「ドリフを見ろ」と怒られたこと。
志村けんさんが亡くなった。あれをきっかけに新型コロナウイルスに対する危機感が「ナメちゃいけないんだ…」って上がったし、それ以上に長年当たり前のように日常的にテレビの中にいたスターがポッと姿を消してしまった喪失感が大きい。とはいえ、その実感はいまだにない。
自分は「8時だョ!全員集合」とか「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」とか、あれくらいのど真ん中の世代ではない。ドリフの最初の記憶はまだ物心がつかないくらいの頃まで遡る。
「ちょっとだけよ」が怖かった。
加トちゃんの「ちょっとだけよ」が怖かった。何が怖かったのかはその頃も今となっても分からない。考えられるとしたら、その年齢では何のことだかかよくわからない淫靡な照明と「バァ~!!!」というドスの効いたトランペット。アレに食らっていたんだと思う。今見れば、あれだけ面白い顔と動きをしていることが分かるんだけど幼心にはそれ以上のインパクトを叩きつけていたらしい。バカ殿様の白塗りもちょっと怖かった記憶がある。中学生の時にハロプロにハマって、ミニモニ。とコラボをするまでドリフとは縁遠かった。
「ドリフ世代」と呼ばれる人。
志村さんやドリフを見ていると思い出すことがある。10年ぐらい前、僕が大学生の時に芸能スクールから直営の芸能事務所に所属ができなかった人たちを集めた演劇集団とご縁があった。普段はお芝居(コメディ)をやっていたらしいのだが、スピンオフ的にコントをやる企画が立ち上がり、そこでコントを書かせてもらうことになった。正直、その話を貰ったときは嬉しかった。自分で一からお話を考えるという作業も、それを人様に見てもらうのも、報酬が発生するのも全て初めてだったので。
主宰の人は芸人を辞めて俳優として活動しているという、その芸能スクールの講師だった。芸人時代の動画を見たけど、ネタの中で志村けんの声マネで志村けんを演じているかのようなキャラクターになりきっていた。なので、プレーヤーとしては勿論面白かった。
初めてのコント台本
主宰からコントを10本書いてこいと言われた。コントなんて書いたことも無いのに10本も書けるかなって思ったけど、最初に出した3本ぐらいが主宰にヒットしたらしく、褒められて育つ甘い人間なので調子に乗ったら10本などあっという間だった。
10本書いたところで、ダメ出しとまでは厳しいものではないけどブラッシュアップするために主宰と話し合ったことがあった。その席で「もっとセリフの面白さだけじゃなくてドリフみたいなさ・・・」「ドリフのあのコントあるじゃん?ああいうさ・・・」などと、とにかくドリフっぽさを求めてきた。しまいには「俺はドリフ世代だからわかるけど・・・」「お前ドリフみたことあるか?」とドリフでマウンティングしてくるドリフハラスメントがすごかった。
10本中8本
確かにドリフをちゃんと見たことはなかった。なので一応Youtubeで有名っぽいのを選んで何本か見たけど、「ドリフっぽさ」の芯が捉えられず苦戦した。そんな調子なので結局10本提出したうち、主宰に採用されたのは8本。ボツが2本出てしまった。これがいよいよ演じられるのかという喜びでいっぱいだった気がする。しかし、8本ではイベント自体の尺が微妙に足りないということで主宰が1本自分で作ることになった。
その主宰が書いたコントがめちゃめちゃ面白くなかった。主宰自身が主役のコントで、確かに演じるとプレーヤーとして一つ一つのボケが面白かったりするのだが、その他の役の人たちが全く活きない。これは僕が今こういう仕事をしているからエラそうに言っているのではなく、素人目にもそう映っていたと思う。というのも本番でそのコントだけ全くウケていなかったから。かといって、自分が書いたコントが全部爆笑の嵐だったかというとそうではないけど、あの1本だけは確実にスベっていた。
そこからその主宰があんまり尊敬できなくなってしまい、結局ドリフも不勉強のまま本番を終えた。それから何回か演出助手として、誘われて参加したが、その度に「ドリフを観て勉強しろ」と言われるのが苦痛で疎遠になってしまった。
とにかくドリフを信仰してやまなかった男性、お元気だろうか。4月に放送された志村さんの追悼番組を観ながらそんなことを思い出しました。