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 雨が降っている。眠れずに朝方まで起きていたが知らぬうちに眠りに落ち、気がつくと午後1時、シトシトと雨が降っていた。日中にはずっと曇り空が続く中、いつになれば晴れ間が来るのだろうと思っていた矢先だ。

 昨年、父を亡くした。2021年に肺がんになり、最終的には肝臓に転移し、血圧が測れないほど低い数値を保ったまま2週間ほど経過し、亡くなった。両親の結婚記念日の次の日だった。きっと父は結婚記念日に死ねないと、気力だけで生きていたのだろう。血圧が測れないほどになる前から苦しそうにしていて、見るに耐えなかった。それでも母は父と毎日向き合い、私も母ほどではなかったが、向き合っていた。

 亡くなった日から数日後、葬儀の席には親戚や父の会社の上司から後輩まで様々な人が来た。おおよそ50人。本当に愛されていた人だったと思う中、みんな白くなった父の顔を見て「安らかに眠っているね」と口を揃えた。私は「最後もいつも通りで、気付かないうちに息を引き取っていた」と返すしかなかった。
 これは嘘じゃない。もう数ヶ月も苦しそうにしているのが日常になってたけど「苦しんでいた」なんてとても言えない。だから、悟られないように心配されないように言葉を選んだ。
私の後ろでは母が父の同僚と会話をしており、こんな言葉が聞こえてきた。

「全然気付かないうちに亡くなって、最後はいつも通りだったのよねー。」

いつもは不器用に本当のことを言ってしまう母が、父の苦しんでいた姿を隠した。

 悲しむ暇さえもない数日間。母にとっても私にとっても。葬儀が終わり数日後、遺品を整理していると父のスマホのデータを見る時間がやってきた。写真のフォルダを見るとすぐに父の顔が出てきた。入院中の写真である。ガンが治らないとわかる少し前だろう。
 自分の姿が他人からどう見られているか確認するために自撮りしたのだろう。父は普段自撮りなんて全くしないどころか、他の写真フォルダは愛犬の写真と自分のバイクの写真、あとは風景くらいだ。
 その父が自分の顔を撮っていた。その時、写真の中の父に私の感情がリンクし、自分の顔が数週間前に比べてあまりにも痩せていること、死へ向かっていることへの恐怖、妻と息子を残して先に逝ってしまうことへの申し訳なさ、会社の友達、親戚、自分がやりきれなかった全てのこと。計り知れない悲しみと嘆きと苦しみがそこにあった。
 全く涙を流さなかった数日間が嘘のように、独りでいつも座っている椅子で、気付かれないように泣きじゃくった。信じられないほどの涙を流した。

 その日から一年も経たずして今年、祖母が亡くなった。父が亡くなってからも度々顔を出して、祖母と会話をしていた。私は全家族、全親戚の中で祖母と一番話が合う。意見も大体同じだし、思うことも似ている。だから相談事は大体祖母にしていたし、先が見通せる原動力となっていた。私にとって大切な存在。でも、亡くなった。
 命は待ってくれない。どんな人もいつ死ぬかカウントダウンなんてない。この世の生き物全てが突然死ぬ。病死だとしても事故死だとしても、生きている人たちからすれば「突然」である。だから会える時に会うのだ。会えなくなるうちに。

 私は今、生きている。だけど、どうしても自分の死を連想する時間のほうが多い。死を連想せず、自分のやるべきことや託されたことを全うしている生きている人たちを全員尊敬している。
 私は今、生きている。ただ息をしているだけの日もあるけれど、どうにかこうにか理由を作って生きている。外に出向き、この文章を書いているのだって生きている理由だ。
 私は今、生きている。今までに作った曲も、今までに書いた文章も「いい曲だ」とも「いい文章だ」とも評価されていない。悪い評価も受けていない。そこには何も無い。誰からも必要とされてない。会社に勤めて業務を頑張っていたこともあったが、必要とされている存在かと言われれば必要とされていない。 

 私は今、本当に生きているのだろうか。遠い過去にとっくに命を落としていて、現代に亡霊になって、ただ彷徨っているだけなのではないかという気分である。

 生きようとしても、生きれなかった二人を看取った約1年。自分で死を選ぶことは今のところ考えられない。その人たちの分まで生きて、やりたいことを叶えていくしかないのはわかっている。私がなりたい存在は、決して簡単ではない。
 音楽家でも、随筆家でも、配信者でも。なんだって構わない。私の居場所を作って、この世に居場所がない人たちが、私のテリトリーでゆっくりできたり、ワクワクできたりしたら最高だ。

 私は今、池袋のとある喫茶店の窓際の席から、街を堂々と行き交う人たちを眺めている。この世に居場所を見つけられず彷徨って、ここにたどり着いた。たどり着いたクセに、なんだかここも自分の居場所じゃないような感じがする。
 
 とっくに晴れ渡った東京の空を見上げた。心の中は未だ雨が振りしきり、窓には雫が滴っている。

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