光たち
その日は高いビルの最上階の隅、広くはない喫煙所でタバコを吸っていた。
いつの間にかルールも緩くなったのか、以前来た時に貼られてたビニールシートがなくなっており、ここからは都内の無数の煌めきが見える。
28年この土地にいても、信じられないようなビルの数。そして定時を過ぎても光り続ける灯火たち。信じられない数の小分けになった光の数だけ、人々が居ると考えると、なんだか嘘のように思える。
私は最近、人生で抱え続けていた悩みを明かし、それが病なのかそうではないのかハッキリさせるためにいろんなところに出向いている。
病院にも行ったし、会社の人にも打ち明けた。
色々と話が進む中で一人、喫煙所から見える景色を見ながら「あのビルの灯りの数以上の悩みがこの世に存在する」と考えると、世の中がカオスになるのもわかるし当たり前だ。そして光の数だけ悩みがあるとは思えるが、その分希望も同じだけあると思えないのが問題だ。
これは俺の性格だからなのか。この世の悩みの総数に比べれば希望なんてものは数えられる程度しかないような、そんな風に思える。
他人に悩みを打ち明ける時、決まって言えることはみんなアドバイスをしようとしてくれる。私も過去に他人から相談された時に「その気持ちに応えよう」と頭をフル回転させてその人にとっての最善方法を考えてあげようとしたくなっていた。
他人に悩みを打ち明ける時、それは自分だけじゃ答えが見つからない時。答えを持っている他人がいればいいが、大抵はその答えは自分の中にあって、他人の中にはない。答えは確実に自分の頭や心のどこかに存在していて、それが見つけられなくて他人に力を求めてしまう。
他人に悩みを打ち明ける時、それは背中を押してもらいたいわけじゃないけれど、自分が考えていることを肯定してくれて、突破口を一緒に掘って欲しい時。自分にだけできて自分のやり方を見つけて欲しい訳で、他人と同じやり方なんてあり得ない。だから肩をそっと支えてくれるような言葉をかけてくれると勇気が湧いたり、一歩下がれて考えることができる。
流石にしつこいし同じ語り文句は4回連続はしないが、要するに自分の中にあるパズルのピースが見つからない時に一緒に彷徨いながら見つけてくれるような人がきっと「相談に乗るのが上手い人」なのだろう。それはきっと当事者への理解がすごく必要だし関係性というのが一番大切だろう。
この短い期間では私には見つからなかったが、あなたには自分だけじゃ見つからないパズルのピースを一緒になって、苦しんで笑いながら探してくれる人や、どこが突破口だかもわからない暗闇に一緒に入ってくれて、手を叩いて応援してくれて言葉をかけてくれて、ときには一緒になって掘ってくれるような人はいるだろうか。
ずっと一人で考えて悩んでやってきた私に今足りないのは、そんな素敵な人だろう。そのためには私自身がまず素敵な人にならなければと考えながら、アイスティーを口に含む。