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September Bird

煩わしい身近な夢は何も生み出さない
多くの人が気づいたのさ、でもそれだけかもしれない

渦巻く闇の向こうから、灼熱の風が届く
緑が揺れて陰を生み、ここで新しい力が生まれる

孤独な旅を続ける俺たちの希望は
この星を離れて、遥か向こうの闇を目指す

暑さ寒さが彼岸を行き交う
羽のない鳥のようにここで見ているだけ

聞こえるかい、誰かのささやきが
聞こえるかい、他愛も無い言葉さ
信じられるかい、誰かのささやきを
信じられるかい、愛の無い言葉を

孤独な旅を続ける俺たちの希望は
この星を離れて、遥か向こうの闇を目指す
孤独な旅を続ける俺たちの生き様は
この星のどこかで、光と闇をつなぐのさ

 ボクは9月生まれなので、この月にはそれなりの思い入れがある。夏が徐々に去り、雲が高くなり、やがて夜の闇の中から金木犀の香りが漂ってくる、この時期が1年で一番好きだった。だから、誕生月だから、というよりも、普通に過ごしていて好きだった。その思い出の気候は30年ぐらい前迄の話かもしれない。今や、秋といえば11月前半ぐらいだけで、この感覚に慣れないまま、残りの人生を過ごしていくのだろう。
 夏の終わりを感じさせる曲、と言えば、The Doors「Summer's Almost Gone」だ。ベタな選曲だ。The Doorsは、高校時代から大学卒業するぐらいまでよく聴いた。もちろん、リアルタイムで聴いていたわけではない。『ロッキング・オン』の松村雄策さんの文章で好きになった。1970年代後半の音楽に触れていた中で、The Doorsの音はそれほど魅力的ではなかった。松村さんの軽妙ながら深い文章で、The Doorsの理解が深まり、そして音も好きになった。確か、「Summer's Almost Gone」についても書かれてたと思うが、細かいことは思い出せない。でも、ステキな文章だった、という記憶は残っている。

 The Doorsについては、いつかまとめて書きたいと思っている。ところが、冒頭の文を書きながら、ふと思いついたのだ、「Summer's Almost Gone」を。そして、それが、今回のボクの曲「September Bird」と、曲調はまるで違うのだが、曲が醸し出す暗さが似ている。潜在的な影響があったのだろうか。文章を書くという作業は、実に面白いことに出会わせてくれるものだ。
 さて、この曲は2010年の曲だ。特に何かあったわけではないが、9月を題材に曲を作ろうと思い立って、最初に作った曲になる。歌詞はストーリー性がなく、何のことなのだろうと、書いた当人が首傾げるようなものだ。まあ、何となく、生きている感じに行き詰まりがあったのかな、とは思う。"灼熱の風"という言葉があって、2010年は冒頭に話したような気候じゃなかったのかもしれない。何度も読み返しているうち(2週間程)に、ああ、これはこの人の影響だ、とわかった。寺山修司だ。"さん"という敬称をつけてしまうと、逆にオーラをなくしてしまう気がするので、敬称略とする。そんなことを思わせる無頼のイメージだ。「孤独な旅を続ける俺たちの希望は この星を離れて、遥か向こうの闇を目指す」あたりは、寺山の無頼な浪漫に満ちている気がする。
 寺山修司は、好きな詩人の一人である。詩は好きで、高校時代からよく読んでいた。そこで出会う人は、中原中也であったり、萩原朔太郎であったり、西脇順三郎であった。そこから次の世代へ行く初めの一歩が寺山修司だった。ただ、若かりし頃は寺山のよさ、どころか、どういう人かも知らなかった。たぶん、30過ぎて、古本屋で試しに買って読んで、自分の不明を知ることになったのだ。今回、とても有名な詩である「事物のフォークロア 」をあらためて読むと、興味深い一節があった。この詩の冒頭は、有名な「一本の樹にも流れている血がある」であり、次は「どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう」である。これだけで、震えるような感動がある。その次は以下である(所持している本に合わせて、縦書きにした)。

 鳥は、古代から何かを告げるモノとして在った。それは、民の主となる労働が農耕になった弥生時代から、と言われている。弥生時代に、土地が分たれ、クニが生まれ、戦争が始まった。寺山は「大鳥の来る日」をおそらく革命的蜂起のようなイメージで描いているのかもしれないが、もっと汎化して考えてもいい、と思う。それは、大鳥の節の前の「世界が眠ると」の節は、『ヨハネによる福音書』のようだからだ。世界が眠ると、いいもわるいもわからない言葉が目をさまし、その何かが世界を変えて、幸福と不幸を産んでゆくのだ、と。まあ、ボクの勝手な解釈で、寺山の無頼な浪漫を損ねているかもしれない。
 古代の鳥の在り方については、以下に簡潔にまとめがある。これも思いもしなかったが、結局「Bird」につながってしまった。

鳥への信仰は古くから世界中でみられ、多くの神話に鳥が登場します。日本では、『日本書紀』や『古事記』に「天岩戸」の「長鳴鳥」、「日本武尊」の「白鳥」が描かれています。夜明けを告げる、あるいは飛翔し往来する、といった鳥の能力に由来するのでしょう。また、鳥は農耕社会との関係も深く、「稲の穀霊」を運ぶ生物として、境界を守る「物見鳥」として神聖視されています。こうした鳥の信仰は、弥生時代には土器に描かれた「鳥装のシャーマン」や竿の上につけた鳥形木製品から、そして古墳時代では古墳に並べられた鳥形埴輪や鳥形木製品からうかがえます。

https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/10/20141017.html

 寺山修司については、以下に論文があった。こういう文章はあまり読んだことがなかったので、理解できているかどうかはわからないが、こうして分析するのだなあ、と感心した。以下の記述は、なるほどなと思いつつ、今は随分と清潔で健康で、そして隅々まで管理された時代になった、と思う。得たものもあるし、それで失ったものもある。

 詩が「閉じられた書物」の中では死んでいる。こういう寺山にとって「開かれた書物」とは、たとえば「便所の中の落書き」である。そこに寺山は、新しい詩の可能性を見出している。落書きは、いわば「置き去りにされた言葉」である。そこに魅力を感じるところは、いかにも寺山らしい。

世界が眠ると言葉が眼を覚ます : 詩人・寺山修司の〈言葉〉
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000025-I014810002442867#bib

 この曲のリミックスに際しては、最初うまくいくかどうか見通しがなく、大幅な撮り直しを想定していたが、思いのほか順調だった。自分が昔作った曲のリミックスで困るのが、以前にも書いたのだが、ストラトキャスターの音の扱いだ。当時はあまり気にならなかった硬い音が、今はとても気になるのだ。この曲では、3本のギターがあるのだが、2本は前回に書いたUniversal AudioのUniversal Audio Century Tube Channel Stripを使用している。よくわからないが、うまく出したい音だけを強調してくれる。もう一本は、Tone EmpireのSoul Squashを使ってみた。Rearのピックアップのジャリッとした感じを軽減してくれた。前提知識があったわけではなく、刺してみたらよかった感じだ。こういった作業は、感覚ではなくある程度は数値的に詰めて、プラグインを構成して、最後の最後で聴いて判断する、ぐらいがいいのだろうか。


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