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過ぎれば0以下になる

弁当を作る日々がやってきた
うちではどちらもそれなりに稼いでいるせいで支出に対してあまりカリカリしないで、食べたいものを食べたいように買って食べている。それは私が仕事を辞める勇気が出ない原因の一つであるが、それは複合的なことなのでいつかに残しておけば良い
とはいってももともと互いに自炊をそれなりにするし、健康や家計に悪い食事をしているわけではない。
人のために弁当を作るようになったからといってだから身体がだるければサボっても文句を言われるわけでもないし、別に平日5日間毎日作るわけでもない。むしろ自分にも弁当を作る日が増えたので、食費はいくらか浮いているのではないかと思う

おにぎりでいいよ

ある日早く仕事に出る日があるとのことで、それじゃあ弁当はどうしようかという話を持ちかけて言われた言葉である。

相手から見ればそのとおりおにぎりで十分に感謝に値する料理だと思っているのだと思う。
だからと言っておにぎり“で“いいよなんて言葉はないだろうと少し腹の中で何かがひっくり返るような思いがよぎったので「おにぎりだって大変だよ作るの」「いや簡単だよ」「普通の弁当に詰める方が熱くないしラクだよ」と大した意味もない話をしてしまうことになった

「おにぎりでいいよ」という言葉は本当に気に入らない言葉だし、じゃぁお前が作ってけよ、と思ったけれど、私は私の気分に任せることにした
「米は予約しておいたので私は起きられないかもしれない。私が起きてこなかった勝手に米を持って出かけてください」と寝る前に言った。
取りたくない責任は取らないことにする。
相手がどう思ったかは知らない。

けっきょく私は朝起きておにぎりを握る気になったので2つおにぎりを握った。
おかかとクリームチーズのおにぎりと、しょっぱい梅のおにぎり。

元来私はお弁当のクリエイティビティが、他の料理よりもコンパクトに豊かで、でもミニマルにもできて、楽しい。

腹が立つときは大体、お腹が空いているか、眠いか、責任を感じているときだ。
常々「割を食う」気持ちになった時にはすぐ目の前のことから意識をぶっ飛ばして形而上に置いてみる。私はそうやってこれからも事柄から逃げたり向き合ったりする。

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