つまらないのは
起きて外を見ると天気も良いので、今日は外に出た。
ここ2ヶ月、仕事もプライベートもほとんど家で過ごす日々が続いていた。あまりにも変わり映えのない日々だったので、それを変えるためにいつもは行かないような煌びやかなところに行こうと原宿〜表参道まで足を運んだ。
前向きなエッセイを書こうと足を運んだまでは良かった。Wi-Fiと電源付きのカフェに入ろうとして色々調べながら向かったものの、全然入れない。
1つ目のカフェは駅から離れたカフェ。駅から離れているしきっと入れるだろうと思ったけれど、満員御礼。全く入れる余地もなかった。
2つ目のカフェに向かっていたところ、軽い気持ちで竹下通りに入った。
そもそも外に出た理由が、明るい気持ちに自分を持っていくために煌びやかな場所に行こうとしたところから始まっているし、ちょうどいいなぁと。
これが本当に間違いだった。今日は土日だし混んでて当たり前だった。ノロノロと歩く人々は、その景色を楽しんでいるからノロノロと歩いていて、竹下通りを楽しんでいた。俺は楽しんでいる人たちを「ノロノロ」と表現してしまうくらい、全然楽しめなかった。あたりを見渡せば観光に来ている外国人か、若いカップルや友達グループ、そして家族づれだ。「俺はなんて場違いな人間なんだ」と思いながら竹下通りを通り過ぎ、2つ目のカフェに入ろうとしたところ、ここも満員御礼だった。「まぁ駅前だし、あまり広いところではないし仕方ないか」と思うことにしたが、「なんでカフェにさえ入れないんだ」と段々街にむかつきはじめてしまっていた。
3つ目のカフェは調べるととても広い場所で、電源もWi-Fiもどの席にも完備していると期待大にして向かって到着した。
絶望した。店の前に小さな看板が立っており、リニューアルのため先月から閉店中とあった。目星をつけていたカフェは全てダメだった。
「ついてないなぁ」と思いながら隣駅に向かった。隣駅でカフェを探す頃には15時ごろになり、どこもかしこも全部満員御礼で入れず、途方に暮れながらいつも自分が使っている駅に戻ろうと電車に乗った。
いつも利用している駅前は落ち着いている駅なので、カフェに入れる。少しムカついていたけれど、自分にはその駅が合うんだなと言い聞かせながら向かっているところで、電車が急停止した。10分くらい待たされた。本当に、なんなんだ今日という日は。
そしてようやく今カフェに入り、このエッセイを書いている。これはエッセイというのだろうか。文句を言っているだけなんじゃないか。
でも今日この1日を過ごして分かったことがある。家にいても、竹下通りを通っていても、新宿にいても、池袋にいても、俺は今楽しめてない。
でも外に出て、いろんな人を見て、その場その場で見た人たちは楽しそうにしている人たちだらけだった。
どこにいてもその時を楽しめるかどうかは自分次第。場所は関係ないんだなと。
俺はこんな当たり前のことを気づくために外に出て4時間近くを生産性もなく過ごしてしまった。
自分の作る文章や楽曲で楽しませたい気持ちはある。だけど自分が楽しいと思えるものに執着しなければそんなもの作れるわけがない。
俺は楽しいと思えることがあるのだろうか。俺が楽しい人間じゃないから楽しめないし、日々がつまらないと感じるのは自分がつまらない人間だからだ・
この呪いから解き放たれる時は来るのだろうか。
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