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走ることが夢だった3 (フォーミュラ編)

カートを引退しフォーミュラカーに転向しようと、レースの専門誌の広告を見る。
レーシングスクールの広告に目がいく。それが危険な世界への誘いだとも知らずに。

独断

まずはライセンスを取らなくてはいけないと思い、レーシングスクールに申し込むことにした。
なんの当てもなく広告を眺める。
どこがいいのか分からない。
1番大きく広告を出しているところに連絡することにした。
電話がつながりFJ1600のレースがやりたいと伝える。
電話代がかかるだろうから掛け直すと言われる。ずいぶん親切だなと思い、疑うことをしなかった。
九州のオートポリスというサーキットでスクールを開催しているという。穴場なんでかなり走り込めると説明された。
茨城県の筑波サーキットに比べれば利用者が少ないだろうから、走り込めるという話に納得した。
こんなやりとりが何日が続いた。
学校が終わりアルバイトの前に寮に帰る時間に電話がかかってくる。
すっかり信用してしまっていた。
オートポリスでの練習走行3段階目までと、1年間レースにフル参戦。プラス国内A級ライセンス取得費用で200万。
電話で話しただけの相手と契約することにしてしまった。
郵送で契約書とローンの申し込み用紙が届き、急いで返送した。
新しい世界に挑戦する前向きな気持ちになっていた。
毎日かかってきていた電話は、ローンの申込書を送ったと伝えてからはかかってこなかった。
契約書があるから大丈夫だろうとあまり心配していなかった。

詐欺 

パンフレットやスケジュール表は手元にあった。
しかし連絡は来ない。
スクールの開催予定の一週間前になり痺れを切らせ電話してみる。
めんどくさそうに対応される。
スクールの話をすると、来るの?みたいな対応。次の土日に開催するという。
違和感を感じながらも下手に出て約束する。

慌てて飛行機のチケットの手配をし、学校と運送屋のアルバイトも事情を説明し休みをもらう。
金曜日に熊本空港に行けば他の生徒も集まるから、何人か一緒にタクシーに乗ってオートポリスまで来て欲しいという話だった。

今考えると顔も分からない人たちとの待ち合わせ、怖いし無理があると思うが、若い自分には失うものはなかった。
熊本空港に着くと、ヘルメットを持った人を探し無事に合う事ができた。
7人くらいだったように記憶する。
タクシー2台でサーキットに向かう。
阿蘇山を登っていくと、途中から道路の舗装もされてなく砂利道になった。
サーキットは完成されてないことを理解した。
バブル期にF1グランプリの開催前提で建設されるはずだったサーキット。F1ではベネトンのスポンサーにもついていた。
サーキットに着くと黒いレザーコートの男が立っていた。お世辞にも紳士には見えない見た目だ。
声を聞き電話の男だと理解する。

練習は明日の土曜からということで、宿舎に向かう。
おしゃれな雰囲気のペンション着いた。
だが、今までの状況を振り返っても話と全然違う。おとなしくゆうことを聞いていたらやられるぞと自分にスイッチを入れる。

夜、座学があった。
オートポリスでF1が開催されなくなった経緯の説明やこのスクールも今回を最後に筑波サーキットに移ると説明される。
しかもオートポリスでの契約はなかったことにして欲しいと言われる。どう考えても私が契約した時には、オートポリスでのスクールが終わることは決まってた事じゃないか。
私のスイッチは入った。
200万分好きにやらせてもらうと決める。

反撃

作戦を考えた。
もう電話連絡は来ないだろうから、事務対応をしているという女性と仲良くなることにした。
利用しようなんて思わない。
女性は詐欺だということに気づいていなかった。校長と電話の男は親子らしく、それ以外の人物には詳しい説明はしていないようだった。
何かあった時に事務の女性にひどく当たることはないだろうと思った。
電話した際に筑波サーキットのスクールの開催日を教えてもらえれば十分だと考えた。

一夜明け練習走行。
メカニックがいない。
ガレージからマシンを出すのを手伝わされる。
バッテリーが上がっていてエンジンがかからない。
練習素行の時間になったが走れない。
イライラしてくる。
メカニックを現地で調達したらしく、練習走行の準備ができたようだ。
まずはスキットパッドだと言われ、駐車場を使いストップアンドゴーの練習から。
私は、基本的な練習には参加するが、列に並ぶため移動の時は全開で攻めて、FJ1600の限界を探る。
タイヤが劣化していてすぐにスピンする。
カートとはずいぶん違う。
タイヤのグリップ力に頼るのではなく、荷重移動が大切で、アウトインアウトでコーナーを曲がる時もラインをアウトに取りブレーキングでフロントに荷重移動したところでステアリングを切ると振り子に振られたようにインに曲がり出す。
校長から後ろでおかしなことをして、スピンしてる人がいますがと皮肉を言われあるが一切無視。

午後は本コースに出て練習。
すぐにスピンする。
タイヤの性もあるが、カートに慣れすぎているので、荷重移動している手応えをFJ1600では感じられていない。
立ち上がりでスロットルを開けすぎてしまいホイルスピンしてしまう。
乗りこなせないまま土曜日の練習を終わる。

夜、ペンションでまた座学があった。
今日は実際にレースをやっている人が講師だった。
板前のような雰囲気の話し方に勢いのある方だが話は理にかなっていた。
早くなるために必要な授業は大歓迎だ。
話をしていると、しっかり乗れていたとほめられ、日曜の練習では、走行順を最初にしてくれるという話になった。

夜布団に入ると、今日の練習を振り返りイメージトレーニングする。
少しでも時間を有効に使いたかった。

日曜の朝、昨日の夜のうちにバッテリーは充電したらしい。
時間通り練習できそうだ。
校長は、レースをするためには想定外の事態に対応できるようにならないととウンチクを垂れるが、そもそも準備不足で前倒しで準備できないだけだと思い、一切無視。
校長はトヨタのテストドライバーだと言っていたが、ネット社会になってから調べたが、トヨタのテストドライバーに校長の名はなかった。
スクールは、イギリスの名門校、ジムラッセルレーシングスクールの分校だと言っていた。
それも嘘だろう!

午前中はまたスキッドパッドを行い。
午後は本コースに。
ミニレースのようなものをやることになった。

低速コーナーはうまく曲がれるが、中速コーナーがやはりスロットルを開けすぎてしまう。
ミニレースは、スタートこそ良くトップに立ったが、スピンしリタイアした。
不完全燃焼だが練習は終了。

3日間も一緒にいると生徒同士は仲良くなり、東京に戻ってから食事をして別れた。
連絡先を交換した人もいた。

1人になるとこれからのことを考え不安になった。
どこまで戦えるか?
これは正義か?
と自問自答した。
どんどん汚れていく自分に恐怖も覚えながらも、それでもレースがやりたいんだと決意を新たにした。
まだまだ入り口にいるとはこの頃の自分には分からなかった。
今の歳になり思うのは、本当に怖わいのは若さかもしれないと。

認めたくないものだな。若さゆえの過ちというものを!
シャアのセリフにこんなのがあったなぁ。

4  (フォーミュラ編)へ続く

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