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余白を生み出す為の "イシューからはじめよ1/4"
はじめに
今日からは安宅和人さんの著書「イシューからはじめよ―知的生産の『シンプルな本質』」について、少し肩の力を抜きながらお話ししたいと思います。もしこの本のタイトルをまだ耳にされたことがない方でも、安心して読み進めていただければうれしいです。
yohakuとしては最初で最後のビジネス書と呼ばれる書籍の解説をしていくことになると思います。時間的、経済的「余白」を生み出す為に必要だと考えて取り上げてみることにしました。(書籍の内容解説は散々されているのと本自体が非常に分かりやすいので、あくまでyohakuの観点から紹介するに留めます)。
今回は「第1部」として、この本のエッセンスやそれが生まれた背景を探りながら、私たちが日常や仕事で「イシュー」を見極めることの重要性について考えていきます。ここでいう「イシュー」というのは、端的にいえば解決すべき本質的な課題のことです。この課題を明確に捉えることで、余計な回り道をしなくてすむようになるのではないか。そんな期待を抱きつつ、話を進めていきましょう。
ところで、本書「イシューからはじめよ―知的生産の『シンプルな本質』」は、もともとビジネスパーソンや研究者の間で高い評価を得ており、読まれ始めた当初から「思考法の革命書」という評判がありました。著者の安宅和人さんは外資系コンサルティング会社や大学、そして企業の研究所など、多方面でデータ解析や戦略策定に関わる仕事をされてきた方です。その知見の集大成ともいえるのが本書であり、シンプルだけれど強力な「思考の手がかり」を惜しみなく提示されています。インターネット上のレビューや知人の感想を見ても、「なるほど、問題の本質を見つける力ってこういうことか」と膝を打つようなコメントが多いです。
もし、ここで興味をもってくださった方は、ぜひ次回以降の回や、これからご紹介する内容を引き続き読んでいただけるとうれしいです。実際に「イシュー」の発想を習慣づけることで、自分の考えがクリアになり、日常や仕事で起こるあらゆる困りごとを整理できるようになると感じています。
問題意識という出発点
イシューを扱ううえで、まず大切なことは「問題意識」をもつことです。何かを解決したい、あるいは問いの答えを見つけたいという明確な意欲があるかどうか。これは歴史をたどってみても、多くの偉大な思想家や科学者が口をそろえて強調してきた点でもあります。
たとえばイギリスの哲学者フランシス・ベーコンは「知識は力なり」と言いましたが、ベーコンが何より重視したのは経験的な事実や観察に基づく探求心でした。彼は既存の権威や前提を盲信せず、何が問題なのかをまず見定め、そこにアプローチするための方法論を練り上げていったのです。私たちが「イシューからはじめよ」を読むときも、それと同様に「どの部分に着目すればもっとも影響が大きいか」を先に考える意識が求められます。
日常の中でも、「何がわからないのか」「どこに疑問があるのか」をはっきり自覚するのは意外と難しいものです。しかし、ここをしっかり理解しないまま情報だけ集めても、結局のところ答えがぼんやりしてしまいます。だからこそ、この「問題意識」の段階でしっかりと立ち止まって、自分が本当に知りたいことや、解決すべき事柄の核心を見きわめる必要があるのです。本書では、この見極めこそが思考全体の出発点であり、要となると繰り返し説かれています。
「イシューからはじめよ」の起源をたどる
この「イシューからはじめよ」というアプローチは、近年に始まったものではありません。学問的な文脈でみると、例えばジョン・デューイが教育学や哲学の領域で「問題解決を通じて学ぶ」ことの重要性を強調していました。デューイは人間が能動的に問いを設定し、その問いに対して試行錯誤をするプロセスこそが、本質的な学びや成長につながると語っています。これは現代のビジネスや研究の現場でも、十分に通用する考え方です。
また、経営学の分野ではピーター・ドラッカーの思想にも通ずる部分があると感じます。ドラッカーは企業や組織におけるマネジメントの要点として、「何を目標とし、どこに注力するべきか」を明確にすることを説き続けました。それはまさに「イシューを明確にし、エネルギーをそこに集中させる」という本書の主張と重なり合う部分でもあります。どんなに優れたリソースがあっても、本当に解決すべき課題に向き合っていなければ、成果はぼやけてしまうでしょう。
安宅和人さん自身も、データサイエンスの領域で多くの分析プロジェクトに関わる中で、「大事なポイントを見誤ったまま、やみくもに情報を集めていたら意味がない」という経験を何度も重ねられたそうです。その延長線上に生まれたのが、本書で提示されるシンプルな思考法です。つまり、情報を詰め込むよりも先に「結局、何が問題なのか」「どの問いに答えるべきなのか」を明確にしましょうというスタンスです。
ただ一方で、反対意見も存在しています。「イシューにこだわりすぎると、偶発的な発見や創造性が損なわれるのではないか」という声です。探究のプロセスでは、明確な課題設定があるからこそ集中できる面はたしかにあるものの、あえて寄り道をしたり、違う専門の分野と交差したりすることで新しい発見が生まれることもあります。これはデューイやドラッカーも認めるところであり、ベーコンの経験主義的な態度とも矛盾しません。問題を誤って狭く設定してしまうと視野が狭まる危険性もあるというわけです。ですから「イシューからはじめよ」は万能の魔法ではなく、あくまで問題解決やアイデアを明確に進めたいときの強力な指針と捉えるのがよいでしょう。
こうした古今の先人たちの考え方に触れてみると、「イシューを定める」という作業は決して新しいものではないとわかります。むしろ、人類が学問やビジネスで成果を上げていくために、何度も何度も試行錯誤を繰り返してきた知恵の一つなのです。
いま私たちにできること
では、この「イシューを明確にする」考え方を、私たちはどう日常に活かせばいいのでしょうか。たとえば、何か新しい企画を立ち上げるときに、あなたならまずどこから手を付けますか。あるいは仕事で大きなレポートを書くとき、何を最初の一歩に据えるでしょうか。ここで「情報を集める前に、どの問いに答えたいのかを明確化する」という手順を挟むだけでも、作業効率や結果の質が大きく変わります。なぜなら、目的が定まらないままデータや意見を集めると、本当に必要なものがどれなのかが見えにくくなるからです。
実際、安宅和人さんの本書には「イシューを発見し、そのイシューに対して戦略的にアプローチする」ための具体的なステップや事例が数多く紹介されています。多忙なビジネスの現場でも、研究の場でも、イシューが定まらなければ判断のブレが大きくなるのは間違いありません。だからこそ、あえて時間をとって「今回解くべき問いは何か」「優先順位をどうつけるか」を見極めることが大切だと説いているのです。
今、この文章を読んでいるあなたにも、何か解決したい課題や、突き詰めたいテーマがあるかもしれません。そんなときは、すぐに情報を詰め込み始めるのではなく、一度立ち止まって「いったい何を知りたいのか」「どんなアウトプットを目指すのか」を自分なりの言葉で書き出してみるといいのではないでしょうか。このシンプルな作業だけで、取り組み方や心の方向性がスッキリするはずです。それが、本書の核心的なメッセージでもあると私は感じています。
もし、ここまで読んで「もう少しこのテーマを深掘りしてみたい」と感じたら、次回の内容にもぜひお付き合いください。「イシューからはじめよ」の具体的な応用例や、各種理論との関連性、そして実際の現場での活用法などを一緒に考えていければと思います。
今日も記事を読んでいただき、本当にありがとうございました。次回以降も、あなたの思考をより洗練させるヒントを探っていきたいと思っていますのでよければまた読みに来てください。もしこの記事が少しでもお役に立ったり、続きが気になった方は、またいらしていただけるとうれしいです。