこの倫理観は世俗化し、労働そのものが自己実現や社会的承認の主要な手段となっています。

アメリカの社会学者アーリー・ホックシールドは『タイム・バインド』(1997)で、以下のように述べています。

「現代社会では、仕事が単なる生計の手段を超えて、個人のアイデンティティや自己価値の中心となっている。皮肉なことに、この傾向が意味のない仕事さえも正当化する根拠となっている。」

アーリー・ホックシールド

この観点から、ブルシット・ジョブの存続は、労働そのものに過度の価値を置く社会的風潮の反映と見ることができます。

「忙しさのカルト」と社会的地位

 現代社会では、「忙しさ」が社会的地位や重要性の指標として機能する傾向があります。アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバー自身が『ブルシット・ジョブ』で指摘しているように、多くの人々が自分の仕事の意義を疑いつつも、「忙しさ」を装うことで社会的承認を得ようとしています。

社会学者のジョナサン・クラーリーは『24/7:眠らない社会』(2013)で、現代社会における時間の商品化と、それに伴う「永続的な活動性」の要求を分析しています。クラーリーの分析は、ブルシット・ジョブが「忙しさのカルト」を維持する機能を果たしている可能性を示唆しています。

自己啓発イデオロギーとブルシット・ジョブ

 近年、「自己啓発」や「自己実現」を強調する文化的傾向が強まっています。社会学者のミシェル・フーコーの権力論を発展させたニクラス・ローズは『私的な自己の形成』(1989)で、この傾向が新たな形の社会統制として機能していることを指摘しています。

自己啓発イデオロギーは、個人に常に自己を向上させ、キャリアを発展させる責任を負わせます。この文脈において、ブルシット・ジョブでさえ「経験」や「スキル」の獲得の機会として正当化される可能性があります。

政治経済学的視点からのブルシット・ジョブ分析

ブルシット・ジョブの存続には、単なる文化的要因だけでなく、深い政治経済学的な背景があります。

新自由主義政策とブルシット・ジョブ

 1980年代以降、多くの先進国で採用された新自由主義的政策は、労働市場の柔軟化と規制緩和を推進しました。デヴィッド・ハーヴェイは『新自由主義』(2005)で、これらの政策が労働者の権利を弱体化させ、不安定雇用を増加させたことを指摘しています。

この文脈において、ブルシット・ジョブは、不安定な雇用環境下で人々が仕事を確保し続けるための一種の「生存戦略」として理解することができます。言い換えれば、意味のない仕事でも、それが安定した収入をもたらすのであれば、人々はそれを受け入れざるを得ない状況が生まれているのです。

福祉国家の変容と雇用政策

 福祉国家の変容も、ブルシット・ジョブの増加に寄与しています。政治学者のイエスタ・エスピン=アンデルセンは『福祉資本主義の三つの世界』(1990)で、福祉国家の類型を分析していますが、多くの国で「ワークフェア」(就労を条件とする福祉)への移行が見られます。

この政策転換は、失業率の低下を最優先課題とし、仕事の質よりも量に焦点を当てる傾向を強めました。その結果、社会的価値の低い仕事でも、雇用創出の名目で維持・拡大される可能性が高まっています。

企業統治と短期主義

 現代の企業統治において、短期的な株主価値の最大化が重視される傾向があります。経営学者のウィリアム・ラゾニックはこの「株主価値至上主義」が長期的な価値創造を阻害し、組織の非効率性を生み出していると指摘しています。

この短期主義的な経営方針は、実質的な価値創造よりも、短期的な業績や市場の印象を管理することに重点を置く傾向があります。その結果、グレーバーの分類でいう「書類穴埋め人」や「取り巻き」といったブルシット・ジョブが増加する可能性が高まるのです。

テクノクラシーとブルシット・ジョブの関係

 現代社会における科学技術への過度の信頼と、それに基づく社会管理の傾向(テクノクラシー)も、ブルシット・ジョブの増加に寄与しています。

「専門家支配」と官僚制の肥大化

 フランスの哲学者ジャック・エリュールは『技術社会』(1954)で、現代社会における技術と専門知の支配を批判的に分析しました。エリュールの指摘する「専門家支配」の傾向は、官僚制の肥大化と、それに伴うブルシット・ジョブの増加につながっています。

例えば、政府機関や大企業における「専門家」や「アナリスト」の職位の増加は、その存在意義が不明確な部署や職位の増加につながっている可能性があります。

データ至上主義とブルシット・ジョブ

 ビッグデータやAIの発展に伴い、あらゆる社会現象を数値化・定量化しようとする「データ至上主義」の傾向が強まっています。イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは『ホモ・デウス』(2015)で、この傾向がもたらす倫理的・社会的問題を指摘しています。

データ至上主義は、実質的な価値創造よりもデータの収集と分析に重点を置く職種を生み出しています。これらの職種の中には、その社会的意義が不明確なものも含まれており、グレーバーの定義に基づけばブルシット・ジョブに分類される可能性があります。

テクノロジーによる「疑似効率」の創出

 テクノロジーの発展は、一見すると業務の効率化をもたらすように見えますが、実際には新たな形の非効率性を生み出す可能性があります。過度の情報提供や選択肢の増加が却って意思決定を困難にする「選択の逆説」とも言えます。この文脈において、テクノロジーの導入が却って業務を複雑化し、新たなブルシット・ジョブ(例えば、複雑化したシステムの管理者や、過剰な情報の整理係など)を生み出している可能性があります。

ブルシット・ジョブの存続を支える文化的・政治的背景が、単なる個人の選択や組織の非効率性を超えた、社会システム全体に関わる問題であることが明らかになりました。これらの要因は相互に影響し合い、ブルシット・ジョブを生み出し、維持する複雑なメカニズムを形成しているのです。

明日は最後の解説として、このような状況に対する批判的考察と、可能な解決策について検討していきます。

文化的・政治的背景の余白

 ブルシット・ジョブを支える文化的・政治的背景の考察は、私たちの社会に深く根付いた「忙しさ」や「効率」への執着を明らかにしました。yohaku Co., Ltd.は、このような価値観からの脱却を目指し、真の「余白」の価値を再評価することを提案しています。

yohakuの理念は、テクノクラシーや短期主義に支配された現代社会において、立ち止まり、深く考える時間と場所の重要性を強調しています。Open Dialogサービスは、このような「余白」を通じて、新たな気づきと創造性を引き出すプラットフォームとなっています。


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