日本でもあった女性のストライキ

 2024年11月22日のNHK Eテレで放送されたドキュランド『女性の休日』をたまたま見た。男女平等先進国アイスランドで1975年10月24日にアイスランドの国中で一斉に女性たちが一切の仕事を放棄するストライキが行われ、それまで女性の労働は無視、もしくは考慮されていなかったのが、いかに社会の一翼どころか中枢を担っているかを男性に思い知らせた画期的な運動だった事を報じたドキュメンタリーだった。
 で、お題の「日本でもあった女性のストライキ」。事の発端は関東で一番最後に開局した神奈川のラジオ局「ラジオ関東」。今は「RFラジオ日本」と社名変更され、本社所在地も横浜市西区の野毛山から中区長者町に移転したものの実際には東京都港区麻布台の東京支社が本社機能を有している日本テレビ放送網と同じ読売新聞傘下のラジオ局だ。この「ラジオ関東」の経営的に色々と行き詰まっていて、「ラジオ関東」創立者である河野一郎の弟から経営に参加しないかと遠山景久に入社要請をしたのが1967年7月で12月の株主総会で社長に就任した。遠山は復員後、色々な事業を興すもGHQの規制で頓挫を重ね左翼運動家になっていたのが、1956年のニキータ・フルシチョフ書記長によるスターリン批判演説にソ連軍によるハンガリー侵攻の衝撃を受け反共・極右に転向した。この事が後に「ラジオ関東」が世界神霊基督教統一協会の巣窟となり、歌謡曲全面禁止で演歌だらけの歌番組とか、今でいう桜チャンネルのようなラジオ局に変貌しつつあった時に事件は起こった。
 そもそも遠山独裁体制下での「ラジオ関東」での組合潰しは数多くの労働争議を生み、労働委員会命令データベースにはそのいくつかが散見される。
そんな中、「ラジオ関東」に18年もアナウンサーとして活躍していた青津ナナ子アナウンサーに突然として、キーパンチャーの配置転換させるという人事異動が発せられた。
 18年もアナウンス業務をこなしていた人気アナウンサーをキーパンチャーという別の業務に付かせるのは、単に自主退職に追い込むだけの話ではないか。人気アナウンサーはそれなりに芸能界に知られた人だった。労働組合は即座に労働委員会に報告。しかし労働委員会の命令に従わないのが当たり前の経営側と対立が決定的になった時、労働組合とは別に団結して支援表明を出した人たちがいた。それは他放送局の女子アナウンサーや女優、歌手といった芸能界を支える女性たちだった。

 ある日、早朝から深夜まで、ほとんどのテレビ局・ラジオ局の女子アナウンサーや女性タレント、女性歌手が一斉にストライキを打った。


 日付はいつだったのか、実は詳しく書かれたレポートが当時、放送労連が発行していた『放送レポート』に書かれていたのだが、諸事情で今、手元にない。
 このストライキについて一回だけラジオ放送で聞いたことがある。TBSラジオの午前11時台の番組の一つに中村メイ子と神津カンナの二人でしゃべり倒すトーク番組でこの事件のことが中村メイ子の口から語られている。残念ながら放送日については覚えていない。

最終的にこの労働争議について最高裁判所は昭和58年5月25日、「本件配転命令は無効である」と結審している。

 日本でも実際にあった「女性のストライキ」。このまま忘却の彼方に消えてしまうのだろうか。

https://www.zenkiren.com/Portals/0/html/jinji/hannrei/shoshi/00315.html



#ラジオ関東 #キーパンチャー #女子アナウンサー #女性のストライキ #アール・エフ・ラジオ日本 (旧ラジオ関東)配転 #遠山景久 #ラジオ関東事件


いいなと思ったら応援しよう!