私たち” \n "について yohaku Co., Ltd.
毎日の投稿を続けて100日近く経つので、今更ですがCo-CEOの2人から \n (yohaku Co., Ltd.)設立の背景と想いを綴りながら自己紹介をさせてください。私たちの概要はこちらのHPをご覧ください。
Shiryu
Co-CEOのShiryuです。私は10歳に満たない頃からプログラミングを学び「スティグマ」や「障害」と闘い続け、同時に戦争の歴史と向き合い続けてきた人生でした。ゲットーとまでは言わずとも、同年代に比べては中々苦労もしてきたお陰で小中学生から吉田松陰やニーチェ、キェルケゴールを師事する機会を得、学業や仕事選びも決してキャリア志向ではなく、常に課題ドリブンで社会価値の追求ができる選択をしてきました。
そんな中で、1人でも多くの方が「余白」を通して心身ともに幸せになれることを目指しながら、ビジネスの前線で生きる人も応援したいし、昔の父のように引きこもりとラベリングされる人も、障害のある人も大切にしたい。そしてあらゆるスティグマを壊していくことに人生の時間を使うためにこの居場所をつくりました。
明日、死んでしまったとしても後悔しない為に。
余白の再定義と社会彫刻の実践
合理的な判断が溢れる現代の中で、私は合理性を学び実践しながらも意図的に「非合理」を選び続けてきました。yohaku Co., Ltd. の創業もまた、その選択の一環です。資本主義が合理性と二元論に偏る中で、私は人間や生物の感覚と感情に寄り添い、そこに広がる余白にこそ無限の可能性があると感じています。例えばそれは、非行する子どもたちと向き合い続けるばっちゃんの存在かもしれません。
この「余白」とは、ただの空白ではなく、文化や創造が生まれる場所。それは、空海を軸とする東洋の美学に根付いた余白であり、同時に、ユクスキュルの環世界の思想に通じる、多層的な意味を持つものと考えています。
非合理な夢と合理的な現実の狭間で
合理的な判断は時に美しいものや大切なものを失わせます。例えば、郊外にある美術館という場の存続は、収益や効率という観点からは非合理的かもしれません。資本主義という抽象的かつ拝金主義の世界で物質的存在を存続させることが私にとっては余白そのものです。数多くの美術館やギャラリーや地方特有の文化資産が象徴するように、文化的偏愛や固有の空間が人間の感性に与える影響は計り知れません。
yohaku Co., Ltd. は、そのような「非合理」な余白を探求する場です。私たちは単に事業を拡大することを目的とせず、課題ドリブンで現実の中に余白を見出し、それを広げていくことに注力していきます。分かりやすさに逃げずに個別複雑なものに向き合い続けるスタンスを大切にしています。
スティグマの解体と余白の創造
私自身が直面してきた社会モデルの「障害」や社会が押し付ける「スティグマ」に対して、10歳にも満たない頃から常に違和感を覚え、闘ってきました。それは特別支援学級にいた友人が遊べるゲームを作る為にプログラミングを学び始めたことから始まり、毎年のように平和祈念資料館で被爆者の日記を読み続け、現在yohaku Co., Ltd.以外の株式会社ヘラルボニーやその他の企業での活動に繋がっています。
合理的な社会システムの中でスティグマが形成されてしまう一方、私たちの目指す社会では、そのスティグマ自体を解体し、人々が余白の中で自由に表現できる場を創りたいと考えています。それは、エリノア・オストロムが説いたコモンズガバナンスや鈴木大拙の禅の思想と同様、個々の多様な経験や視点を尊重するアプローチであり、結果として、社会の再構築を目指すものです。
テクノロジーと人間性の再統合
テクノロジーは人間の存在そのものを変容させてきました。AIや計算機自然を用いることで、私たちは物質世界とデジタル世界との行き来と共存が可能となり、そこに新たな余白を創り出すこともできるようになりました。これは、ただの技術的進歩ではなく、人間の認知や感性を拡張する試みだと考えています。
ベンヤミンの"複製技術時代の芸術"が良い例です。例えば私が趣味でフィルム写真をベースにした画像生成モデルを構築したのですが、その背景にはアナログとデジタル、物質と非物質の融合を探り、人間だけでないあらゆる環世界を表現し他者(人間以外の生物も含めた)への想像力を培えるのではないかという哲学的な問いがありました。この過程で生まれる「バグ」や「エラー」すらも、創造の余白として捉え、その不確定性を楽しんでおり、そこにも「余白」があると考えたことから会社のロゴを「\n」としました。
会社のロゴ「\n」は、プログラミングにおけるコーディング内の改行(空白)を表しています。これは、現実世界であれ仮想世界であれ、人々の生活の物理的および精神的な側面で余白を生成するために作られた、人々のためのAIとテクノロジーを活用することの意味を体現している象徴の文字であると考えています。コンピューターを動かすコードの中にも、アートとしての余白が存在しています。
余白の哲学と社会彫刻
ヨーゼフ・ボイスが唱えた「社会彫刻」の概念を、私は現代の文脈で再定義していこうと考えています。yohaku Co., Ltd. は、単なるビジネスの枠を超え、対話や芸術的実践を通じて社会そのものを彫刻する場であり、課題ドリブンで他者評価に囚われず生きる人を増やしていく存在を目指しています。
その為に資本主義の論理に迎合することなく、私たちが作りたい物質的、時間的、精神的な「余白」を追求すること。それは人々が自由に創造し、同時に社会と対話する場をつくることです。ニーチェの「永遠回帰」やキェルケゴールの実存主義の影響を受けながら、私自身の行動と思想は常に流動的であり続け、余白を追求しています。
コーチングとオープンダイアログの新たな地平
yohaku Co., Ltd. の支柱的サービスであるコーチングやオープンダイアログは、単なる自己実現のためのツールではありません。精神的な余白、感覚的な余白を大切にし、個々の可能性を最大限に引き出し、大切なものを大切とできる場としての対話を提供しています。
それはキャリアコーチングなどの資本主義に偏った一方的対話ではなく、そしてメンタルを「強さ」や「弱さ」といった二元論で表すようなものでもなく、人間の流動的な存在としての特質を捉え、互いのアンコンシャスバイアスを分かりあいながら共に答えを探求するNVCにも通ずる新たなプロセスです。これは、固定された自己という概念を解体し、常に新たな自己の再構築を促す試みでもあります。
明日と明後日で考える基準を変え続け、常にロドスで跳べるように。
最後に、マルクスやラッセルの思想と未来予測を思い返します。AIが生み出す効率化による時間や富はどこに向かっているのでしょうか。果たして、人々は富やキャリアの中で幸福を感じながら、明日も当たり前のように会えるか分からない目の前の人、そして今この瞬間の自分自身を大切にできているのでしょうか。そんなことを皆さんと共に考えていければと思います。
お金を稼ぐこと、若くして成功すること、後付けのソーシャルアントレプレナーシップ、そうしたことが当たり前によしとされる価値観が蔓延する資本主義で、あなたや、あなたの大切な人に余白はあるか、問い続けるスタンスを大切にしています。
yohaku Co., Ltd. の経営を通して、「履歴書に書ける美徳ではなく、弔辞で読まれる美徳」を作っていくような、まさにこの実存的な選択肢それ自体を広げ、社会的な評価や外的な成功ではなく、自らの存在の真正性に基づいて選択を行うことができる一歩を作っていきましょう。
アンコンシャスバイアスを自覚し続ける人を増やすこと。トルストイの思想やフランクル、そして数多くの何者でもない先人の挑戦を脱構築し続けながら、スティグマのない世界を本気で目指していきます。
Takuho
人生の転機と自己再定義
yohaku Co-CEOのTakuhoです。人生にはいくつかの転機があるものです。私にとって、それらの経験が今の選択につながっています。yohaku株式会社を立ち上げた理由も、これまでの内省や経験が背景にあります。以前、私は「成功」をお金や社会的地位だと考えていました。営業職として仕事に邁進し、経済的な成果を得たこともありましたが、心の中に満たされない感覚が残り続けていました。お金を得ることで満足すると思い込んでいましたが、実際にはそうではなかったことに気づいたのです。
「成功」の意味を問い直す
その時期、マズローの「欲求階層理論」に触れ、自分が追い求めていたものが、自己実現には程遠いものであったことに気づきました。この発見は、私にとって大きな転換点となり、自己を深く見つめ直す契機となりました。さらに、サルトルの「人間は自由という重荷を背負っている」という思想に触れることになりました。人間は自由に選択できる存在であり、しかし、その自由には責任が伴うという考えです。この言葉に出会ったとき、私はそれまで自由だと感じていたものが、実は資本主義や周囲の価値観に囚われていたことに気づかされました。自分が選んでいると思っていたことが、本当の意味での自由ではなかったのです。この気づきを通じて、私は「成功」を外からの評価ではなく、自分が納得できる生き方へと再定義するようになりました。重要なのは、他者に称賛されることではなく、最後に自分が誇れる生き方をすることだと考えるようになったのです。
法廷で目の当たりにした社会の現実
私が法律を学んでいた時期、裁判傍聴を通して、さらに社会の不平等や運命の偶然性について考えるようになりました。特に心に残っているのは、窃盗事件の被告人が生活費を稼ぐために本を盗み、生活保護の存在すら知らなかったという事実です。この出来事を通じて、社会の制度がすべての人に等しく届いているわけではないことに気づかされました。また、交通違反で有罪となった50代の女性が、20代前半の娘によって監督をされるという事件も印象的でした。生まれた環境や偶然の要素が、いかにして個人の人生に大きな影響を及ぼしているのかを改めて考えさせられました。
新しい職場で感じた違和感
ちょうど同時期に、私はマイケル・サンデルの『実力も運のうち』に出会いました。彼の思想は、私たちが成果や成功を個人の努力に帰しがちである一方、環境や運の要素も重要であると強調しています。この考え方に触れることで、私も自分自身の経験を再評価し、他者への共感を抱き、それを実践したいと考えるようになりました。その後、私はキャリアについて再考し、新しい職場へと転職しました。しかし、そこでは、社会貢献や他者のために働く意識よりも、昇進や給与の向上が重視される風潮に違和感を抱きました。日々の業務に追われ、自己を見つめ直す時間や余裕が失われていく現実を目の当たりにしたのです。
yohaku株式会社を立ち上げるまで
ここで再びサルトルの「自由と責任」の考えが頭をよぎりました。自由に選択肢があるはずなのに、それを十分に活かせない状況があると感じたのです。長時間労働に追われ、内省や他者への配慮を持つ余裕がない社会の中で、多くの人が効率と成果に縛られていました。こうした状況をどうにかしたいという思いが強まっていきました。その結果として、私はyohaku株式会社を設立しました。
私の目的は、人々に時間的・経済的な余白を提供することです。この余白があれば、自分自身を見つめ直し、自分が大切にしたいことに時間を使えるようになると考えています。たとえば、自分の好きな趣味や家族との時間、内省の時間を確保することもまた、人生を豊かにする大切な要素です。そして、その余裕が生まれることで、他者への配慮や手助けが自然にできることもあるかもしれません。
「余白」が社会にもたらすもの
たとえば、私が住んでいるマンションには2メートル以上の高さの本棚がありますが、車椅子を使用する住人はその本棚の半分しか利用できません。しかし、周囲の住人が少しの余裕を持っていれば、自然と「手伝いましょうか」という声がかけられるはずです。このように、社会全体に余白が広がれば、誰もが平等に日常生活を楽しめるだけでなく、必要なときにお互いを支え合える環境も生まれるのではないかと考えています。
孤立のない社会を目指して
また、記憶に新しい京アニ放火事件も、社会から孤立してしまった被告が追い詰められた結果だと感じています。もしその孤立を防ぐための余白が社会に存在していれば、悲劇は防げたかもしれません。私はその可能性を強く信じています。私自身、適応障害を経験し、社会から孤立することの辛さを感じたことがあります。幸い回復することができましたが、同じように孤立から抜け出せずに苦しむ人も多いと思います。孤立した人々が、無条件に受け入れられる場所や人に出会えることで、どれだけ救われることでしょうか。
私たちの使命
yohaku株式会社は、そうした余白を社会に提供し、孤立を防ぎ、それぞれが自分らしく生きていける場を作りたいと考えています。それが、私がこの会社を立ち上げ、この仕事に取り組んでいる理由です。
yohaku Co., Ltd. の問い
大切な人と明日も同じように会えるとは思わず、明日も大切な人と自分の為に生きられるか分からないことに気づき続ける為に大切な余白を。道端で困っている人に声をかけられる余白を。そんなことを大切にしていきましょう。メンバーシッププランでは無目的的な対話の場やより深い知識を深める機会を作っていますので、ご興味があれば是非。