➁歩くこと、生きること
私は運動が基本的に苦手だが、歩くこと、走ることは結構好きだ。
ある説によると、人間が他の動物と比較して特に優れている能力は、持久力と投擲能力だという。
私は投擲能力がとても低い。おかげで球技がダメダメだった。昔からの体育嫌いは、このあたりも大きいと思う。
一方持久力については、他の運動能力が軒並み一般人以下なのに比べたら、そこそこあると自認している。
たまに電車に乗らず長距離を歩いてみたり、登山(軽)をするのは、特に苦もないし、楽しい。
高校でも持久走の授業だけは楽しかったし、順位もそこそこ上だった。
息が上がって辛いけれど、自分のフォーム、呼吸だけ意識していればよくて楽だった。
景色がどんどん変わって動いていくのもいい。
歩いていると、考えも整理できる気がする。
運動不足な私には、肉体的にも良い影響があるだろう。
散歩中に出会う世界のありがたさを再発見できるマインドになったと思う。
写真に興味のある知り合いも増え、ふとした風景の美しさに目を向けるようにもなった。
でも、やはり根がインドア派なのだろう。それほど頻繁にウォーキングやジョギングをできているわけではない。
人生という面でも、迷い、立ち止まってしまうことが多い。
植物のように生きたいと思っていた。
まあそんなこと言ってる吉良吉影さんはそれでも捨てきれない「欲求」に従い、身を滅ぼしていくわけだが…
実際、向いていると思う。自分は人生に多くの刺激がなくても生きていけるタイプなのはわかっている。一週間ほど部屋から出ないぐらいは余裕だ。
自分の人生のキーワードの一つに「諦観」があった。
「まあ、こんなもんだろう」という感じ。
いろんな欲求も薄く、頑張ってまで何かを手に入れたいとは思わなかった。
何かを探し、外を歩き回る必要が、感じられなかった。
最近、映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』を見直した。
金と権力と性と薬への欲求から逃れられない男が、演説力とカリスマで大成功し、崩壊に至るまでの話。
一般的な日本人の価値観からすると、下品であり得ない内容と思ってしまうシーンが多いかもしれないが、こういう世界もあるのか…と感じられ、一見の価値はあると思う。
これの主要登場人物たちは、「普通の人」なら踏んでしまうブレーキが、ついていないかのようだ。
私には、登山(ガチ)やバックカントリーなどが好きな人も、同じようにスリルに狂っていると見えてしまう。
普通に人が死んでいるような山に登る人たちがいる。達成感や素晴らしい景色、生の充実が得られるのだろうと思う。そういった類の人たちが成し遂げてきたことから恩恵を受けていることもあるかもしれない。
それでも私は、それらが「ワンチャン死ぬ」ことに値するとはとても思えない。
私にはその本当の内心が推し量れないだろう。だから勝手に、「そこまで人生に起伏がないとやってられないのか?」、「泳ぎ続けないと死んでしまうマグロか?」などと思っている。
正直、その気持ちを教えてほしい。
ちょっと話が違うかもしれないが、創作者の衝動というのも、かなり興味がある。自分にはない感情。
考えが少しずつ変わってきたのは、ここ数年だ。
多少傷ついたとしても、人生を自分の足で歩くことの意味が、少しずつ実感できるようになってきた。
それでも死のリスクはだいぶ許容外だけど…
各種創作物の中には、「そのままでもいいんだ」と優しく抱擁してくれる要素が強い作品と、「一歩を踏み出せ」と激励してくる要素が強い作品があると思う。
前者で私が思いつくのは、『けものフレンズ』(一期)。
基本的に通底するのは、優しく多様性を認める感じだったと思う。
『ようこそジャパリパークへ』の歌詞に、よく表れている。
「姿かたちも十人十色 だから魅かれ合うの」
「みんな自由に生きている そう君も飾らなくて大丈夫」
現実から目を背けさせて、社会の辛さを軽減するという意味では、異世界転生物も当てはまるかもしれない。
「創作物の中でくらい、自由で救われていたい」という思いは私にもある。
……他にあんまりしっくりくる例えが思いつかない。
というのも、最近私が見ていて、心に刺さった作品は後者の方が多いからだ。
その理由は、自分の興味関心の変遷にあると思う。
私はもともと、「みんなちがって、みんないい」、「逃げたっていい」というような考えを持っていた。
人生における行動もそのようになっていたと思う。
自由と多様性。挑戦というよりは妥協。
あるVtuberの影響などにより、「それでも歩いていく」ことの意味がわかるようになってきた。
そういった考えが補強される作品を、最近は特に好んで摂取した気がする。
例えば、「反逆」と「認知」がキーワードの『ペルソナ5』や「戦え」がキーワードの『進撃の巨人』など。
どちらもとても面白い作品なのでオススメです。
進んでこそ、戦ってこそ得られるものは確かにあるのだろうという感覚。
傷つき歩んだその先の景色を見てみたいという感覚。
受け取った「救い」、「愛」を誰かに還元するのも悪くないかという感覚。
私は「自由」が好きで、誰かに何かを強制されるなんてたまらないと思っていた。
しかし一方で、「しがらみ」、一定の強制力がないと、あまり自分から行動ができないことがわかってしまった。自分の意に全く反しているのではない場合、結構それに適応して行動できることも。
思うに、私はエンジンがかかるまではめちゃくちゃ遅いが、一旦走り出してしまえば、割とそのまま走り続けられるタイプだと思う。
何もしない自由よりは、未知の環境に身を投げ出し、縛られつつも何かをなす方がいいのかもしれない。
そう思うようになった。
「歩」という漢字には、「止」が含まれている。
「止」という漢字の成り立ちは、地面についた足跡からきたという。
そして「歩」は、左右の足跡の象形文字から来ており、交互に足を進め足跡を刻んでいくということらしい。
私はこれからも時に立ち止まってしまうだろうが、それでも自分の足で歩き続け、新たな世界と出会い、関わった人や世界に少しでも足跡を残していきたいと、今は思っている。
勝手にテーマに関連させた好きな曲です。
聴いてみてください。
Tempalay “Odyssey”
(アルバム『ゴーストアルバム』より)
Tempalay “今世紀最大の夢”
(ドラマ「地球の歩き方」オープニングテーマ)
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