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平和への処方箋 "ひとはなぜ戦争をするのか1/3"

ひとはなぜ戦争をするのか?

 1932年、国際連盟がアインシュタインに依頼した。「今の文明においてもっとも大事だと思われる事柄を、いちばん意見を交換したい相手と書簡を交わしてください。」選んだ相手はフロイト、テーマは「戦争」だった――。

ひとはなぜ戦争をするのか

 今日からは「ひとはなぜ戦争をするのか」を取り上げます。非常に感動的なストーリーも含めたこの重要な話を私たちの観点で読み解きます。

1932年、アインシュタインとフロイトが「ひとはなぜ戦争をするのか」をめぐる往復書簡を交わした時代は、第一次世界大戦の惨禍から立ち直りつつも、新たな戦争の暗雲が世界を覆い始めていた時期でした。第一次世界大戦(1914-1918)は、それまでの戦争とは比較にならないほどの規模と破壊力を持ち、約1,000万人の軍人と700万人の民間人の命を奪いました。この「すべての戦争を終わらせるための戦争」と呼ばれた大戦は、逆説的にも戦争の恐ろしさを人々に深く刻み込むことになりました。

戦後、国際連盟の設立(1920年)や不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約、1928年)の締結など、平和を維持するための国際的な取り組みが行われました。しかし、これらの試みは根本的な問題解決には至らず、むしろ表面的な対応に終始していたと言えるでしょう。

歴史学者のエリック・ホブズボーム(Eric Hobsbawm)は、その著書『極端な時代:20世紀の歴史』(1994年)において、この時期を「破局の時代」と呼び、次のように述べています。

「両大戦間期は、第一次世界大戦の影響から脱却できないまま、次の大戦への不可避的な道筋を辿っていった。それは、国際的な協調と平和への希求が、ナショナリズムと全体主義の台頭によって打ち砕かれていく過程でもあった。」

エリック・ホブズボーム(Eric Hobsbawm)『極端な時代:20世紀の歴史』(1994年)

この時代背景は、アインシュタインとフロイトの書簡交換に大きな影響を与えました。彼らは、人類が再び破滅的な戦争へと向かう可能性を痛感し、その根源的な原因を探ろうとしたのです。

国際連盟と知識人の役割

 国際連盟は、世界平和の維持を目的として設立された国際機関でしたが、その実効性には多くの疑問が投げかけられていました。特に、アメリカの不参加や、日本、ドイツ、イタリアの脱退など、主要国の離反は国際連盟の権威を大きく損なうものでした。

このような状況下で、国際連盟は知識人の力を借りて、平和の理念を広めようとしました。その一環として、国際知的協力委員会が設立され、アインシュタインもその委員を務めていました。この委員会は、アインシュタインにフロイトとの書簡交換を依頼したのです。

政治哲学者のハンナ・アーレント(Hannah Arendt)は、その著書『人間の条件』(1958年)で、知識人の役割について次のように述べています。

「知識人の責務は、権力の言説に抗して真実を語ることである。彼らは、社会の盲点を指摘し、人々の意識を覚醒させる役割を担っている。」

ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)『人間の条件』(1958年)

アインシュタインとフロイトの書簡交換は、まさにこの知識人の責務を体現するものでした。彼らは、単なる平和の理想論を語るのではなく、戦争の根源にある人間性の暗部に光を当てようとしたのです。

科学と精神分析の世紀

 20世紀初頭は、科学と精神分析が飛躍的な発展を遂げた時期でもありました。アインシュタインの相対性理論(1905年、1915年)は、物理学の常識を覆し、宇宙観を根本から変革しました。一方、フロイトの精神分析理論は、人間の心の深層に潜む無意識の世界を明らかにし、人間理解に新たな視座をもたらしました。

科学史家のトマス・クーン(Thomas Kuhn)は、その著書『科学革命の構造』(1962年)で、このような科学の大変革を「パラダイムシフト」と呼び、次のように述べています。

「科学の進歩は、単線的な知識の蓄積ではなく、世界観の根本的な転換を伴う革命的なプロセスである。20世紀初頭の物理学と心理学の変革は、まさにこのパラダイムシフトの典型例であった。」

トマス・クーン(Thomas Kuhn)『科学革命の構造』(1962年)

アインシュタインとフロイトの対話は、このような科学と精神分析の革命的進展を背景に行われました。彼らは、それぞれの分野での革新的な洞察を、人類の普遍的な問題である戦争の解明に適用しようとしたのです。

この試みは、科学と人文学の境界を越えた学際的アプローチの先駆けとも言えるでしょう。彼らは、戦争という複雑な現象を、物理学の客観性と精神分析の主観性という異なる視点から捉えようとしました。

書簡交換の経緯と意義

 アインシュタインがフロイトに宛てた最初の手紙は、1932年7月30日に書かれました。この手紙で、アインシュタインは戦争の心理学的側面についてフロイトの見解を求めています。フロイトの返信は同年9月に書かれ、両者の書簡は1933年に「ひとはなぜ戦争をするのか」(Why War?)というタイトルで出版されました。

この書簡交換の特筆すべき点は、二人の巨人が互いの専門分野を超えて、人類共通の問題に取り組もうとした姿勢です。彼らは、戦争という現象を単一の視点から理解することの限界を認識し、学際的なアプローチの必要性を示唆しました。

文化人類学者のクリフォード・ギアーツ(Clifford Geertz)は、その著書『文化の解釈学』(1973年)で、このような学際的アプローチの重要性について次のように述べています。

「複雑な社会現象を理解するためには、さまざまな学問分野の知見を統合し、多角的な視点から分析する必要がある。アインシュタインとフロイトの対話は、このような学際的な知の探求の先駆的な例である。」

クリフォード・ギアーツ(Clifford Geertz)『文化の解釈学』(1973年)

アインシュタインとフロイトの書簡交換は、単に戦争の原因を探るだけでなく、人間性の本質や社会の在り方にまで踏み込んだ深遠な対話となりました。それは、20世紀の二大知性による、人類の未来への警鐘であり、同時に希望の探求でもあったのです。

この対話の意義は、現代においてもなお色あせていません。むしろ、グローバル化が進み、科学技術が飛躍的に発展した現代社会において、彼らの洞察はより一層重要性を増しているとも言えるでしょう。

平和をどのように保つのか

アインシュタインとフロイトは、戦争の問題を単なる政治的・軍事的な問題としてではなく、人間の本性や文明の在り方に関わる根本的な問題として捉えました。この視点は、現代の平和研究や国際関係論にも大きな影響を与えています。

例えば、平和学の創始者の一人であるヨハン・ガルトゥング(Johan Galtung)は、その著書『平和的手段による平和』(1996年)において、次のように述べています。

「平和の実現には、単に戦争の不在(消極的平和)だけでなく、構造的暴力の解消と社会正義の実現(積極的平和)が必要である。これは、人間の本性と社会構造の両面からのアプローチを要する。」

ヨハン・ガルトゥング(Johan Galtung)『平和的手段による平和』(1996年)

ガルトゥングの思想は、アインシュタインとフロイトの対話が示唆した、戦争と平和の問題に対する総合的アプローチの重要性を現代的に発展させたものと言えるでしょう。

また、アインシュタインとフロイトの対話は、知識人の社会的責任という問題にも光を当てています。彼らは、自らの専門知識を社会の重要問題の解決に活かそうとする姿勢を示しました。この態度は、現代の科学者や知識人にとっても重要な指針となるものです。

科学哲学者のカール・ポパー(Karl Popper)は、その著書『開かれた社会とその敵』(1945年)において、次のように述べています。

「知識人の責務は、批判的思考を通じて社会の進歩に貢献することである。彼らは、権力や既存の価値観に対して常に批判的な姿勢を保ち、より良い社会の実現に向けて努力しなければならない。」

カール・ポパー(Karl Popper)『開かれた社会とその敵』(1945年)

ポパーの主張は、アインシュタインとフロイトが体現した知識人の態度を理論化したものと言えるでしょう。

このように、アインシュタインとフロイトの書簡交換は、単なる歴史的な文書としてではなく、現代社会が直面する諸問題を考える上で重要な示唆を与え続けている知的遺産なのです。彼らの対話は、科学と人文学の協働、知識人の社会的責任、そして平和構築への総合的アプローチの必要性という、今日においてもなお重要な課題を提起しているのです。

アインシュタインとフロイトの思想的背景

 アインシュタインとフロイトの対話を深く理解するためには、彼らそれぞれの思想的背景を考察することが重要です。両者は、20世紀を代表する知性として、それぞれの分野で革命的な理論を打ち立てましたが、同時に人類の普遍的な問題にも深い関心を寄せていました。

アインシュタインは、相対性理論の創始者として知られていますが、同時に平和主義者としての一面も持っていました。彼は、第一次世界大戦中から反戦運動に参加し、科学の軍事利用に対して強い懸念を表明していました。哲学者のバートランド・ラッセル(Bertrand Russell)は、次のように述べています。

「アインシュタインの平和主義は、単なる理想主義ではなく、科学者としての深い洞察に基づくものであった。彼は、科学技術の発展が人類に繁栄をもたらす可能性と同時に、破滅的な戦争の危険性も高めることを鋭く認識していた。」

バートランド・ラッセル

一方、フロイトは精神分析の創始者として、人間の無意識と本能的欲動に関する革命的な理論を展開しました。彼の理論は、人間の心の深層に潜む攻撃性や破壊衝動の存在を指摘し、文明社会におけるこれらの衝動の抑圧と昇華のメカニズムを解明しようとしたものでした。

文化人類学者のエルネスト・ベッカー(Ernest Becker)は、その著書『死の拒絶』(1973年)において、フロイトの思想の意義を次のように評価しています。

「フロイトの最大の貢献は、人間の行動の根底にある非合理的な動機を明らかにしたことである。彼の理論は、人間の文化や社会制度が、本能的衝動の抑圧と昇華の産物であることを示唆している。この洞察は、戦争を含む人間の破壊的行動を理解する上で極めて重要である。」

エルネスト・ベッカー(Ernest Becker)『死の拒絶』(1973年)

アインシュタインとフロイトの対話は、このような両者の思想的背景が交錯する中で行われました。科学的合理主義と人間の非合理性の探求、普遍的な自然法則の追求と個人の心理の深層分析、そして平和への希求と人間の攻撃性の認識。これらの一見相反する要素が、彼らの対話の中で独特の緊張関係を生み出し、戦争という人類の根源的な問題に対する多面的なアプローチを可能にしたのです。

書簡交換の社会的影響

 アインシュタインとフロイトの書簡交換は、当時の知識人社会に大きな影響を与えました。彼らの対話は、戦争の問題を単なる政治的・軍事的な観点からではなく、人間性の本質や文明の在り方という、より根源的な視点から捉え直す契機となりました。

哲学者のカール・ヤスパース(Karl Jaspers)は、アインシュタインとフロイトの対話の意義を次のように評価しています。

「アインシュタインとフロイトの対話は、科学技術の発展がもたらす倫理的問題と、人間の心理的・文化的要因の重要性を同時に指摘した点で画期的であった。彼らの洞察は、核時代における人類の生存という根本的な問題を考える上で、今なお重要な示唆を与えている。」

カール・ヤスパース

また、この書簡交換は、学際的な対話の重要性を示す先駆的な例としても評価されています。社会学者のノーバート・エリアス(Norbert Elias)は、その著書『文明化の過程』(1939年)において、次のように述べています。

「アインシュタインとフロイトの対話は、複雑な社会現象を理解するためには、異なる学問分野の知見を統合する必要があることを示した。彼らのアプローチは、現代の学際的研究の先駆けとして位置づけられる。」

ノーバート・エリアス(Norbert Elias)『文明化の過程』(1939年)

さらに、この書簡交換は、知識人の社会的責任という問題にも新たな光を当てました。彼らの対話は、専門家が自らの知識を社会の重要問題の解決に活かすべきであるという考えを広めることにも貢献しました。

教育哲学者のジョン・デューイ(John Dewey)は、その著書『民主主義と教育』(1916年)において、知識人の社会的責任について次のように述べています。

「真の知識人とは、自らの専門知識を社会の進歩と人類の福祉のために用いる者である。アインシュタインとフロイトの対話は、この理想を体現するものであり、現代の知識人にとっても重要な指針となるものである。」

ジョン・デューイ(John Dewey)『民主主義と教育』(1916年)

このように、アインシュタインとフロイトの書簡交換は、単に戦争の問題に関する二人の天才の思索を記録したものにとどまらず、20世紀の知的風土に大きな影響を与え、現代にまで続く重要な問題提起を行ったのです。彼らの対話は、科学と人文学の協働、学際的アプローチの重要性、知識人の社会的責任など、今日においてもなお重要な課題を提起し続けているのです。

戦争の恐怖と平和への希求が交錯する時代で

 両大戦間期は、国際情勢が急激に変化し、戦争の恐怖と平和への希求が交錯する時代でした。この時期、アインシュタインとフロイトという二人の巨匠が、戦争の本質を探求するために書簡を交わしました。彼らは、人類が再び破滅的な戦争へと向かう可能性を憂慮し、その原因を追求しようとしました。この対話は、単なる知識人の思索を超え、戦争の心理学的、社会的、そして政治的な側面に対する深い洞察を提供してくれています。

 明日は、アインシュタインが提起した中心的な問い、なぜ一握りの権力者が大多数の人々を戦争へと動員できるのか、という具体的な各論についての探求に焦点を当てます。

この問いに対するフロイトの応答は、人間の攻撃性と文明の関係に光を当て、戦争の根源的な原因を明らかにしようとしています。彼らの対話を通じて、戦争と平和の問題を多角的に考察し、現代における平和構築への示唆を見出しながら、非日常のようで今も隣り合わせにあると言える戦争について、考えていきたいと思います。

 もうすぐ8月6日を迎えます。その前に少し重たい内容ではありますが戦争について取り上げ、普段は中々考えられないことを考えていければ幸いです。



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