幸福の再定義 "わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために1/4"
ウェルビーイング論
ウェルビーイングという概念は、近年ますます注目を集めています。単なる健康や幸福以上の、より包括的で深い人間の状態を表すこの言葉は、現代社会が直面する多くの課題に対する一つの答えとして期待されています。今日からは、渡邊淳司とドミニク・チェンの監修・編著、その他大勢の専門家により執筆された『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために その思想、実践、技術』を中心に据えながら、ウェルビーイングの思想的背景、その実践方法、社会実装、そしてテクノロジーとの関わりについて、多角的に探究していきたいと思います。
ウェルビーイングの歴史的変遷
ウェルビーイングという概念は、古代ギリシャ哲学にまでさかのぼることができます。アリストテレスが提唱した「エウダイモニア」(幸福や繁栄を意味するギリシャ語)は、現代のウェルビーイング概念の原型と言えるでしょう。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』の中で、以下のように述べています。
この考え方は、単なる快楽や物質的な豊かさではなく、人間の潜在能力を最大限に発揮し、道徳的に優れた生き方をすることが真の幸福につながるという思想を示しています。
時代が下り、啓蒙思想の時代には、ジェレミー・ベンサムやジョン・スチュアート・ミルらによって功利主義が提唱されました。彼らは「最大多数の最大幸福」を社会の目標として掲げ、幸福を量的に測定し、最大化することを目指しました。この考え方は、現代の幸福度調査やウェルビーイング政策の基礎となっています。
20世紀に入ると、心理学者のアブラハム・マズローが「欲求階層説」を提唱し、人間の欲求を5段階に分類しました。最高次の欲求である「自己実現」は、現代のウェルビーイング概念と深く結びついています。マズローは以下のように述べています。
この考え方は、現代でいうウェルビーイングを静的な状態ではなく、動的なプロセスとして捉える視点を提供しました。
現代のウェルビーイング研究
現代のウェルビーイング研究は、主に心理学、社会学、経済学の分野で発展してきました。特に、ポジティブ心理学の創始者であるマーティン・セリグマンの貢献は大きいと言えるでしょう。セリグマンは、ウェルビーイングを構成する要素として「PERMA理論」を提唱しました。PERMAとは以下の5つの要素を指します:
Positive emotions(ポジティブな感情)
Engagement(没頭)
Relationships(関係性)
Meaning(意味・目的)
Accomplishment(達成)
セリグマンは、これらの要素がバランスよく満たされることで、人は持続的なウェルビーイングを達成できると主張しています。
一方、経済学の分野では、リチャード・イースタリンが「イースタリンのパラドックス」を提唱しました。これは、一定の水準を超えると所得の増加が幸福度の向上につながらないという現象を指します。この発見は、GDPに代わる新たな社会の進歩指標の必要性を示唆し、ウェルビーイング研究の重要性を高めることになりました。
社会学の分野では、ロバート・パットナムの「ソーシャル・キャピタル」の概念が、ウェルビーイング研究に大きな影響を与えています。パットナムは、社会的なつながりや信頼関係が個人と社会のウェルビーイングに重要な役割を果たすと主張しています。
日本的ウェルビーイングの特徴
『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』では、日本的なウェルビーイングの特徴について深く掘り下げています。著者らは、西洋的な個人主義的ウェルビーイング概念とは異なる、日本独自のウェルビーイングの在り方を探求している側面が多くあります。
まず、日本の伝統的な「和」の概念が挙げられます。例えば、聖徳太子の十七条憲法に見られる「和を以て貴しと為す」という言葉は、個人の調和だけでなく、社会全体の調和を重視する日本の価値観を表しています。この考え方は、個人主義的な西洋のウェルビーイング概念とは異なる、集団的なウェルビーイングの視点を教えてくれているでしょう。
また、仏教の影響も無視できません。特に「縁起」と呼ばれる考え方は、すべての現象が相互に関連し合っているという世界観を提示し、個人のウェルビーイングが他者や環境と不可分であることを示唆しています。哲学者の鈴木大拙は以下のように述べています。
さらに、日本の伝統的な美意識や自然観も、ウェルビーイングの捉え方に影響を与えています。「侘び寂び」の美学は、物質的な豊かさよりも心の豊かさを重視し、不完全さや無常を受け入れる態度を育みます。これは、西洋的な進歩や成功の概念とは異なる、日本独自のウェルビーイングの形を示唆しています。
本書では、能楽師の安田登氏が日本的ウェルビーイングについて興味深い洞察を提供しています。安田氏は、日本の伝統芸能である能や俳諧を例に挙げ、「何もないから、何でもありうる」という境地に至ることの重要性を指摘しています。これは、物質的な豊かさや達成ではなく、むしろ「空」の状態を受け入れることで得られるウェルビーイングの形を示唆しています。
「わたしたち」のウェルビーイング
本書の特徴的な視点の一つは、「わたしたち」のウェルビーイングという考え方です。著者らは、個人のウェルビーイングだけでなく、集団や社会全体のウェルビーイングにも注目しています。
この「わたしたち」のウェルビーイングという概念は、日本の集団主義的な文化背景と深く結びついています。個人の幸福と集団の幸福が不可分であるという考え方は、日本社会に根付いた価値観を反映しています。
著者の一人であるドミニク・チェンは、この「わたしたち」のウェルビーイングについて以下のように述べています。
この視点は、個人と集団のウェルビーイングのバランスを取ることの重要性を強調しています。個人の幸福追求と社会全体の幸福の間にある緊張関係を認識しつつ、両者を調和させる道を探ることが、日本的なウェルビーイングの特徴と言えるでしょう。
ウェルビーイングと文化的多様性
ウェルビーイングの概念は、文化によって大きく異なることを認識することも重要です。本書では、文化心理学の知見を引用しながら、ウェルビーイングの文化的多様性について論じています。
例えば、西洋文化では個人の自己実現や自律性が重視される傾向がありますが、東アジアの文化では他者との調和や社会的役割の遂行がより重要視されることがあります。これらの文化的差異は、ウェルビーイングの捉え方や追求の仕方に大きな影響を与えます。
文化人類学者の木村大治氏は、本書の中で「共在感覚」という概念を提唱しています。これは、他者と共にいることそのものが価値を持つという感覚を指し、日本を含む東アジアの文化に特徴的なものだと論じています。この「共在感覚」は、西洋的な個人主義的ウェルビーイング概念では捉えきれない、集団的なウェルビーイングの側面を示唆しています。
ウェルビーイングと持続可能性
ウェルビーイングと持続可能性の関係についても深く掘り下げていま亜しょう。現代社会が直面する環境問題や社会の分断といった課題に対して、ウェルビーイングの概念がどのように貢献できるかを論じています。
著者らは、個人のウェルビーイングと地球環境の持続可能性が密接に結びついていることを強調しています。例えば、自然との調和や環境への配慮が、個人のウェルビーイングにもポジティブな影響を与えるという研究結果が紹介されています。
また、社会の持続可能性という観点からも、ウェルビーイングの重要性が指摘されています。社会の分断や格差の拡大は、個人のウェルビーイングだけでなく、社会全体のレジリエンスにもネガティブな影響を与えます。著者らは、「わたしたち」のウェルビーイングを追求することが、これらの社会問題の解決にもつながる可能性があると主張しています。「わたしたち」そして「つくりあう」という視点が本書のウェルビーイングに対する本質的なスタンスを貫いていると言えるでしょう。
結論として、本書は日本的なウェルビーイングの特徴を探りつつ、それを現代的な文脈に位置づけ、個人と社会、そして環境を包括的に捉えるウェルビーイングの概念を提示しています。このアプローチは、ウェルビーイング研究に新たな視座を提供するとともに、現代社会が直面する複雑な課題に対する革新的な解決策の可能性を示唆しています。
明日は、これらの思想的基盤を踏まえた上で、ウェルビーイングの実践と社会実装について詳しく見ていきます。理論から実践へ、どのようにしてウェルビーイングを日常生活や社会システムに組み込んでいけるのか、その具体的な方法と課題を探っていきましょう!
ウェルビーイングに繋がるのは対話、ライフコーチング、そして何より「余白」です。私も仕事上でウェルビーイングの研究者や第一人者の方と意見を交わすことがありますが、「自分にとっての」ウェルビーイングやそれに繋がるための選択肢において何が大切なのか、必要な自己決定感や人とのつながりはなんなのかと言うことを常に考えさせられます。