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雨が降るときは泣いているのかもしれない

 11月にも入り、体の先という先が冷えるような季節になった。起きたてほやほやでぼっさぼさの頭のまま、とりあえずポットに水を入れてお湯を沸かす。カーテンを開けると薄灰色の絵の具で描いた水彩画のような空で、雨も降っていた。今日はこういう天気がよかったから少し嬉しくなる。

 コポコポと透明なグラスに白湯を注ぐ。そろそろ白湯専用のマグカップを買わないと。湯気を漂わせてグラスの上部が曇って、やがて細かい水滴になっていく。
 白湯を飲むとじわんと胃から温まって気持ちがいい。椅子に座って、ただ窓の外をぼうっと眺める。雨粒が窓をぱたぱた叩く音と、ぼんやりとご近所の生活音だけが聞こえる。ああ、なんか、いいな。わたし今、ちゃんと外の音を聞けている。

 ここのところ、仕事もプライベートもなんだかずっとバタバタしている。そのうちバタバタしたまま羽が生えてどこかへ飛んでいくんじゃないのと思うほど忙しい。一息ついてる間もなく、一日が繰り返される時間の早さにあたふたしながら必死でくらいついていた。
 あれ、わたし何してるんだろ。と、なんとなくの違和感を抱きながらそうやって生活を繰り返していたけれど、やっと「ああ、わたしは休みたいんだ」と認識した時には、昨日の空の色も思い出せないほど疲れ果ててしまっていた。

・・・

 窓の外の雨は、強まったり弱まったりを短いスパンで繰り返していておもしろい。なんかわたしみたい。と、思った。わたしの感情はいつも振り幅が大きいから、悲しいことがあって涙が出てしまう時も強まったり弱まったりしながら泣く。この雨は、我慢ぐせのあるわたしの代わりに泣いてくれているのかもしれない。

 あんなに慌ただしかったのが嘘のように、時間がただ緩やかに進んでいく。いつもなら気づいたら水になってしまっている白湯も、まだあたたかい。考えなきゃいけないことはたくさんあるけど、なんかもうどうでもいいとか思ってしまう。そう思うとなんだか妙に鼻の奥がツンとして、視界がぼやんと歪む。カチコチに凝り固まっていた“何か”が解けたような気持ちになった。

 雨がいっそう激しく降り始めた。私の代わりに号泣するなよ、と思いながらもその音に甘えて小さく泣いた。わたしはちゃんとがんばっている。白湯はまだあたたかい。



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