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【第2楽章】間宮芳生《合唱のためのコンポジション第4番「子供の領分」》と小泉文夫編『わらべうたの研究』の対照調査
間宮芳生さんが12月11日に亡くなった。95歳だった。
ちょうどその日、私の修士論文は提出締切日で、朝から一生懸命印刷し、簡易製本に励んでいた(←締切日にやるんじゃない、というごもっともなツッコミは自分でしておきます汗)。その論文では、間宮の《合唱のためのコンポジション第8番》(1971)が、「合唱のためのシアター・ピース」の起源であるかのように扱われがちな柴田南雄の《追分節考》(1973)よりも、石田一志が「日本最初のシアター・ピース」と呼んだ《花札伝綺》(1972/76)よりも早い時期に書かれたということについて少し触れておいた。《第8番》の楽譜は日本近代音楽館にマイクロフィルムで所蔵されている。この文章を書くためにいま『現代音楽の冒険』(岩波新書)を読み返していたら、「これ[引用者註:《第8番》が日本の古い民間信仰の祭りの儀式の一場面を切り取ったような作品であるという記述を受けて]を演劇的、劇場的と見るのは都会的な見方だが、あの頃多くの実験的な作品があらわれた"シアター・ピース"のひとつとも見られた」という記述を見つけて(これを参照して書かなかったのはとてもまずいと)焦っている。
私にとっては同郷の作曲家のひとりでもある。昭和一桁世代では、助川敏弥、廣瀬量平(いずれも私の高校の先輩)と並んで、ということになる。といっても、間宮が北海道にいたのは6歳までのことで、彼にとっての故郷はその後を過ごした青森であることは間違いない。間宮が北海道のことについて語ることも多くはなかったと思われるが、数少ない記述を引用しておこう。
その旭川については、やわらかな陽光と、甘い草いきれと、そして、夜、みやびにうたい続ける邯鄲などの、やさしい風景のみが思い浮かぶ。昭和十年までだから、戦争の足おとが、まだあからさまに少年の耳に聞こえていなかったせいだろう。
もとは北海道新聞の夕刊に掲載されたもので、それなのに北海道についての記述がこれきりなのは、これ以上に何も語るべきことがないということなのだろう。でも、もっとも古い「原風景」が北海道にあって、しかもそれが温かみを帯びたものであったことはたしかなようである。
本記事の内容と大きく外れて書き過ぎてしまったので、これくらいで打ち止めにしておく。そう、この記事は間宮の児童合唱とオーケストラのためのコンポジション第4番《子供の領分》の理解を深める目的で、その歌詞のもととなった小泉文夫らを中心とする研究『わらべうたの研究 楽譜編』との比較対照を行うシリーズの「第2楽章編」である。第1楽章は本年4月に公開したので、半年ぶりの続編ようやく、といったところ。
このシリーズの趣旨について詳しくは1楽章の方を見ていただきたいが、この文章は将来これを再演する人がアナリーゼする際の補助とならんことを目指しているので、単体で読んでもよく分からない記述になっているはずである。したがって、少なくともYouTube音源と楽譜、できれば『わらべうたの研究 楽譜編』(小泉文夫編、わらべうたの研究刊行会、1969年)も手元においてほしい。いつの間にか(4月時点ではなかった気がするのだが…)NDLデジタルコレクションで公開されているので、誰でもアクセスできる。
第2楽章「なつかしいうた1」をぜひ聴いていただきたい(リンク)。1楽章のインパクトのかげに隠れて地味で目立ちにくいけれど、緩徐楽章が往々にしてそうであるように、聴けば聴くほど、そして大人になればなるほど良さが分かってくる。本稿はわらべ歌部分の分析だが、ほんとは合唱のないオーケストラ部分がたまらない!
5:36 向う山のなき鳥は(『わらべうたの研究』106-107頁)
楽曲の歌詞
向う山の なき鳥は ちゅうちゅう鳥が めん鳥か
げんざぶろうの土産 何のかんの もらった きんざし かんざい もらって
屏風のかげに 置いたらば ちゅうちゅう鼠が ひいてった
屏風のかげに 置いたらば ちゅうちゅう鼠が ひいてった
柳の下の坊さんは 蜂に頭さされて
痛いとも言わず 痒い(かいい)とも言わず
ただ泣くばかり
『わらべうたの研究』採譜の歌詞
向う山の なき鳥(どり・とり)は(やき鳥は) ちゅうちゅう鳥か(い) めん鳥(みーどり)か(い)
げんざぶろう(きん三郎)の土産 (〈参考曲のみ〉何のかんの もらった) きんざし かんざい もらった(て)
(〈参考曲のみ〉屏風のかげに 置いたらば ちゅうちゅう鼠が しってった
どっからどこまで しってった)
鎌倉街道の真中で (〈参考曲のみ〉足が一本 手が一本) 1ぬけ 2ぬけ 3ぬけ さくら(〈参考曲のみ〉一の木 二の木 三の木 さくら 五葉松柳)
桜(〈参考曲のみ〉柳)の下の坊さんが(は) 蜂に(頭・目を・お目目を)さされ(て) 痛いとも言わず (痒い(かゆい・かい)とも言わず)
ただ泣くばかり
もっとも依拠しているヴァリアンテ
参考曲 上野光之(台東区、60歳)(テンポ:M.M.198、出発音の実音:ニ)
対照調査のメモ
・音階構造は民謡のテトラコルド(ニ・ヘ・ト)の上に都節のテトラコルドがコンジャンクトされたAタイプが2ヴァリアンテ、律のテトラコルドがコンジャンクトされたBタイプが7ヴァリアンテの計9ヴァリアンテ。
・参考曲は明治時代末頃、東京でまりつきにうたわれ、1961年に採録されたものであり、間宮はこれを概ね採用している。なお、参考曲の音階はAパターン(民謡テトラコルドに都節音階を重ねたもの)であり、作品もそれに従っている。
・参考曲では、多くのフレーズの最後の休拍は食われて1拍子になっている。たとえば「向う山のなき鳥は」のあと四分休符など。他方で、昭和の小学生は全体を規則的な2拍子で歌う。この差異は、明治時代には「まりつき歌」として、そして昭和時代には「なわとび歌」としてうたわれていたことによるものである。そして、間宮は楽曲を完全な2拍子で構成している。
・つまり、このわらべ歌は楽曲において、歌の内容は明治時代のものを使用しながら、拍節構造だけは同時代のものを利用しているのである。このことは何を意味するのであろうか?一つの説明は、この楽章が「なつかしいうた」と名付けられている以上明治時代の歌を選択するのは自然であり、しかし緩徐楽章である本楽章のラルゴ・カンタービレ調には休拍を詰めて前のめりになる「まりつき」のリズムは相応しくないため拍節だけは規則的な2拍子にした、というものになるだろう。これはこれで説得的な説明であると思う。しかし、私にはそれ以上の深い意味が、つまりこの作品が「コンポジション」であるところの意味が、ここには隠されているように思われる。「懐かしい」とはいかなる気持ちのことを指しているのだろうか。明治時代に子供時代を過ごした老人が、子供たちが遊ぶのを見て自分の幼年時代を思い出す。しかし、それは「同じ」ものではない。老人がやったのは「まりつき」で子供がやっているのは「なわとび」である。それに伴い、拍節構造も歌の長さも変わってしまった。「懐かしさ」とは古いものじたいを見ることではなく、変わりゆく今を見つめながらそこに古き何かの面影を見出すことなのだ。そのように考えるとき、明治時代の「まりつき歌」とそこから派生した今の「なわとび歌」を融合することには特別な価値が宿るようになる。そして、間宮の作品はいまや「まりつき歌」でも「なわとび歌」でもなく、一つの音楽としてそこに現前する。従来のわらべ歌にあった躍動感は影を潜め、老人が「懐かしさ」を噛みしめるかのようにゆったりとした甘美なメロディー。初演当時この作品を聴いた老人たちはこの「音楽」を聴くことによってリズムもテンポも異なる昔の情景を思い出すことができたのであろうし、令和の今では昭和時代を子供として過ごした老人たちが同様に歌詞もテンポも異なる昔の情景を思い出すことができるのだ。「懐かしさ」という形なきものを巧みな技術によって作り出す、これこそが「コンポーズ」の神髄であると言うべきであろう。
8:57 げたかくし(『わらべうたの研究』225-226頁)
楽曲の歌詞
下駄かくし ふらいぼう 橋の下の ねずみが 草履をくわえて チュチュチュ
裏からまわって 3番目 裏からまわって 3番目
『わらべうたの研究』採譜の歌詞
(A) 下駄かくし つれんぼ(ちゅうれ(り)んぼ(ぶ)、つねんぼ(ぶ)、かくれんぼ、ふうらいぼ) 橋の(柱の、軒の)下の (子)ねずみが 草履をくわえて チュッチュクチュ(チュンチュクチュン、チュチュチュ、チュルチュクチュ、チューチューチュー、チューチュクチュ)
チュッチュクまんじゅう(は)だれが食うた(お店の看板三味線屋)
だ(た)れも食わないわしが食うた(だれにあてても知らんけ) 橋の下の(裏からまわって) 3軒目
(B) 下駄かくし まないた(なんまいだ、つねんぼ) まないたの上で(に)(なんまいだの上に) けんかが始った(庖丁が2つ、金魚がのっかった)
(C) 下駄とり まないた まないたの上で つききんど
(D) 下駄かくしの かくれんぼ はかりに かけたら 一貫目
お湯に入ったら 浮いちゃった 石けんで洗ったら とけちゃった
もっとも依拠しているヴァリアンテ
A7 足立区柳原小学校3年(テンポ:M.M.96、出発音の実音:ヘ)
対照調査のメモ
・「げたかくし」はある時期までは全国的に遊ばれていた鬼遊びのようだが、平成生まれの私は全く知らないものである。
・歌詞が多様で、主に歌詞によって4種類に大別され、A1~8、B1~4、C1、D1の14のヴァリアンテが掲載されている。Aは「げたかくし」+「ねずみ」「ぞうり」を共通して歌詞に持つもの、Bは「げたかくし」+「まないた」(もしくは「なんまいだ」)を共通して持つもの、CはBと類似しているがなわとびに歌われているもの、Dは足立区千寿小学校のものだが、いずれにも似ない歌詞を持つ。
・楽曲が依拠しているのは全面的にA7である。とりわけ、メロディーの観点からみると、「橋の下のねずみが草履をくわえて」の部分で都節音階が使用されている(ニ・ヘ・トを民謡テトラコルドとしたときの変イ音、楽曲の音程ではハ音)のは全14のヴァリアンテのうちA7とA8のみであり、抒情性を高めさせるのに効果的であるように思われる。他のヴァリアンテのように、この音が半音高いと滑稽で呑気ないかにも遊び歌という感じになってしまう。先述したように、これは「遊び歌」ではなく「なつかしい歌」なのだ。実際、私のように元のわらべうたを知らない者にとっては、これが鬼遊びの歌であるとは思えないような仕上がりになっている。
・「裏からまわって」の部分はA6とA7にしか見られないものだが、この部分は楽曲では少し異なる部分がある。まず、A6とA7では「3軒目」という歌詞だが間宮作品は「3番目」となっている。そして、この部分だけは音程がA7とは異なる(A6とも異なる)。A7ではテトラコルドのうちヘ音とト音の2音のみを移動するが、楽曲ではテトラコルド3音を使用する。
・最後に、本楽章全体のテンポについて。速度記号はラルゴ、アンダンテ、レント、アレグレットを行き来するように記譜されており、YouTubeの録音の場合にはM.M.60~80の間で変化しながら演奏されている。本楽章の二つのわらべ歌はいずれも遊びのための歌であるからこうしたテンポは考えにくい。「向う山のなき鳥は」のテンポは採録されたヴァリアンテのうち最速がM.M.198、最遅がM.M.96(なんと柳原小学校)である。「下駄かくし」は最速がM.M.192、最遅がM.M.96(A7、柳原小学校)、次に遅いのがA6(浅草小学校)のM.M.108である。いずれも最遅が柳原小学校であることは興味深いが、そのテンポよりも一層遅く演奏されることがこの楽章では求められている。こうした大胆な異化が、間宮にとっての「コンポーズ」であり、また「なつかしさ」を駆動する原動力であると考えられよう。
(文責:西垣龍一)