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ネクタイが結べず落ち込む。これが社会の洗礼か
前回の記事に書いたように、僕はネクタイが苦手だ。苦手という言葉にはいくつか意味がある。例えば、嫌いであるとか、不得意であるとか、あるいは嫌いで不得意であるとか。今回使っている苦手という言葉には、ネクタイを着用したときの感覚が嫌いであるという意味と、そもそも僕がネクタイを結ぶことが不得意であるという意味がある。(書いてから気づいたが、嫌いであることを不得意と表すこともあるな。わざわざ修正はしないけどさ)
できるだけ首周りを絞めつけたくないので、基本ネクタイの根本を緩めている。カッターシャツの第一ボタンも閉めない。それでここ2か月ほど過ごしてきた。それを先日の昼休み、エライ人に見つかってしまった。こりゃ、怒られるなと思ったが、予想は外れ、その人から直々にネクタイの綺麗な締め方を教わることになる。どうせ着けるなら格好良くしたいとは思っているので、素直にありがたいことだ。しかし、僕はネクタイが結べない。綺麗な結び方どころか、いちからネクタイの結び方を教わることになってしまった。とても優しく、丁寧に教えていただいた。ありがたかったが、同時に恥ずかしくもあった。
話は逸れるが、現在参加している研修について、こちらはお金を貰っている側なのにこんなに丁重に扱われていいのだろうか、と思う。それだけ期待されているということか。最近までお金を払いながら、割と過酷な生活を送っていたので、今の状況になかなか慣れない。とにかく充実した研修生活を送らせてもらっている。
話を戻すと、それがきっかけとなったのかはわからないが、その翌日の研修中、みんなでネクタイの結び方を確認するという時間があった。前日にはエライ人から教わり、さらにその日の朝にも同期からレクチャーしてもらっていた。にも関わらず、僕はネクタイが結べなかった。自分は割と器用な方であると自覚しているつもりだが、これは苦手なようだ。”自分の首を絞めつけるなんてことができなくて何が悪い!”とかいう屁理屈も出ない。しょうがないので、同期に教えてもらう。周囲のみんなもアドバイスをくれる。自分だけが最後まで結べずにゴソゴソしている。結局最後は同期が代わりに結んでくれた。恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じた。
それまでの研修はそつなくこなしてきたはずだが、ここにきて、こんな形で難関が立ちはだかるとは思わなかった。仕事を始めて結構経つが、初めて、少し落ち込んでしまった。周りの同期達はそれを馬鹿にすることも無く、呆れることも無く、ただ優しくネクタイを結んでくれるのだった。充実した研修生活を送らせてもらっている。
ネクタイを着用するのも、残り少ない研修期間のうちだけだ。苦手ではあるが、せっかくレクチャーしてくれたエライ人や同期のためにも、少しは格好良くキメてみようか。少しだけ結ぶ練習でもして、今日も早く寝よう。
それでは、また。